遊化の森

中秋の名月

  夏の終わりに激しい嵐が何本かやってきて、そのあとは静かな耀きに満ちた天候が続いている。今日の空は見渡す限り雲ひとつない、秋を予感させる空。気温はまだ30度近く上り詰めるが、朝夕には冷え込みさえ感じられる。5時に起床、コーヒー沸かし。いつもの儀式。そののち「坐忘」に時を過ごす。まったく「坐忘」でただ「無為自然」のままに座して、おそらく「天」あるいは「自然」が力の抜けた身中で行っていることをぼんやりと眺めている。それはある意味気持ちが良く、何時間でも続いてくれることを願う気持ちになる。
  別にそういう状態ばかりでなく、合間にテレビを少し見たり、そこから再び「坐忘」に戻ったり、別に何者にもとらわれず、決まりも強制もない世界に遊泳している。それがすむと「出神」にはいるが、「出神」「収神」の方法を変えて、そのまま続けている。すでに動くものは何もないが、あくまで「泥丸」は陽神の「本宮」であり、「泥丸」全体ーすなわち前頭葉、後頭葉から「脳幹」にいたるまでの「包括的な温養」を欠かせることは出来ない。その後無為自然の中で「五気朝元」が自然に始まる。
  体内内臓の「五気」、つまり心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓の「五つの内臓の気」がそれぞれのルートを通じて天頂から「太空」に立ち上っていく。まず心臓、肝臓、脾臓、肺臓に意識をおき、それらの「気」が気管を通じ「天頂」に上ることを意識する。一方でそれらの四内蔵より下部に位置する腎臓に意識をおき、その「気」が下って「生死か」から「督脈」を上って「天頂」にあつまり、先の「四気」と合一する。その「五気」は天頂より「太空」にのぼり帰っていく。それが「五気朝元」。それが済むとこんどは体内の隅々から「精と気」が「天頂」に立ち上って集結する。「神」はもともと「泥丸」にあり、「精・気・神」が天頂で合一するのが「三華聚頂」。
  この三つが集まった段階で無為自然に為し、さらに意識を後頭部、脳幹に心持ちずらすと、やがて「金光」が見えてくる感じになる。「金色」に見える「光」の中に「聖胎」らしき存在。次に意識を上げていって天上におけば、自然に「天花乱墜」が起こってきて自然に「頂門」が開き、「陽神」が立ち上っていき、天頂の外にある「光の車輪」の中に入って「内座」する。これらは一連の連続技で次から次へと繋がって現象が現れてくる。その中で「出神」、そして「収神」。
  今日は「太極拳」の日で、9時にいつもの通りの喫茶店で待ち合わせ。その後昌平小学校で修練。今日は八段錦、伸展法、24式太極拳、陳式太極拳、老架式太極拳をひととり全部やる。来週は「演武会」なのでおさらえする。終わっていまや「萌え」族のメッカと化した秋葉原を突っ切り、最近出来たヨドバシカメラの大型店を覗くが、人が多く入るのはやめて入口のすし屋で食事して帰る。夜は例の通り小宴。終わって外に出ると「中秋」の名月がひときわ明るく中天にあった。
by yuugean | 2005-09-18 19:49 | 2005
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遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける

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