遊化の森

良寛と会津八一

5時起床。起床後、洗顔、コーヒーを沸かし、その間に少し坐忘。その後パソコン。今日から明日にかけて仕事がらみで新潟へ。7時15分家を出てs君と待ち合わせ、k経由大宮へ。大宮から「とき」で新潟。仕事が終わり、時間があったのでバスに乗って50分、市外横越村の「伊藤家」へ行く。ここは越後一の「豪農」の館。現代は「北方文化博物館」になっている。9000坪の敷地にいくつかの建物が点在し65の部屋がある、大きな屋敷。中には7代目当主が集めた縄文土器、石器などに混じり、良寛の書や会津八一の書などが展示されている。しかし圧巻はその「豪邸」そのもので60数人の使用人を擁した日本有数の豪農の生活ぶりが忍ばれる。陶器、漆器など調度品、鍋釜など当時のまま残されている。客間にはいまの季節にふさわしく、大きな内裏雛が一対飾ってあった。またバスに乗って新潟へ帰り、終点の「古町」で下車、こんどは「伊藤家」の別邸を見る。ここにも良寛の書と会津八一の書画が展示されている。良寛はいずれ本格的に研究したい対象であり、会津八一は中学生時代にその存在を知り、考古学者として絶妙の書をかく人として、あるいは歌人としていつも興味をもってきた。私の師で一時茶道の掛け軸としては最も値の高かった東大寺の清水公照管長(故人)の書に極めて骨法が似た書、好きな書だ。八一はここで晩年の20年間を過ごしたという。伊藤家の当時の当主とは学友であった縁で、早大名誉教授を退官した後の八一は故郷の新潟で過ごし、この家の洋館に住んでここで死んだ。そう思ってみると良寛と八一には縁があるように思われる。そのあとホテルオークラに入り、夜は和食堂でカニと鰤のコースをいただく。「越の寒梅」はさすがに名酒。酔い心地は何ともいえない。その後町に出て飲み屋街を散策して11時ごろ就寝。
by yuugean | 2003-02-08 02:49 | 2003
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