遊化の森

奥の院

朝4時起床。障子を少し開け、池からの涼やかな風を受けながら約1時間坐忘。夜が白々と明けていく。集中は進み、深化する。いつもどおりの坐忘。余り強くない冷ややかな気が体内を巡る。ただ坐忘のままに任せる。5時過ぎにはs君も起きる。洗面などして待つ。6時前に寺内の鐘がなり、勤行の始まりを告げる。院で修行中の真言僧は5人。今日のお勤めの部屋は置くの大きな部屋。入り口で「塗り香」を掌にすり込み穢れをとる。本尊の周りには、この院ゆかりの人達の位牌が何段にも祀られている。中に「英昭皇太后」の名も。勤行始まり、最後部の列で参加する。途中で我々二人が呼ばれ、本尊の前に招じ入れられる。そこで焼香。礼をして下がる。真言宗の勤行参加は始めてだが、途中から真言が読み上げられ、関連の霊位の名が読み上げられていく。ずっと両手を合わせ境地を無にしていると祈りは本尊との対気のようなかたちで宙を舞っていく。朝食の後、奥の院へ。各大名の大きな墓石などが並ぶ参道、両側にはうっそうとした大きな老杉の並木が続く。奥の院は一番奥で、さらに置くに弘法大師のいる箇所がある。弘法大師は入定の後も生きているというのが高野山のきまり、線香を上げお祈りする。僧空海・弘法大師には何度か助けていただいたという思いがある。10年前、行をやっていて高熱が発生し、クンダリー二・ヨーガのような状態になった。身体の熱が下部から這い上がって、何もやっても下がらず、あすは熱が頭に入って死ぬと思った夜、ふと弘法大師が現れ「仙骨に冷たい月を瞑想」という言葉が頭に浮かんだ。その通りやると、翌日の朝には平熱になっていた。そのお礼を弘法大師に言わなければならなかった。僕にとって今回はそのための旅。他にも弘法大師との縁を感じることいくつかあり。帰りは諸大名の墓などみる。前田家、細川家など成功した大名に混じって明智光秀、石田三成など悲運の武士も一緒に眠っている。芭蕉の句碑、其角の句碑。その後清浄心院に戻り、荷物をとって別れを告げる。若い僧は、高野山は夏は下界より7,8度涼しいが冬はマイナス12度になるという。そういう気候に慣れているので、夏下界へ行くと暑くて大変ですという。その後根本中堂、金堂、霊宝館など見て、ケーブルカーへ。予定より早く12時ごろの特急で難波に向かう。難波でに食事はカツどんと生ビール。これは精進料理の反動。その後梅田で時間を過ごし、午後五時の新幹線で東京へ。池袋に出て、帰途に着く。今日は疲れたので、そのまま就寝。
by yuugean | 2002-08-10 18:00 | 2002
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