遊化の森

カテゴリ:2004( 59 )

無人為天然

5時起床。金曜日というのは、以前はなんとなく「うれしく」感じたものだった。週の終わり、明日はまる一日修練できる、時間を気にせず「坐忘」をしていてもいいと思うと心の余裕が生まれたものだった。いまはしかし、そうはいかない土曜日もたいがい出ずっぱりで何かやるべき仕事がある。きょう起きて、コーヒー沸かしの後、相変わらずの「儀式」を済ませ、いつもどおり、「坐忘」-「出神」。いつものとおり朝の修練。その中で天からの声?があり、ふと「無人為天然」というフレーズが天下ってきた。すなわちこれは「人為を無くし、天のなすままに任せる」とでもいおうか。いまの「修練」の要諦だと思う。前段階の「天地呼吸」においても、まず足から地中に「気」がおりていくが、これも自然に任せる。決して「人為」を加えない。また地中の「底」に到達して、こんどは下から「地」の「気」が湧き上がってくるのを、いつまでも待ち、決して「人為」を加えない。同様にその「気」が督脈を通り、天頂から「天」に向かって行くときも自然に任せ決して人為を加えず、この「気」が「天」に到達して下に下りてくるときも人為を加えずに、自然の「動意」を待って下ってきた「気」の柱を体内に入れるのも人為を加えない。「出神」も同様で、まず「光」の輪(あるいは球)が体内から出て行くがそれも決して人為でひっぱたりしない。その後「胎」が出て行くが、これも自然に動き出し、ゆっくりと自然に体外に出て行くまで待ち、人為を加えない。「収神」も同様で「人為を無くし天の姿のままに任せる」、これすなわち「無人為天然」のこころ。
by yuugean | 2004-12-18 16:51 | 2004

龍の姿

時起床。このごろ忙しいせいか、家でいつの間にか眠っていることがある。昨夜もコタツで10時ごろに眠ってしまい、気がついたら2時を過ぎていた。ベッドに入りなおして、寝たもののもうこうなると頭が冴えきって眠れない。覚悟を決めて、ベッドの中で、「気」を体内にめぐらして、4時になったらベッドを離れた。最近はこういうことが何度かある。結局あまり多くの時間眠っていないが、3時間でも4時間でも眠れば、あまり疲れない。昔は、あまり眠らないと次の日、仕事にはならなかったが、いつもどおり普通にやっていけるようになった。朝起きてコーヒー沸かし、洗顔、歯磨き。いつもどおり自家製にんにく酒少々。自家製ヨーグルトに黒ゴマ・きな粉、蜂蜜、ブルーべリーを混ぜたもの。それから若干のいつもの「儀式」。その後いつもどおり、「坐忘」-「出神」。いつものとおりの朝の修練。このところ、その前段階でやっているのは「天地呼吸」。まず足裏から、地中深く「気」の感覚をおろしていく。どんどんおろして地球の中心までいく気持ち。そういて待つと、やがて下から「地」の「気」がわきあがって来る。感じ方は日によって若干違うが「地」の「気」が勢いよく湧き上がり、足を伝わり、仙骨から、督脈に入り頭頂へと向かう。頭頂から今度は天に向かって上昇。天の中心に向かう感じで昇っていくと、「天」の「気」と合体。しばらく保持すると、今度は「天」の「気」が頭頂に向かって下降を始める。それはおおむね、白い光の「柱」となって頭頂に降り注ぎ突き刺さり、体中に入ってくる。頭ー肩ー腕ー胴ー足と白い「光」が染み渡っていく。これの繰り返しを五回。いい気分になる。古伝仙道では、これを「大周天」という場合もあるようだが、それは「金液還丹」という修練とダブっているからではないかと思われる。「金液還丹」ではその「光」を「奇経八脈」に周流させるから、「大周天」という言い方もできると思われる。中国で「気」の流れるさまは「龍」の動きに例えられているが、実際「龍」という想像上の動物は宇宙「気」を見て思いついたに違いない。「天地呼吸」で地中から体内にはいり、天に昇る「気」の流れのさまは、「昇り竜」そのものだし、天から降りてくる白い「気」の流れは白龍が下るさまに等しい。そのときふと思ったのだが、高藤さんの本で言われている「大周天」というのは、この「金液還丹」全体の修練のなかの「督脈」の部分をそう呼んだものではないだろうかという点だ。その後オフィスへ行くまでに満員電車のなkで「出神」うぃ1回、また昼食後、喫茶店で1回、その後霞ヶ関へ行く地下鉄のなkで1回。合計4回しかできていないが、まあこの状況ではやむを得ない。仕事を終わり、家に帰ったのは10時だった。
by yuugean | 2004-12-14 16:49 | 2004

