このところ地震の夢を二回続けてみた。もともとは夢を見ない。それが体の中の痛みがあるときに時々夢を見るようになった。ここ1-2年のことだ。いつもの夢はおおかた自身の過去の仕事や人間関係に関するもの。知った顔が出てきていろいろなことを言い動きをする。中にはすでに故人となった知り合いもいる。しかしこのところ立て続けに見た地震の夢は、誰も知らない人間ばかりで、突然の大地震にあわてている。場所はどうやら横浜沖のような気配。その時「7.8」という数字も同時に見えた。これは「7月8日」なのか、「7月。8月」なのか、ありぃはマグニチュード「7.8」なのか、それは定かでない。2度も続けて「地震」の夢を見るというのは、あるいは天が何かを知らせようとしているのか。あるいは単なる夢か。しかし気になるので記しておきたい。
私は長年にわたり「仙道」を修煉してきたが、おかげで「六通」と言われる能力が身に着くようになったと思っている。たとえば数年前「ホリエモン」全盛の時代、広島で代議士選挙に出た当時に「ホリエモンは1年後にはいない」という天の声が聞こえ、それは当時のブログにも書いた。全盛時だったので、「ウソ」という感じだったが、それからちょうど1年後に検察の強制捜査が入り、表面から消え去った。また民主党が政権をとる前夜、「民主党政権5つの予言」をブログに書いた。当時自公政権の幹事長や公明党幹部にも手紙を書いたが無視。そのなかで「1年後には小沢はいない」と書いたが、当時小沢は政権奪取の立役者で全盛期であり、それはありえない事態だった。しかし約1年後に小沢は民主党を離れ、表面から消えた。それは関係する学会の人たちにも告げた。また「3.11」の時、福島原発の映像がテレビで最初に出た時、思わずなぜか「早く電源を修復しないと大変なことになる。東芝を読んで電源を修復しろ」と叫んでいた。自然にその言葉が出てきて、そばにいた友人がそれを聞いている。当時は燃料棒をいかに冷やすかが最大事で、「電源」まで考えが及んでいなかったと思う。「電源」への配慮が出てきたのは1週間後だった。本当はこの「電源」問題の背後には、本来東北電力の領域で東京電力が発電していることの問題もあったのだが、誰も気づかなかった。 お問い合わせは taoistyi@hill.dti.ne.jp。 #
by yuugean
| 2012-03-14 14:18
| 2012
民主党政権五つの預言
民主党政権に関して某仙人(特に名を秘す・仙道の達人)が次の五つの「預言」を行っているので、お知らせします。この「某仙人」はかつてホリエモン全盛時に「一年後にはホリエモンはいない」と予言し、ちょうど一年後に逮捕となった経歴を持っている。この時はホリエモンが泥濘の中を這いずり回る映像が現れた。また古くは米国のイラク攻撃に際し、その深層と行く末を予言、その後の経過は現在に至るまで変わっていない。その他企業活動の先行き、個人の近未来に関する予言が的中している例は枚挙に暇がない。これらは活字やネット上の記録として留められている。これらの「預言」は時勢の「気」を読むことで行われるが、大衆やマスコミはことに最近は流れに追従することが常となっており、その「底流」や「深層」の矛盾を見抜くことができなくなっている。それを見抜けば当然の帰結として、「預言」のようなことが起こってくるので、自然に逆らった罪は大きい。「預言」が何%的中するかは今後の推移をみればわかるのである。 1.民主党政権発足後、四か月目に閣僚の事務所費用問題、個人資産問題、女性スキャンダルなどが種々出始める。 それは最初は小さな火であるが、これまであれほど味方をしてきた、マスコミが手のひらを返したように各紙こぞって細大漏らさず掻き立てるようになる。これにより第一弾の民衆離脱がはじまる。 2.小沢一郎は一年後にはいない。民主党政権で唯一の政治のプロは小沢一郎だが、小沢の表情にはいつも、中村喜四郎の面影がだぶってあらわれる。