遊化の森

辻堂

 14日にM君の鎌倉のお宅へ慰霊に行った帰り、脚を伸ばして辻堂まで行った。鎌倉駅は若い海水浴客でごった返していた。その中を掻き分け、電車に乗り大船駅で乗り換えた。
 辻堂は、もう30年も前に住んでいた場所。新聞社の先輩のNさんの自宅があり、しばらく会っていないのでご家族にも会いたかった。そもそも私が辻堂に住んだのは、Nさんの紹介でPR会社のK社にスカウトされ、大阪から転居してきた時にNさんが見つけてくれたのが、辻堂のアパートだった。当時は木造で階下に1DK、二階に6畳がある2DKだった。
 大阪からここに引っ越して、東京駅前のK社まで毎日通勤した。長男が生まれたのもここにいる時だった。長男は子供のころからやんちゃで、1-2歳のころは近所の総合病院まで行って、その前を走る東海道線が走ってくるのを見たがった。時には踏み切りまで歩いていくと聞かなかった。電車が近づいてきた時などははらはらした。
 2-3歳になると、駅のそばの東光ストアに行きたがった。お目当ては5階の玩具うりばにある「ミニカー」だった。日曜ごとに連れて行くようせがんだ。そして何か1台買わないと床にねっころがって言うことを聞かなかった。そのうち、家にはミニカーの山が出来、梅酒びん2杯にミニカーが詰まっていた。長男がむずがった時連れて行った総合病院の前庭もなく、東光ストアも今はない。住んでいたアパートのあたりは再開発されて大きなビルが2,3棟建っていた。
辻堂から毎日東京駅前の会社に帰った。その頃は年も若く、仕事も面白かった。なぜか酒もよく飲んだ。会社の若い連中と表参道や渋谷、新宿、仕事で銀座のバーにはよく行った。当時は経済は右肩上がりで、日本の未来にはかすかに光が見えていた。辻堂には4年ほど住んで習志野に移った。


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by yuugean | 2008-08-15 06:37 | 2008
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