太極拳の日

  5時起床。いつものとおりの日曜日。今日は暖かく24度まで気温があがるという。やはり師走。土日にかけて、仕事をひとつ完成させる予定でデータをメールでオフィスから送り、それを開くソフトもインストールしたが、マニュアルをオフィスにおいたままで、そこに認識番号が添付してあったので、結局ソフトが開けず、データも開けない。何か少しちぐはぐになってしまった。それで前準備のデータ作りをして、なんとなくお茶を濁した感じ。
  朝早速いつもどおり、「坐忘」-「出神」。いつものとおり朝の修練。どういう状況でも、早朝と深夜寝る前の修練は欠かさない。それが肝心なことと考えている。その間の修練は日によって回数が変わる。これも原則4回ぐらいにしてあとはあまりこだわらない。そういう方針でやっていかないと、仕事と修練同時に優先の生活はできない。「出神」でやっていることは、結局本来の「意識」を「陽神」のなかに刷り込む「転写」の作業ではないかという気がする。そのための「定像化」であり「温養」であるように思う。
  きょうは「太極拳」の修練。いつもどおり2時間、たっぷりと八段錦、伸展法、簡化式、高力拳、老架式の修練。やはりこの頃は老架式がだんだんと楽しくなってきている。呼吸を合わせていけば、おのずから気が回る。それが手に取るようにわかる。終わって「万世」でビールつき昼食。その後家に帰って入浴して小宴。今夜は外でやることにして8時過ぎ終了。その後自宅でテレビなど見ながら何となく時間は過ぎて12時前、「坐忘」の後就寝。
by yuugean | 2004-12-05 18:44 | 2004

転写

時起床。いつものとおりの日曜日。今日は暖かく24度まで気温があがるという。やはり師走。土日にかけて、仕事をひとつ完成させる予定でデータをメールでオフィスから送り、それを開くソフトもインストールしたが、マニュアルをオフィスにおいたままで、そこに認識番号が添付してあったので、結局ソフトが開けず、データも開けない。何か少しちぐはぐになってしまった。それで前準備のデータ作りをして、なんとなくお茶を濁した感じ。朝早速いつもどおり、「坐忘」-「出神」。いつものとおり朝の修練。どういう状況でも、早朝と深夜寝る前の修練は欠かさない。それが肝心なことと考えている。その間の修練は日によって回数が変わる。これも原則4回ぐらいにしてあとはあまりこだわらない。そういう方針でやっていかないと、仕事と修練同時に優先の生活はできない。「出神」でやっていることは、結局本来の「意識」を「陽神」のなかに刷り込む「転写」の作業ではないかという気がする。そのための「定像化」であり「温養」であるように思う。きょうは「太極拳」の修練。いつもどおり2時間、たっぷりと八段錦、伸展法、簡化式、高力拳、老架式の修練。やはりこの頃は老架式がだんだんと楽しくなってきている。呼吸を合わせていけば、おのずから気が回る。それが手に取るようにわかる。終わって「万世」でビールつき昼食。その後家に帰って入浴して小宴。今夜は外でやることにして8時過ぎ終了。その後自宅でテレビなど見ながら何となく時間は過ぎて12時前、「坐忘」の後就寝。
by yuugean | 2004-12-05 16:48 | 2004

