最後の晩餐ードウモ
今日は1日ミラノ自由行動。旅の疲れもあってか、起床は5時。少し勝手が違うがいつも通り、「坐忘」-「出神」-「収神」をホテルの部屋で試みる。実は、昨日6千フィートの飛行機の中でも、試みたがあまりうまく行ったとは思われなかった。空気が希薄で室内は快適でも外気はマイナス60度cという荒涼たる環境。おそらく「分身」はその外の環境に影響されていると思う。結局「天頂」より出ようとしなかった。数度試みたが、いつもはスムーズに出て行く「分身」が怖がってか?なかなか出ようとしない。結局あいまいなままに終わった。それで今朝試みたわけだが、昨日の「恐怖」がまだ残っているとみえて、なかなか「天頂」より出ようとしない。長旅の疲れも残っているかも知れず、あまり強要することなく自然に旧に復するときを待つことにする。
なかば出来たような気もするが、日本の大気になれた「分身」は明らかにイタリアの水分の極端に少ない大気に戸惑っている感じがする。今日は実質的にイタリヤ第一に目で、日本で予約を取った「最後の晩餐」を見るのが今日のメインイベント。8;45分にサンタ・マリア・デレ・グラテ教会で「最後の晩餐」鑑賞の予約が取れているので、一番に朝食を済ませ、ホテルの前の新聞売り場で地下鉄の「一日乗車券」を買い教会に向かう。イタリヤの地下鉄は落書きが多く、あまりきれいではないが、無事20分ほどで目指す駅で降り、5分ほどの距離の教会に向かった。周辺は文教地区という趣で学生が多い。 「最後の晩餐」はこの教会の修道院の食堂の壁にダビンチが描いたもの。第二次世界大戦で爆撃を受け、食堂は破壊されたが壁画は奇跡的に残った。それを修復し、予約制で見せており、「無菌室」のように20人ずつしか入れない。入場する前、パリから列車を乗り継いでやってきたという日本人の若い女性と一緒になった。ベンチでS君と盛んに話していたが、彼女はパリに住んで医学留学しているという。ヨーロッパは陸続きだから、5時間ほどでフィレンツェに来れるが、いかににお金をかけないで来るか頭を絞ったという。彼女の健闘を祈りながら、「最後の晩餐」のある「食堂」への入り口に入る。前の20名が部屋を出て初めて次の人たちのためのドアが開く仕組みになっている。やはりダビンチの傑作らしい気品と静かな情熱を画面いっぱいに湛えている。これを見るために、日本から来たという思いが強い。 ミケランジェロの勇壮さとは違った、人間を冷静に見つめる、限りなく優しい眼がここにはある。制限時間ぎりぎりまで、この壁画の前にたたずんだ。聞けばS君も同じ思いだった。何かこの場所を離れがたいものを感じたという、ダビンチの魂がまだこもっていて、何かを語りかけてくる。そういう魔力が確かにこの絵にはある。鑑賞後、修道院の庭で写真を撮り、地下鉄駅まで歩いて、三つ目の「ドウモ」で降りた。降りると目の前がミラノの象徴「ドウモ」、その前に大きな広場がある。ドウモ周辺はいつも多くの人だかりで、観光客も多い。ドウモを見上げ、写真撮影。その前にある有名なショッピングアーケード「ガレリア」を散策。明日から「ミラノファッション」のイベントが始まるのでステージなどの準備をしていた。ブランド店を覗くが以前のように興味は沸いてこない。スカラ座は工事中だったので、近くにあるポルディ・ベッツウオーリ美術館へ入った。 街中にあった誰かの邸宅を市が買い取って美術館にした感じで、東京で言えば旧宮邸を美術館にしたようなもの。玄関、アプローチ、階段など各部屋は趣味のいい貴族の邸宅感じさせる見事なたたずまい。30以上もある部屋に宗教画や工芸品M時計などのコレクションがテーマ毎に並んでいる。この時はトラディショナルなレース編みのコレクションを展示していた。昼になったので昨日JALの人に教えてもらった「上げパン」ぼおいしい店を探す。行列が出来ているが、要はモッツレラチーズと具を挟んで揚げたもの。これと函ビールを買ってドウモの横の石のベンチに腰掛けて食べる。見れば周辺では土地っ子らしい人も同じように食べているのが何人も目に付いた。午後からは、「ドウモ」の大屋根に上る。エレベータで上りさらに屋上へ。巨大な屋根の上を多くの観光客が歩いている。 「ドウモ」は多くの尖塔を持っているが、その尖塔にはさらに多くの細工が施してあり、夥しい数の聖者像が飾り込まれている。これだけの壮大な建築物を作り上げる力は何だったのか、改めてカソリック教権の巨大さを思う。ここから見るミラノ市街の光景も美しい。「ドウモ」屋上から降りて、ドウモ内部を見学、祭壇の壮麗さに先程と同じ思いをした。「ドウモ」を出て、次は地下鉄で三駅のスフォルツェスコ城に向かった。 この城は中世の城壁や要塞を残しており、中は美術館になっているが有料なのでパス。少し歩きつかれたので城を抜けて裏側にある広大なセンピオーネ公園の芝生の上にしばらく寝転ぶ。ちょうどイタリア人の「シェスタ」(昼寝)の時間でオフィスを抜け出た人が同僚と芝生の上でお話していたり、公園の中を散歩していたり、あるいはランニングしていたり。私達は芝生の上に寝転び、さわやかな空気に満ちた初秋の空をずっと見ていた。黙って空を見ているとなんとなく心の落ち着く思いである種至福の時間。休憩の後、城を抜け、午後の休み時間の人々で賑わうバールが沢山並んだ通りを散歩。ずっとそのまま歩いていくと、「ドウモ」に出た。 再び「ガレリア」を散歩したり、バールで休んでいる内に夜となった。昨夜アシスタントに聞いていた「ル・ジェンナーロ」という店に行く。しばらく探したが中は結構地元の人間で混んでいた。パスタ類を取り、ピッツアを取り、ビールとワイン。私は以前からパスタは日本が一番おいしいと思っているが、ここのパスタはまあまあ。ワインに酔って外に出ると、ドーモ横の大広場に若者達がいっぱい集まり、何か盛んに歓声を上げている。どうも、小さなボールを上に蹴り上げる競技の試合があって、地元チームが勝ったため、盛り上がっているらしい。多くの若者が群がる中、広場を歩いていると、向こうから「日の丸」に「闘魂」と書いた鉢巻をした若者を肩車した男女4人が少し酔いながら歩いてきた。私が気づき、「あ、日の丸だ」と指を差したら、相手もいちはやく気づいて寄って来て「おお、日本人」という感じで笑いかけ握手を求めてきた。 結局4人と握手し、何の打ち上げかわからないが健闘をたたえ合った。若者は世界中どこも同じで、理屈はいらない。この夜はその後地下鉄でホテルのある「リマ」まで帰り寝た。
by yuugean
| 2004-09-28 17:43
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