つまり、同様の問題が再燃してきて一年後には政界から消える。 小沢には、先のゼネコン口利き疑惑をはじめ、金にまつわる疑惑が常について回っている。自民党幹事長時代の「自民党離脱」に纏わる公金消失問題。これはその夜に急きょ空港フリーパスで台湾に渡ったことと関連しているがまだ、未解決のままである。その他新生党解散時の公金問題などもあり、民主党政権発足とともに「小沢金脈」問題の追及がはじまり、責任ある説明が求められるようになる。政権政党と野党時代とはその「責任性」に大きな差があるからだ。 もちろん、小沢はその備えを怠らないだろう。ひとつは検察人脈への介入だ。それは政権発足とともに顕著になるが、一方「国策調査」と公言した民主党への検察陣の存念は底深く、人脈をいじってもどこかで火を噴く要素が常に出てくる。小沢はもともと「裏」の人間で「裏」組織をもっており、多くの反対勢力を黙らせてきた。それが再び動き始めるが、一年もすればそれどころではない、事態が次々に生まれてくる。そして小沢は表舞台から姿を消すことになる。 3.もうひとつは総理大臣となる鳩山の個人献金問題疑惑。当然それが四カ月以降に再燃して収拾のつかない状態となってくる。 これは当然予測されることで、「預言」でも何でもないが、議会の多人数だけで乗り切れないような事態が次々に起こってきて、鳩山内閣そのものの土台が発足四か月目から揺らぎはじめる。 4.今回の選挙で小沢派は百人を超える大派閥となるが、人事をめぐって既に選挙前から小沢の独断専横に対する不満が民主党の中に渦巻いている。その不満が頂点に達するのが、第一回組閣時でここでは自民党以上の工作が行われ、結局すべてを決める小沢に対する不満が各段階に溜まっていく。それが底流となって、一年後には組織的に支離滅裂な状態となり瓦解する。 5.実は民主党政権のスタート前から、政権発足後の人事をめぐる軋轢は始まっている。横浜市長の突然の辞任も、非公式な入閣打診に即応しすぎたためで、小沢の了解を得ない人事はキャンセルとなり梯子をはずされた形となった。その分陰で不満が鬱積したわけで、同様のことは、民主党各所で選挙以前から目立っている。馬鹿馬鹿しいのは民主にするよる「官僚」で、いずれまた一年から一年半で世界が変わるということを見通せないで目先だけで動くのは愚かな限りと言わざるをえない。いずれ、民主党政権は「自民党以下」で「自民党の方がメリハリが効いていた」という日が近未来のうちに必ず来る。 「民主党政権五つの預言」 #
by yuugean
| 2009-08-20 06:32
| 2009
元週刊ポスト編集長の関根進さんの新著「ガンを切らずに10年延命」(ダイヤモンド社・2009年2月)が快進撃を続けている。現在7刷ー8刷のところにあるようだ。これは関根さんが丘永漢さん(作家)のウェブ「HiQ」で連載(毎日)されてきたものを「自癒力」「陰陽力」「医診力」など20のテーマでまとめられ、「ガン」を切らずに生き抜く知恵を体験的にまとめられたもの。
関根さんと言えば今から30数年前、週刊ポストの編集次長当時に何度かお会いしたことがある。私は関根さんには当時のPR会社の上司と一緒にお会いしたので、関根さんの記憶には薄いかもしれないが、私には印象が強かった。繊細で神経が張り詰め力が抜けない感じだった。そのご編集長になられ、見る見る部数を伸ばして週刊ポスト黄金時代を築かれたのだから、時代を見ぬく力がその繊細さのなかに詰まっていたに違いない。私がよくお会いした当時のデスクY氏は、いつもにこにこ人柄の良さを感じさせたが、後に内部の人間に聞くと、仕事では怒髪天を抜く感じで怒り狂う場面も多く恐れられていたというから、週刊誌編集の現場は外部からは窺いしれない、神経の抜けない大変な戦場だったにちがいないという思いがする。 関根さんには最近2-3度お会いした。お会いしてみると、かっての鋭敏な表情は消え、むしろ穏やか、気のよくつく親切な方だった。