遊化の森

分身

5時30分起床。徐々に春めいてきた。この三月は雪が降り、寒気が訪れ何かしら常ならぬものがあるともう。若いころにはこういう三月であったと思う。だとすれば今の気象は昔に戻りつつあるのかと思う。早朝いつも通りの「儀式」、そして「坐忘」のなかから自然に「出神」へ。このところ10日ほどずっと新しい変化が現れている。それは「出神」においても、収神においても「意識」は「陽神」そのものの、自ずからの動きにまかせて、ゆっくりと出て行く。最近は「陽神」の内部にあるということ。「出神」において、「意識」は「陽神」の内部にあって、そのままゆっくりと立ち上っていく。外にあっても常に「意識」は「陽神」の内部にあって、それが外部を遊泳する。その時なぜか現実の肉体の「顔」はいつも外の「陽神」のあるく方向にむかっていく。それはまるでレーザーを追尾するパラボラアンテナのようだと思う。その時に思うことは、それでは「現身」の「意識」はどこにあるのだろうか。「陽神」の側に行っている「意識」が真実の「意識」なのか。はたまた「現身」に残り、「陽神」の行く先に向かって向いている「意識」の側にあるのだろうか。あるいは双方に「意識」はあって、「分身」化しているのだろうか。それについてはまだ判らない。これからの「体験」によって次第に明らかになると思う。
by yuugean | 2005-03-19 16:08 | 2005
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