回数

いよいよ12月。寒さ一段と募る。師走。この頃はこういう言い方もしなくなったが、なにか気ぜわしい感じなのは、やはり師走。11月に新しいプロジェクトを始め、なにもかも一新。そこへもって来て、長年親しんだデスクトップ・パソコンがダウン。救えなかった一部データをどうやって復旧するか、少し心が重い。11月から、1日7回の「出神」をやるべきだが、せいぜい4回どまり。早朝起床して、いつものとおり朝の修練。そして出勤時、電車の中、そして地下鉄の中。少し立て続けという感じだが、やむを得ない。その分回数が稼げる感じだが、さらにその後昼食後に喫茶店で1回「出神」の修練をし、その後仕事で外出時にさらにもう一度。今日は出先の役所のロビーの片隅で20-30分ほどこれに費やした。回数が増えるにしたがって、それがひとつの習慣となる。なにかそれをやらないと気持ちが悪い。下丹田、中丹田、上丹田に順に「回光」すること五回。意識の変性状況が現れると、出神が始まる。早朝の1回目はまだ目覚めていないのか動きが鈍いが、回数が増えていくに従って次第に形が明確になり、「固く」なっていく。このときいつも、この「意識体」に意識をかけ「定像化」、さらにこの「定像」の中に意識を注いでいく。次第に頭の背後の「光の壁」が広がり、それに対して「回光」する「壁観」の修練。「出神」を終えて「収神」に移るが、この時のマニュアルは、まず上丹田ー中丹田ー下丹田の順でしばらく温養しながら収めて行き、最後に順序を逆に上って「上丹田」に収める。
by yuugean | 2004-12-01 11:30 | 2004

光の壁

朝五時起床。いまの五時はまだ暗く、窓からわずかに見える暗い空には、きらきらと寒空に星が輝いている。私にとって「仙道内丹法」の修練はもはや日常茶飯。目を覚ましトイレに行き、コーヒーを沸かして、少しいつもの行事をやって、その後に「坐忘」。文字通りいつまでも、忘れるほど座っていたいところだが、朝7時15分に家を出るこのごろでは、落ち着いていつわけにもいかないのが実情。11月に入って、原則1日7回の「出神」をやることになっているが、いまのところはせいぜい4回どまりとなっている。「達磨の法」に従えば2年目からは7回方式というのだが、1日7回というのは、結構大変。それよりも、このところ修練しているのは「出神」時におけるマニュアル化。まず、下丹田、中丹田、上丹田に「耳光」「目光」を「回光」すること五回。しだいに意識の変性状況が現れる。それとともに、天頂から下丹田へ光の「円筒」のようなものが見られるようになり、次にイメージで天頂が明けていく。その後体内から「もや」とも「うすい光」とも見えるものが円筒の中を立ち上っていき、やがて外に出る。しばらく静かにしていると、やがて天頂の上に「液体」とも「気体」ともつかぬ質量のないモノがあるのが、霧が晴れるように現れてくる。意識をかけると、人型とも見えるものでこれは、いわゆる「定像化」というべきものだろう。この段階でさらにこの「定像」の中に意識を注ぐ。元来がこれは「意識体」であり、そこに「意識」をかけるというのも、ある意味「妙」ではあるが、「耳光」「目光」を「回光」すること五回。次第にいい気持ちになってくる。次に頭の背後に目を凝らすと、仏像の「後光」のような「光の壁」が仄見えてくる。これに対し、同じく「耳光」「目光」を「回光」すること五回。その「光の壁」はいわば宇宙の天まで続いており、「壁」のようにつながっている。この「壁」に意識をかけ「耳光」「目光」を「回光」すること五回。達磨太子の「面壁九年」は有名だが、「壁観」という言い方もあり、これは現実の「壁」ではなく、この「光の壁」に向かうこと九年という意味ではなかろうかという気がする。「出神」は早朝、出勤直前、地下鉄の中、喫茶店、図書館、事務所、どこでも可能になりつつある。ただこの間、木々の茂る自然の中でやったら、非常にスムーズな感じがした。いつかは週末には近くの山に行って山歩きをしながら、「坐忘」する日が来るような気がするが、果たしてそれはいつの日か。
by yuugean | 2004-11-26 11:23 | 2004

