遊化の森

カテゴリ:2003( 100 )

計画

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。今年もいよいよ終結の時を迎える。総じてみれば「良きかな」といえそうな年。修練的には十月末から「出神」にチャレンジしている。今のところは「こういうものか」という感想だが、あと三年も倦まず弛まず同じ方法を続けていれば、何らかの「形」がその中に現れてくる気がする。最近は「内身」「法身」を一方で固めながら、同時に「気」の放出についても修練。これはいわゆる「気功師」の得意とするところだが、これまで「仙道内丹法」の手法に従って、あくまでも「内身」を固めること第一に朝夜の修練を行ってきた。しかし外気を取り入れ、内気を外に出す。これには、「タントウ」のような修練、「太極拳」のような修練とともに、「指」から「内気」を放出する修練を付け加えていくことが必要と思う。いつも通り坐忘。いつもどおり「出神」。頭上の「質感」に添って「大周天」を三回やる。その後しばらく温養。その後に周辺の「光」を「法身」に収め、ゆっくりと「法身」は脳内ー身体内に入っていく。最後にフタが閉じて「出神」は終わる。しばらくそのまま「法身」を体内に行き渡らせるように温養。その後目を開けて「出神」は終わる。すでに仕事は終わっている。あとは三月中に仕上げなければならない、新宿の住友ビルH社の仕事二種類。これを正月休みの間におおよその目途をつけること。また同時に四月までに仕上げる予定の、新エネルギー関係のプロジェクトを完成させなければならない。このプロジェクトの先にはもうひとつの計画があり、これを来年前半に立ち上げる。これらを前向きにすすめるためには、この正月休みは絶好の機会で遊んではおられないという気持ち。しかしそれらの仕事はいわばもうひとつの「楽しみ」のため。一月には「出雲・石見」へ行って寒ぶり、松葉蟹と温泉三昧。秋にはイタリア再訪の旅を計画している。そのために様々な仕事に精を出し、新しいプロジェクトを立ち上げていかなければならない。すでに世間は冬休み。今日は別にこともなし。夜例のごとく12時過ぎに「坐忘」、その後就寝する。
by yuugean | 2003-12-29 10:41 | 2003

納骨

4時起床。ふたたび本格的な寒波襲来。洗顔、コーヒー沸かし。坐忘。いつもどおり「出神」に至る。何となくボヤっーとした質感、あるいはスライムのように観通せる存在が頭上に現れ、同時になんとなく「光」に見える球状の輪が上半身から頭上を覆っている。それは時によって見え、時によって覆われた存在となる。その中に「出神」して、その存在に添わせて「大周天」三回。その後、「上丹田」を守意。しばらくおいて「中丹田」を守意。さらに「下丹田」を守意。これを三回繰り返す。三回ということに別に深い意味はない。ただ基礎に帰ることの重要性を感じているからだ。一部に「脳内」の圧力感も戻ってきている。状況は刻々変化し転変する。昨日は実は太極拳仲間のKさんの納骨式。彼女は実はクリスチャンで納骨式は四谷の聖イグナチオ教会地下で行われた。クリスチャンの葬祭に参加するのも初めてだが、あの教会(上智大学)の地下は納骨堂になっていたのも初めて知った。クリスチャンは葬送も、あまり派手でなく、質素でいいなぁと思いえる。Kさん、安らかにお眠り下さい。いつもどおり7時45分に家を出て秋葉原に向かう。今日の太極拳修練は秋葉原で、二時間ほど練習。帰りに「ラオックス」でノートパソコンを買う。「ソーテック20005C」で出たばかりの品で事前にスペックは調べてあった。今後の仕事のために必要かと思われたからだ。帰宅後、風呂、小宴。終わって休憩、パソコン、就寝で1日は終わる。
by yuugean | 2003-12-21 10:42 | 2003