5月には私がライター系の仕事の時にお世話になっている、元朝日ジャーナル副編のK氏にお会い頂いた。K氏はガンで「化学療法」についてどなたかの意見を聞きたいというので、関根さんにお会い頂いた。また最近私が全然医者にかかっていないことの不便さを感じて、帯津病院の診察を一度受けてみようと思い、関根さんにメールを出したところ、詳細にわたるアドバイスを頂いた。関根さんの療法をかいつまんで縮めてしまうと、「帯津敬三先生」「天仙液」「漢方」「玄米療法」だが、私は関根さんにお会いして、まず「玄米食」に変えた。「天仙液」は私には高価なので、これまで飲んでいた自分の手作り薬酒のなかに、冬虫夏草、霊芝、田七人参、高麗人参、アガリスク、チャーガなどのサプリメントの残りをぶち込んで「地仙液」と称して毎日飲んでいる。漢方についてはもともと薬は漢方しか飲まないでやってきた。あとは「帯津先生」だが、関根さんから詳細なアドバイスを頂いたのでこれから取り組んでいく方針だ。 その意味で私も関根主義のひとりだと思うが、感心するのはまだまだ著作に取り組んでいくエネルギーだ。今年関根さんから「大正霊戦記」をお送り頂いたが、これは350ページの大作で現代史の闇のひとつ「大逆事件」の中で、作家であり牧師であった沖野岩三郎の生涯を追ったもの。沖野岩三郎はあの時代、おのずからも冤罪疑惑を受けながら、作家としての生涯を全うした。沖野は関根さんの母方の祖父にあたるといい、その 生涯の全貌を追おうとする姿勢は、尋常ではない。さらに続編を執筆中といい、70近い高齢でのエネルギーには敬服せざるを得ない。 #
by yuugean
| 2009-06-26 08:15
| 2009
もう終わったことだが、5月10日から6月14日まで生まれたばかりの子猫を預かっていた。5月5日の朝方、埼玉県ふじみ野市の小さな児童公園に40歳台の男が子猫を捨てにきた。その公園の前の家のS君がその一部始終を2階から目撃してしまった。S君はカソリック信者でインドの貧しい人たちを助けた聖女マザーテレサを心から尊敬している。S君は、雨が降ってきそうな公園に猫を捨てる男の一部始終を見ていて捨て置けない気持ちになった。幼い生命がこのままでは確実に消える。それで寒さに震える子猫をとにかく家に連れ帰って、牛乳を与えた。翌日も牛乳を飲まず、排泄をしない子猫を心配して市内の獣医のところに連れていった。そこで、浣腸をしてもらい、猫用ミルクや排せつの仕方を習った。その日からS家の段ボールの中で生活し始めたが、S君はたびたび仕事で東京に行く。その間5-8時間も家を空けることになるが、心やさしいS君は「何とか育ててあげたい」と必死に努力した。しかし、現実はずっと家にいるわけではないし、仕事の行き帰りに時間がかかりすぎて、十分に世話をしてあげられない。そこで、もう市役所に持っていくしかないと思っていた。
S君は飲みながら私に子猫のことを話した。私は、何かの縁があって君のところに来たんだから、最後まで見てあげるべきだ。たとえ、小さな命といえども命はいのち。まっとうさせるのが人間の勤め。その子猫がちゃんと一人前になって、ひとり歩きできるまで、私が飼ってあげる、と彼にいった。それで5月11日に東京都千代田区の私の家に来た。猫を飼った経験はまるでない。 それから1か月ミルクも順調に飲み、体重は毎日増えていった。おしっこやウンチも自分ひとりでできるようになり、ミルクから離乳食への切り替えも問題なく行った。標準よりも1-2週早いペースで進んでいった。そして6月8日にはドライフーズを食べるようになり、12日にはドライフーズだけでも大丈夫となった。もう、家を空けても食事の心配をしなくてよくなった。それで、S君に子猫を引き渡した。元気でやんちゃ、起きているときは部屋を走り回り、疲れるとよく寝た。そんな子猫に育った。体重は800Gになっていた。 #
by yuugean
| 2009-06-20 07:46
| 2009
「吾輩も猫である。名前はまだない。実は勝手に名前をつけられたが、まだ誰もその名を呼んだことはない。