忙中閑なし

11月はなぜか諸方多忙であった。10月はじめにイタリアから帰って、少しはのんびりとこれからの行く末、越し方を見つめていたいと思っていたのに、急に11月1日から、これまで立案してきた新プロジェクトのひとつをスタートさせることになった。まあ、この仕事は私の思想にもあっており、これからの分野なので、営業的な面はとにかく、仕事としてはおもしろい。その私のプランに旧知のS社長が乗り、パートナーとしてやっていくことになった。S氏は20代後半から自分で会社を持ち、いい時代もあって千代田区中心に小ビルをいくつか所有している。そうかといって考え方は綿密でロータリークラブの活動などにも熱心。最初私の新しいプランは別のK社長のところに持っていく計画で、資金の豊富なそこでやってくればいいと思っていたが、ただ少々向こう見ずで荒っぽいなど二、三の難点はあった。S社長はその点、堅実で将来の見通しも確か。それで11月1日から新プロジェクトとして、私が中心になっていろいろ動き回らざるをうなくなった。一方、10月後半から、デスクトップ・パソコンの具合が変になってきた。もう4年以上使っており、「寿命」が第一の原因。まず液晶ディスプレイが変になり、熱をもちようになった。あれこれ自己で修理やったり空冷装置をつけたりしたが駄目。それでネットで中古液晶を買い、なんとかその場をしのいでいた。それから1週間すると、こんどはハードディスクが何やらギーコギーコ音がするようになった。ネットで検索すると、こういう状態になってまもなくHDがダウンしたというケースが多い。あわてて、バックアップし、多くは採録した。HDを外し、ハードディスク・ケースに収めて、別のパソコンからデータを読み出すこともした。
それでも少し救えなった記録があり、作かけのホームページもどこに入っているのか判らなくなった。そういう状況で、新プロジェクトの立ち上がりと、パソコンダウンによる修復に時間を食って「忙中閑なし」の状態。早速新しいデスクトップ(17インチ液晶)を買ったが、まだデータが元に戻るには少し時間がかかる。仙道修練は相変わらず続けており、1日4回ぐらいの「出神」をいかにやるか。どこで、いつやるかに腐心している。
by yuugean | 2004-11-25 11:25 | 2004

新プロジェクト

 11月はなぜか諸方多忙であった。10月はじめにイタリアから帰って、少しはのんびりとこれからの行く末、越し方を見つめていたいと思っていたのに、急に11月1日から、これまで立案してきた新プロジェクトのひとつをスタートさせることになった。まあ、この仕事は私の思想にもあっており、これからの分野なので、営業的な面はとにかく、仕事としてはおもしろい。その私のプランに旧知のS社長が乗り、パートナーとしてやっていくことになった。
  S氏は20代後半から自分で会社を持ち、いい時代もあって千代田区中心に小ビルをいくつか所有している。そうかといって考え方は綿密でロータリークラブの活動などにも熱心。最初私の新しいプランは別のK社長のところに持っていく計画で、資金の豊富なそこでやってくればいいと思っていたが、ただ少々向こう見ずで荒っぽいなど二、三の難点はあった。S社長はその点、堅実で将来の見通しも確か。
  それで11月1日から新プロジェクトとして、私が中心になっていろいろ動き回らざるをうなくなった。一方、10月後半から、デスクトップ・パソコンの具合が変になってきた。もう4年以上使っており、「寿命」が第一の原因。まず液晶ディスプレイが変になり、熱をもちようになった。あれこれ自己で修理やったり空冷装置をつけたりしたが駄目。それでネットで中古液晶を買い、なんとかその場をしのいでいた。それから1週間すると、こんどはハードディスクが何やらギーコギーコ音がするようになった。ネットで検索すると、こういう状態になってまもなくHDがダウンしたというケースが多い。あわてて、バックアップし、多くは採録した。HDを外し、ハードディスク・ケースに収めて、別のパソコンからデータを読み出すこともした。
  それでも少し救えなった記録があり、作かけのホームページもどこに入っているのか判らなくなった。そういう状況で、新プロジェクトの立ち上がりと、パソコンダウンによる修復に時間を食って「忙中閑なし」の状態。早速新しいデスクトップ(17インチ液晶)を買ったが、まだデータが元に戻るには少し時間がかかる。仙道修練は相変わらず続けており、1日4回ぐらいの「出神」をいかにやるか。どこで、いつやるかに腐心している。
by yuugean | 2004-11-04 18:52 | 2004

