遊化の森

人生は人の織りなす布

本日は4時起床。というより2時過ぎから眼が覚めていたが、太極拳の日でもあり体力温存のため床を離れなかった。4時をまって起き窓をあけると、すでに夜は明け、空はまだ乳白色のまま白夜のような明るさに変わっている。名も知らぬ鳥が近くの梢の高みから、さかんに朝の囀りを始めている。コーヒーを沸かし、坐忘少々。その途中でまたやってきた「過去の穴」。昨日に引き続き、あれより一時代前サラリーマンから独立してPR会社を始めた頃にタイムスリップした。人生は誰の人生も、人と人とが織り成す織物で出来上がっていく。父母兄弟姉妹、妻子、そして友人、師。人生に出会う様々な人が次のステージを作り出してくれることがよくあるが、僕の場合、そのうちの一人は明らかに故・清水公照師。清水公照師は東大寺管長をやられた方だが、最初にお会いしたのは中学時代、まだ名もない時代だった。書画をよくされ、俳句会で先生の短冊が賞品だったことがある。後年、先生は書で有名になられ、茶掛(茶席の掛物)では日本一の評価を得られた。まだ中学時代に僕は先生に生意気にも「先生の書画は富岡鉄斎ですね」と手紙に書いたことがあった。後年その方向に先生の作品はあったと思う。色紙など何点か頂いた。成人しても奈良へ行くたびに先生の塔頭を訪問しお話をした。僕がサラリーマンになってPR会社で伊藤忠商事を担当していた時、新幹線も中でいろいろとお話し「もし丸紅だったら、社長を紹介するよ」と言われた。その時は聞き流したが3年ほどして3人で会社をやめ独立した時、奈良・東大寺に出向いて「丸紅社長を紹介して下さい」とお願いに行った。当時の丸紅社長は元通産次官の松尾泰一郎さんで、清水先生とは中学時代の同窓だった。当時丸紅は例のロッキード事件のあと、松尾社長がいろいろ腐心されていた。清水師はすでに東大寺の執事長になっておられたが、多忙の中で僕のために巻紙に筆で僕の紹介状(松尾社長宛)を書いて頂いた。僕はそれを持って秘書の中藤課長(後の丸紅不動産社長)を通じて紹介状を出し、広報関係の人達に紹介してもらった。これが縁で新しく丸紅と契約。発足間もない会社の基礎のひとつを作ることが出来た。清水公照師はその後東大寺管長となり、昭和の大修理と言われる大仏殿再興の工事の指揮を取られた。そのため、よく東京にこられたが三井本館の三井金属(大修理を請け負った会社)の中に分室があり、そこで何度かお会いし、赤坂の料亭にもご一緒した。そこは先生の書のファンの料亭で通された部屋いっぱいに先生の書が展示されていた。後年、僕が他のルートで三井金属の仕事をするようになるが、これも奇しき縁であるような気がする。僕にとっては清水公照師は本当にお世話になった方、クールで少々斜に構えたところもあったが、根はちゃんと見ておられやさしく接していただいた。遠くはるかにご冥福をお祈りするばかり。
9時秋葉原、ドトールで待ち合わせ。9時20分会場の童夢館へ。今日は八段錦、伸展法、24式、88式でバンランスイの個別指導。昼食は天ぷらと生ビール。動いた後の生ビールはうまい。帰りjr神田駅で頭を水色と黄色に塗った白人親子などいる。京浜東北線に乗って、多分浦和へ。スェーデンのサポータではるか日本まで来た親子。帰宅後少憩。テレビでサッカーw杯、スェーデン対イングランド。1対1.その後風呂。夕方から今日は家で友人とテレビ観戦しながら飲む。アルゼンチン対ナイジェリア。2対0。終わって友人が帰宅。その後韓国で行われているスペイン対スロバキア。その後就寝。
by yuugean | 2002-06-02 05:06 | 2002
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遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける

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