法身の存在

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。いつも通りの坐忘。いつもどおり「出神」をやる。やはり頭上に「質感」があり、それに添わせて「大周天」をやる。ここで「法身」の存在について、再度修正しなければならないと思っている。半月ほど前、にやはりこの「日録」に「法身」の存在について、それは脳内にあり、10センチほどの大きさのものと書いた。しばらくそれでやってきたのだが、事実それ以後「脳内」に確かな圧力感や異物感があり、それを意識によって、さらに固めるという修行方法を取っていた。その後普通に何事もなく過ぎていたが、2週間ほど経って、その存在、圧力感が全くなくなってしまった。そのかわりに「空」というべきか、「純粋」というべきか、何もない空間が脳内に広がっている。何か失敗でもやったかと思ったが、別に「少なく出し、多く養う」の方針で、脳外に出す時間はあまり長くなく、すぐ収納していたので、そういう懸念はまったくなかった。そこでその後いろいろ試してみて判ったことは、やはり最初に考えていたように「法身」は既に全身に広がり、生身の肉体にぴったりと張り付いている形で存在しているという事だ。確かに「脳内」で養うことの重要性はあるが、すでに「脳内」もまた「全身」も全て「陽神化」しているということだ。それが証拠に非常に透明な、「空」な空間が脳内にもまた全身にも繋がっていて、肉体の皮下の部分で、全身に「どきどき」とした動悸のような脈動がある。「法身」の「本体」はやはりすでに全身に広がっている。「脳内」の圧力感、異物感も全身への広がり,全身が「陽神化」するとともに、圧力感は消えたということではなかろうか。いろいろな試行錯誤を繰り返しながら、本然の姿が次第に明確になってくる。いつもどおり7時15分に家を出て、飯田橋で少憩。その後午前中はオフィス。午後小伝馬町の取引所で仕事があったので、その途中兜町のS会館で経済関係の資料を閲覧しながら時間を過ごす。この時今朝以来、頭にあった「法身」の存在について、試して見たくなり、瞑想しそこで全身の「出神」を試みる。この場所が相応しいのか、非常にはっきりとした「光」が頭上に現れ、その中に全身から「法身」を出していく。下からフタのようなものが立上ってきて最後にふたをする。その上でしばらく法身を「養う」。その後しばらくして、ゆっくりゆっくり「法身」を体内全体に収め、フタが頭上にかぶさる。目光を体内の隅ずみまで動かして「法身」がそれぞれの場所に納まったか確認をして終わり。夜、例のとおり小宴。9時に果てて、しばらく休む。12時過ぎに「坐忘」、その後就寝するが、頭が澄み切って、結局眠らないままに4時になったので起きた。眠らないでも体は全然疲れていない。もう3年ほど前にも、全然眠らないでも平気なときが1時期あった。このとき同時に食事もしなくなった。また新しい段階が始まっているのかも知れない。
by yuugean | 2003-12-17 10:44 | 2003

