遊化の森

光背

4時起床。今朝はこの冬一番の寒さのような気がする。暖冬気味であった「冬」にもついに「寒波到来」か。これを待ち望んでいた人達もいる。スキー業者、スキーバス業者、ある種交通機関、灯油業者、衣料業界、暖房器具業者、その他。朝起きて例の如く洗顔、コーヒー沸かし。そして一回目の坐忘。体内に「目光」「耳光」を周回させる。前回に確か書いたと思うが、これまで最初の「出神」以来約1ヶ月が経過した。この間最初に「出神」後に行っていた、「意識」の「拡大・収縮」の方法を変更した。また「法身」について、初めは肉体全体の中にぴったりと張り付いている、もうひとつの存在を意識し、それに対して「目光」を周回させることをやっていた。そして「出神」するのも、この「全体」に張り付いた「法身」を出す積りでいた。それはそれで間違いではないと思う。確かに肉体に寸分違わず張り付いている「幽体」的な存在を認識することは出来るし、「スライム」状のそれを出し入れする事も不可能ではない。しかし最初からちょうど1ヶ月経過したしたぐらいの時、天来の「声」あって方法を改め、やはり出し入れするのは「泥丸」(黄宮)すなわち脳内にある、20㌢前後の「法身」へと切り替える事にした。こちらのほうが現実に近い気がする。「坐忘」時に意識をより多くかけるのも「泥丸」内の「法身」が中心。様々な「試行錯誤」の中から、ひとつの方法が会得されていく。「出神」ののち、「意識」の「拡大」を最大限まで伸ばしてやっていたが、これはもっと「法身」自体が固まってからでないと損傷を及ぼすかもしれない気がしたからだ。そして「法身」を脳内のそれに切り替えたのは試行錯誤の中で実感されたもの。こうして坐忘にはいり、時間をかけると、徐々に脳内の「法身」の姿がはっきりとしてくる。「光」の存在も自覚される。それは我々が「仏像」の「光背」に見るような形の「光」だ。直径1㍍ぐらいの少々楕円形をした「光」。それが坐忘時においても感得される。第1回目の坐忘の後少しインターバルをおく。このインターバルを経て坐忘を再開。坐忘はさらに深まる。この時、「光背」の如き「光の輪」をまず外に出し、それとほとんど同時に、一緒に「法身」がゆっくり上がっていく。この時は「意識」はかけず、「無為自然」のままに為す。自動的に上がっていった「法身」が全部外界に出たことが認識される。下丹田の周辺から、板のようなフタが上がってきて天頂にフタをする。頭上にいる「法身」は、意識をかけるとしだいにはっきりとしてくる。意識をかければそこここに「圧力感」が現れ、座位の「法身」が明確に認識される。そのまま「無為自然」に為し、また後に意識を「法身」に周回させる。頭上の「法身」に意識をかけ、「大周天」を三回行えば、その意識の動きは「肉体」の方の私の手足に「連動」していることが認識される。その後周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻す。天頂の内に完全に「法身」が入ったのを確かめ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘終了。今朝の修練はそこで終わる。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス。午後は一時に神田のn社長の事務所に立ち寄り、少し談笑。その後経済産業省。さらに三時から新宿高層ビルのh社。しばらくここで会長と部長とで打合わせ。帰りのエレベーター前で旧知のh氏と立ち話。仕事終了後、いつもどおりささやかに鍋で小宴。いつもどおり談笑を楽しむこと2時間。終わってその後パソコンに取り付き11時。坐忘の後、12時前睡眠。
by yuugean | 2003-12-05 10:47 | 2003
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