5月5日の朝方、埼玉県ふじみ野市の小さな児童公園に40歳台の男が吾輩を捨てにきた。よほどの事情があったにちがいないと思うが正直よくわからない。その公園の前の家のSさんがその一部始終を2階から目撃してしまった。Sさんはカソリック信者でインドの貧しい人たちを助けた聖女マザーテレサを心から尊敬している。自身決して裕福なわけではないのに、学校に行けないインドの農村の少女に毎月5千円を送っている。奥さんとは10年前に離婚、娘は成人して近くに住み、養護施設に勤めている。娘は心やさしい父を見て育ったせいか、知恵おくれのかわいそうな人たちを世話するという実にやっかいな仕事にも生きがいを見出し、5年前に同じ考えの青年と知り合って職場結婚した。つまり、Sさんは60代初頭で、一人暮らしをし、父親がやっていた損害保険の仕事を引き継いで忙しく出歩いている。Sさんは、雨が降ってきそうな公園に猫を捨てる男の一部始終を見ていて捨て置けない気持ちになった。幼い生命がこのままでは確実に消える。それで寒さに震える子猫(つまり吾輩)をとにかく家に連れ帰って、牛乳を与えた。Sさんはかって娘の為に子犬を飼ったことはあったが、猫は初めての経験だった。翌日も牛乳を飲まず、排泄をしない吾輩を心配して市内の獣医のところに連れていった。そこで、浣腸をしてもらい、猫用ミルクや排せつの仕方を習った。獣医は生後1週間くらいと見立てたので、誕生日を5月1日にし、。名前を「メイ」と名付けた。5月だからという単純な理由(その後「鯉太」と命名された。それも5月5日に拾われたから)。その日からS家の段ボールの中で生活し始めたが、Sさんはたびたび仕事で東京に行く。その間5-8時間も家を空けることになるが、心やさしいSさんは「何とか育ててあげたい」と必死に努力した。しかし、現実はずっと家にいるわけではないし、仕事の行き帰りに時間がかかりすぎて、十分に世話をしてあげられない。そこで、もう市役所に持っていくしかないと思っていた。 ところで、Sさんには20年来の年長の友人Iさんがいた。気があって週のうち3回は会って酒を飲んで2時間ぐらいを過ごしていた。お互いのストレス解消になっていた。Iさんは30台から小さな会社を都内でやっていて、50代にその会社が倒産し、60代になってもともと気の合わなかった奥さんとも別れた。その点がSさんと共通で、世の出来事に関する見方にも共通点があるので、よく飲み、たまには旅行もする仲だった。最近は一緒に太極拳の練習に励んで演武会などにも出た。Sさんは飲みながらIさんに吾輩のことを話した。すると、Iさんは、何かの縁があって君のところに来たんだから、最後まで見てあげるべきだ。たとえ、小さな命といえども命はいのち。まっとうさせるのが人間の勤め。その子猫がちゃんと一人前になって、ひとり歩きできるまで、自分が飼ってあげる、といった。それで5月11日の日に東京都千代田区に連れてこられた。週に1-2回はここにきて二人で自宅で飲んで会話をするので、吾輩はSさんにも会える。Iさんは、20年以上も中国道教の座禅のような修練を続けており、(自分の命も他人の命も大切に)がモットーの物静かな老人だ。そのせいか実年齢より20歳は若く見える。今は現役のころに続けていた、新エネルギーの仕事をボランティアで続けている。家にいることも多いし、仕事で出かけてもどこからでも1時間以内で帰れるので、子猫の面倒を見ることができるが、猫を飼った経験はまるでない。ミルクやりもトイレもまだ稚拙でみちゃおれないが、わが輩を何とか一生懸命育てようという気持ちは伝わる。こうして、吾輩の養育のため2人の高齢者が手を携えて協力していくことになった。吾輩も少し安心して、このごろは寝てばっかりいる、、、。」 #
by yuugean
| 2009-05-13 07:40
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