法身は暖かい

4時起床。快晴が続いている。朝起きて例の如く洗顔、コーヒー沸かし。昨夜の坐忘において、その前は身体が何となくだるく、ひょっとしたら「低気圧」が近づいているのかという感じがしていた。「低気圧」が近づいてくると、それを直に感じてしまうのが昨今だが、今回はどうも違うという感じがしていた。それは昨夜、就寝前に「坐忘」をやって初めてわかった気がした。体がだるいながらも、もはや習慣となりきっている「坐忘」を欠かすわけにもいかず、「坐忘」にはいると、次第に「脳」すなわち「泥丸」のなかで、はっきりとした「形」が現れてきた。一昨夜寝る時にも、それは何となく感じていたのだが、「脳」の中に何か変化がおこりつつあった。その「正体」はこうして考えれば、次第にはっきりとしてきた「法身」の存在だったように思う。それは何か一種の圧力感を強く伴っていて、そこに何か「有機物」が存在する事を示していた。以前、「出神」の前には、やはり「脳」内に一種の「圧力感」があったのだが、、「出神」以後は、それは消えていた。むしろ「空気」のような存在、あるいは「スライム」として感じられる存在になっていた。そして、「出神」以来約1ヶ月経って、昨夜「坐忘」の中で感じられた、ある種の「有機体」のようなもの、それがはっきりと「脳」の中央部にあって、その上は空いており、その中に詰まっている感じが読み取れた。「脳内」に何か異物が詰まっていつ感じ。昨夜はその状況のまま就寝。そして今朝の一回目の坐忘。体内に「目光」「耳光」を周回させる。「法身」とおぼしき存在が次第にはっきりとしてくる。ここでいったんやめてインターバルの時間をあける。その後例の通り時間をかけてゆっくり「出神」。いつもより時間がかかった気がする。それともうひとつ感じたことは、この「法身」を包む直径1㍍ほどの「光の輪」。それがさらに現実的な存在となり、光をつよく感じ、「法身」を包む感じで一種の球体のような形で頭上に有る。その中に「法身」を上げていく。しばらく温養。すると「法身」が少し暖かい感じになってくる。「光の輪」も少し暖かい感じになっている。暖房器具のような「光の輪」。その中で「法身」をしばらく温養。そのまま「無為自然」に為し、意識を「法身」に周回。頭上の「法身」で、「大周天」を三回行う。その後周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻す。入ったら「目光」を体内各所に周回させて坐忘終了。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス。午後は経済産業省。仕事終了後、いつもどおりささやかに鍋で小宴。いつもどおり談笑を楽しむこと2時間。終わってその後パソコンに取り付き11時。坐忘の後、12時前睡眠。
by yuugean | 2003-12-09 10:45 | 2003

光背

4時起床。今朝はこの冬一番の寒さのような気がする。暖冬気味であった「冬」にもついに「寒波到来」か。これを待ち望んでいた人達もいる。スキー業者、スキーバス業者、ある種交通機関、灯油業者、衣料業界、暖房器具業者、その他。朝起きて例の如く洗顔、コーヒー沸かし。そして一回目の坐忘。体内に「目光」「耳光」を周回させる。前回に確か書いたと思うが、これまで最初の「出神」以来約1ヶ月が経過した。この間最初に「出神」後に行っていた、「意識」の「拡大・収縮」の方法を変更した。また「法身」について、初めは肉体全体の中にぴったりと張り付いている、もうひとつの存在を意識し、それに対して「目光」を周回させることをやっていた。そして「出神」するのも、この「全体」に張り付いた「法身」を出す積りでいた。それはそれで間違いではないと思う。確かに肉体に寸分違わず張り付いている「幽体」的な存在を認識することは出来るし、「スライム」状のそれを出し入れする事も不可能ではない。しかし最初からちょうど1ヶ月経過したしたぐらいの時、天来の「声」あって方法を改め、やはり出し入れするのは「泥丸」(黄宮)すなわち脳内にある、20㌢前後の「法身」へと切り替える事にした。こちらのほうが現実に近い気がする。「坐忘」時に意識をより多くかけるのも「泥丸」内の「法身」が中心。様々な「試行錯誤」の中から、ひとつの方法が会得されていく。「出神」ののち、「意識」の「拡大」を最大限まで伸ばしてやっていたが、これはもっと「法身」自体が固まってからでないと損傷を及ぼすかもしれない気がしたからだ。そして「法身」を脳内のそれに切り替えたのは試行錯誤の中で実感されたもの。こうして坐忘にはいり、時間をかけると、徐々に脳内の「法身」の姿がはっきりとしてくる。「光」の存在も自覚される。それは我々が「仏像」の「光背」に見るような形の「光」だ。直径1㍍ぐらいの少々楕円形をした「光」。それが坐忘時においても感得される。第1回目の坐忘の後少しインターバルをおく。このインターバルを経て坐忘を再開。坐忘はさらに深まる。この時、「光背」の如き「光の輪」をまず外に出し、それとほとんど同時に、一緒に「法身」がゆっくり上がっていく。この時は「意識」はかけず、「無為自然」のままに為す。自動的に上がっていった「法身」が全部外界に出たことが認識される。下丹田の周辺から、板のようなフタが上がってきて天頂にフタをする。頭上にいる「法身」は、意識をかけるとしだいにはっきりとしてくる。意識をかければそこここに「圧力感」が現れ、座位の「法身」が明確に認識される。そのまま「無為自然」に為し、また後に意識を「法身」に周回させる。頭上の「法身」に意識をかけ、「大周天」を三回行えば、その意識の動きは「肉体」の方の私の手足に「連動」していることが認識される。その後周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻す。天頂の内に完全に「法身」が入ったのを確かめ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘終了。今朝の修練はそこで終わる。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス。午後は一時に神田のn社長の事務所に立ち寄り、少し談笑。その後経済産業省。さらに三時から新宿高層ビルのh社。しばらくここで会長と部長とで打合わせ。帰りのエレベーター前で旧知のh氏と立ち話。仕事終了後、いつもどおりささやかに鍋で小宴。いつもどおり談笑を楽しむこと2時間。終わってその後パソコンに取り付き11時。坐忘の後、12時前睡眠。
by yuugean | 2003-12-05 10:47 | 2003

