遊化の森

老子と伊喜

4時起床。朝起きて歯磨き、コーヒー沸かし。その後坐忘。坐忘に入り、眼をつぶりただ無為にあれば、自然が身体の中でひとりでに動くのが判る。無為というのは誤解されやすい概念だが、「無」に徹する事、心に何の動くものないこと、意志で図るもののないこと、何もない「虚」の世界、それを感得すれば、自然が身体の中で動き、心耳、心眼でそれを見ている自分のみがただあう。心と身体の中でその時動くものは命の動き、大自然の動き。「無為自然」とはこういうことだと思う。心には何の動意もない。最近しきりに「老子」のことを思う。ことに老子が函谷関で関所の役人尹喜(インキ)と出会い今日「道徳経」といわれる五千字文を渡す場面、この老子と尹喜の出会いの場面がなぜか気にかかっている。いつも出てくる。今日では老子のことはよく知られている。しかし相手の尹喜についてはそれほど知られていない。尹喜もまた、仙道の道士として中国では名前が知られているようだが、日本では尹喜のその後の生き方なども何も知られていない。しかしこの老子と尹喜の出会いの場面こそ、歌舞伎の「勧進帳」にみる弁慶と富樫のような「名場面」に思われてならない。尹喜についてもっと調べて見たいと思う。天気予報によると来週には梅雨明けのようだ。すでに東海、西日本は梅雨が明ける様子だ。ビジネス面でまた情報が耳に入っきた。今日、以前仕事を一緒にやっていたh氏から携帯に電話があった。h氏は証券大手のn社のベテラン営業マンだった人間だが、いまは私の知人のkさんのところで働いている。彼がいうにはkさんの仕事が順調で今度新宿住友ビルに越すという。社員もすでに60名を越しているという。kさんと一昨年会ったときは新宿の小さな古ビルだったが、この二年のうちにビジネスで成功したようだ。今のような時代にも波に乗れるビジネスをkさんが見つけたのだと思う。一度ゆっくり会ってみたい。この間からアメリカ人のbさんやこのkさんのことなど旧知の知人の情報がいろいろ入ってくる。いずれも「切った張った」のビジネスの世界だが、私も少しは戻って見るかという感じが強くなったいる。いまは安定しているが変化がない。この安定を保ちながら、同時に変化の大きい世界に再び脚を入れることになるのだろうか?そんな気がする。「斬ったはった」の世界に戻ること自体には少しは躊躇がある。仙道の修練も山場を迎えている。しかしそこは男にとっては魅力がある世界だ。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス、午後から経済産業省。仕事を終わり今日は例によって小宴。取り留めなく談笑の後。終わってその後パソコンに取り付き12時から坐忘。1時少し前睡眠。
by yuugean | 2003-07-25 17:44 | 2003
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