遊化の森

医聖・李時珍が語る「奇経八脈」



◆「十二正経は計画的水路、奇経八脈は沼湖」
◆ 「奇経を熟知しなければ内丹を完成できない」
◆ 「奇経八脈を会得すれば、仙道の奥義を得る」

さて仙道にとって「奇経八脈」がいかに大切かを述べてきましたが、今日は宋時代・医聖
といわれた「李時珍」の考えを中心にみてみます。「奇経八脈」を開発し「気」を周流さ
せることが本格的「仙道内丹法」の始まりですが、修練に修練を繰返して行くと肉体的状
況(精)は「先天的な」肉体(精)の状況になってきます。その過程で「奇経八脈」は、
いわば「修練場」となって我々を導くのです。

李時珍はまず「経絡」についていいます。「人間の体には経脈と絡脈がある。直行する本
流を{経}といい、本流に出入りする支流を{絡}という。経脈は全部で十二、手にある
三陰三陽と足にある三陰三陽がそれ。絡脈は全部で十五ある。本流の十二経脈に各一つず
つ。それに{脾の大絡}と{督脈}{任脈}。これら十二経脈の気と十五絡脈の気、合わ
せて二十七気は、相互に作用しあって上下し、あたかも泉水の流れや日月の運行のように
休むことがない。陰脈の気は五臓に働き、陽脈の気は六腑に働く。陰脈の気と陽脈の気は
互いに連絡しあい、絶えず循環している。その気が盛大となって溢れると、奇経に入り、
奇経の気として性質を変えて、体の隅々まで行き渡る」


ここではじめて「奇経」の存在が姿を現し、その働きについて述べられます。李時珍はい
います。「奇経の働きは内において臓腑を温め、外においては皮膚を潤す。
奇経の八脈は、どれも十二正脈に、その働きや性質を支配されることはないし、十二正脈
のように一対になった表裏関係はない。喩えるならば、十二正脈は計画的に作られた{水
路}であるのに対し、奇経八脈というのはあちこちに点在する沼や湖である。水路である
正脈の脈気が盛大になれば、あふれて点在する沼湖の奇経に溢れ出していく」


李時珍の当時でも中国医学では、この奇経八脈は謎の存在だったようであまり注目されて
いなかったようですが、李時珍は「仙道」練達者でもあったわけで、この奇経八脈の重要
性に着目したようです。李時珍はいいます。「奇経については<素問・霊枢>にも書かれ
ていることはあるが、未だに本当の意味を発見する事が出来ないでいる。奇経八脈の説明
は散り散りになって、いろいろな書物に少しだけ書かれているだけなので、なかなかその
真意を汲み取ることができない。医学に携わる者が、奇経のことをよく理解しなければ、
病を治す方法や時期を知ることはできない。また仙道を学び、仙人になりたいと思って
も、奇経のことをよく理解しなければ、内丹を完成することはできない。」

  
李時珍はこうして奇経八脈の各脈について、詳しく中国医学的立場からの検証をしていき
ます。それは原典に譲るとして、要約で李時珍はいいます。
「奇経八脈とは、陰維脈、陽維脈、陰喬脈、陽喬脈、衝脈、任脈、督脈、帯脈の八脈。陽
維脈は人体の表を維持し、陰維脈は人体の裏を維持しているから<天地>に喩える。陽喬
脈は人体の左右の陽側を機能させ、陰喬脈は左右の陰側を機能させているから<東西>に
喩えられる。督脈は体の後で陽を総督し、任脈と衝脈は体の前で共に陰を統括しているか
ら<南北>に喩える。帯脈は諸脈を横に束ねているから<六合>に喩えて表現する」


奇経八脈には「このような深い意味が込められているので、医学を学ぶ者が奇経八脈の真
理を会得すれば、十二経脈と十五絡脈の奥義を極めることが出来るだろう。また仙道を学
ぶ者が奇経八脈の真理を会得すれば、仙道の奥義と言われる宇宙の機微に到達出来るにち
がいない」(李時珍「奇経八脈考」)。
by yuugean | 2001-10-07 09:39 | 内丹法を修練する
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