人間の根にあるもの

時起床。洗顔、コーヒー沸かし。いつも通りの坐忘。いまは「養う」ということに主眼を置いている。その場所は「黄宮」すなわち「脳」。ここにおいて「法身」を養う事が今後3年ぐらいの課題になると思う。以前「法身」は全身にぴったり張り付いているということを書いた事がある。それは「法身」の拡大した姿で、その「本体」はやはり「黄宮」すなわち脳内にあると思う。大きさも10数センチぐらいだろうか。それは最近「養う」こと多くするようになってから感得したことだ。「黄宮」内の「法身」に意識、目光をかけて養育すると、そこにひとつの「かたち」が現れる。それは「出神」時に頭上に現れるのと同様の姿・かたちをしている。ただ時において、赤ん坊のようなイメージがフラッシュバックすることがあり、あるいは「顔」がフラッシュバックすることがある。時がある程度過ぎれば、第1回目の坐忘は終了。インターバルの後二回目の坐忘。「定」から「大定」入り、「光」を外に出し「内身」がゆっくり上がっていく。いつもどおり最後に板が上がってきてフタをして「出神」。頭上にある種の「圧力感」が現れて「法身」が見える。しばらく「無為自然」。頭上の「法身」で「大周天」を三回修練。同時に肉体の両脚ー両腕などを這う「意識」の周回を感じる。「法身」と「肉体」はやはり連動している。その後「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻し「出神」は終了。いまは「少なく出し、多く養う」を実践している。それも「法身」を「黄宮」すなわち脳に入れての養育を何度か行う。
昨夜9時からTBSで「人間とは何だ!」スペシャル番組を放映。ここでみたサバン症候群(カレンダー記憶において超人的)、ウイリアムス症候群(音楽や人間表現において超人的な能力)の人々が超人的な!特殊能力を持つが、一方で靴紐が結べない、モノの形がわからないなど一般能力を欠いているさまが映像で映し出された。彼らの存在は「人間」の根に本来あるものについて教えてくれる。一般人が生まれついて「新皮質」領域を増やす事で覆い隠し失ってしまったもの。「超能力」の発現にもそれが言えると私は考えている。「新皮質」領域(ある部分)を滅却した状態がこういう人達の特殊能力を発現させている。それは「人間とは何か」という問題にヒントを与えてくれる。
by yuugean | 2003-11-30 10:49 | 2003