「出神」の間に「仕事」

文化の日。少しは文化的なこともしなければ、、と思って、当初は上野の森で開かれている「フィレンツェ展」を見る予定だったが、昨夜久しぶりに日本酒を飲みあったので、少し頭がふらふらし、今日の予定はキャンセル。やはり日本酒は体質に合わない。ウイスキーならば何ともないのに、日本酒、焼酎はどうも後に残ってしまう。年々その度合いが高まっている気がする。「キャンセル」したのは、しかし、酒のせいばかりではない。このところ、これまで準備してきた新しいプロジェクトを立ち上げ、11月1日から予備段階のスタートとなったからで、これを成功させる為には、まず私自身が最初の何ヶ月、あるいは何年かはかなり努力精励しなければならないわけで、「文化の日」もいろいろその為の「資料調べ」や「企画探し」のデスクワークで潰れてしまう状況となっている。考えてみれば、これも「文化」的なプロジェクトといえなくもないのだが、、。そんなわけで、1日パソコンや資料といっしょに過ごし。合間にアメリカ大統領選の経過などのテレビをみた。またs君が4時から4チャンネルで「ミケランジェロ」関連の番組をやると教えてくれたのでこれを観る。ついでに、彼がこの間教会から借りてくれたいた「イタリア美術」のビデオも見た。結構「文化的」な日。5時起床。コーヒー沸かし、その他いつもの慣例の儀式。それから「坐忘」。11月に入って、原則1日7回の「出神」をやることになっている。これは「達磨の法」に従って2年目からはこの方式となったもの。1日7回というのは、結構大変であくまで目標としても、早朝、出勤直前、地下鉄の中、喫茶店、図書館、事務所、、これだけでも5回。実際こういった場所で約3時間に1回ずつ「出神」修練をやらないと達成は難しい。従ってこのごろは、事前にあまり構えないで、当たり前のことのように無頓着にどんどんやっていくと、それのほうが却ってスムーズに行く気がしている。自分でも「出神」の合間に「仕事」いているのか、「仕事」の合間に「出神」しているのか、どちらだ!という気がするくらい。
by yuugean | 2004-11-03 11:28 | 2004

出神と脱糞

6時起床。やはり10日間海外へ行けば、旧に復するには10日ぐらいかかるのだろうか。以前は朝4時には目が覚めていたが、今は6時にならないと目が覚めない。帰国してすぐに「演武会」などがあり、身体を酷使している感じもある。今回のイタリヤでは同行のS君のカソリック旧跡を周りたいという希望を入れ、10日間でミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ、ナポリと延泊までして主要都市全部をまわり、おまけにサン・マリノ共和国、アッシジのフランチェスコ修道院、ポンペイを見てまわった。前回のイタリアは仕事だったので、観光はあまりできず、今回は観光スポットを総ざらいした感じで、身体的にはきつい。私としては、フィレンツェの城の背後の大きな公園での昼寝とか、ローマの広壮なボルゲーゼ公園で二人で演じた太極拳とか、そういった市民が憩う場所での「のんびり」とした時間のほうが好きだった。この次行く時は、ローマとベネチアぐらいにして、街の中で観光客としてではなく、いかに市民同様に「ゆっくり」過ごすかという点に視点をおきたい。今日は日曜日なので6時起床、歯磨き洗顔ののちコーヒー沸かし。それからいつもどおり「坐忘」ー「出神」-「収神」の修練。こちらのほうは既に旧に復した感があり、あまり手間取らずに通常修練に入れる。最近思っていることは、例えは悪いが「出神」は、「脱糞」と同じようなものではないかという感想。神聖なる「出神」を「脱糞」に例えるのはどうかと思うが、両方とも定期的に出来るだけ決まった場所で執り行うのが望ましいということ。それと、基本的には決して無理をせず、自然に行動がはじまるのを待つということ。そうすると、双方とも「動意」があり、ごく自然に身体から出て行くということ。ゆうくりと何の力も加えずに「自然」おままに任せるほうが気持ちがいい。そして、それは本人には充分に感知されること。すべて出切ったかどうか、中途か。あるいは硬いか、柔らかいか。その日の調子も、出ている様子も、本人には、目視せずとも充分に感知できる点も似通っている。終わったあと「すっきり」というのも同様。違うのは終了後で「脱糞」はそのまま水に流すが、「出神」は「温養」し再び体内に戻すという点だ。今日は日曜日で「太極拳」の練習日。7時半に自宅を出て、会場の秋葉原に向かう。久しぶりに早く家を出たがまだ本調子でないのか乗る電車を間違えてしまった。9時にマックで待ち合わせ、会場の「昌平校」へ。例の通り八段錦、伸展法、「簡化式」(24式)、小憩後、「肘法」を80まで。それから「老架式}(88式)を修練。終了後「万世」でビール付の昼食、夜は例の通り小宴。今夜は久々に鍋(湯豆腐)となった。
by yuugean | 2004-10-17 10:06 | 2004



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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