短く出し長く養う

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。坐忘。いつも通りの坐忘。体内の隅々まで「目光」「耳光」を周回。最初は少し力が入っているが、自然に力が全く入らない状態になる。これが「無為自然」。「光」が自然に体内に生まれてくる(という感じ)。時がある程度過ぎれば、第1回目の坐忘は終了。そしてインターバル。テレビを点け、しばらくテレビのニュースなど見る。昨日は急にブッシュ大統領が「お忍び」でバクダットへ行き二時間ほど滞在してまた隠密裏に脱出した。そのニュースなどやっている。民主党候補のクリントン上院議員が今日バグダット入りするという。恐らくそれを事前に聞きつけたブッシュ陣営が先手を打ったつもりだろうが、いかにもあこぎな手法。背後にこういう奇策を弄するチルドレンの存在を感じる。多分彼らはイラク攻撃の首謀者達だ。それはともかく再び坐忘に入る。「定」から「大定」入り、「光」を外に出す。同時に、「内身」がゆっくりゆっくり上がっていく。天頂のあたりに、「内身」が上がっていくのを感。最後に板が上がってきてフタをして「出神」。意識をかけて見ればれ「圧力感」が現れて「法身」の形が次第にはっきりとしてくる。力を抜き「無為自然」のままでいると、次第に「かたち」がはっきりとしてきて、私と同じかたちで頭上に座っている「存在」を感じることができる(私の坐忘は腰掛け座位)。この「法身」の「意識」を瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。「拡大」はしばらく「法身」が成長するまではやらないことに決めたので、「意識」を体内に収縮させる行為のみ行う。そのとき「無為自然」になせば、一瞬全てが止まったような透明感のある状態があらわれる。その「透明感」は、「法身」に感じるとともに、肉体の中丹田の所にも感じる。「法身」と生身の肉体は確かに連動している。何度か頭上の「法身」で「大周天」を修練。督脈ー任脈ー両脚ー両腕ー焦脈という順に意識を周回させると、「法身」の周回についれて、同時に肉体の両脚ー両腕などを這う「意識」の周回を感じる。まさに「法身」と「肉体」が連動している。その後時を経て周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻し「出神」は終了。最近強く感じることは「出神」に関し「少なく出し、多く養う」という先達の言葉。出る時間は短くして、その何倍もの時間をかけ、肉体の中で丁寧に「内身」を養育する。丁寧に、時間をかければ次第に形も、明確になってくる気がする。同時にこうする事で、肉体の「意識」を「内身」にコピーしていくことになるような気がしている。
ところで昨日午前中、オフィスにいると旧知の社長から突然電話があり仕事の件で打ち合わせしたいう連絡が携帯に入った。この方は最近仕事をどんどん拡張されているという事を共通の知人から聞いていた。そこで3時に約束して、新宿高層ビルの45階にある、この方のオフィスに行った。二年前には花園神社近くに小さな事務所を構えておられ一、二度そこで会ったことがあった。それ以来、共通の知人から話は聞いていたが、会ったこともなかった。この社長の話は新しいプロジェクトをやってくれという話。くどくど書いてきたのは、実はその前日、私がふと思ったのは、いちどこの社長にあって、来年からやる積りの自分のプロジェクトについて説明したいなぁという事だった。ふと「意識」の中で思ったことが二年も会っていない人に伝わり、翌日先方から連絡してきてくれるとは?多分「偶然」だとは思うが、何か「テレパシィ」の存在のようなものを感じずにはいられない。
by yuugean | 2003-11-29 10:51 | 2003

西行と荘子

6時30分起床。例の通り洗顔、コーヒー沸かし。いつもどおり坐忘。昨日は例の通り太極拳を2時間ほどやったので今日は少しからだが火照っている感じ。これはいつもの事で眠りもつい長くなってしまう。今日は休日でもあるので朝はゆっくり目となった。いつも通りの1回目の坐忘は、腕や足、身体全体に「目光」を周回させる。目を閉じて外界の刺激が遮断されると早速体内のあちこちで「天来の妙音」ともいうべき蠕動。微動が起こってくる。それがすなわち「無為自然」の状態ではないかと考えている。意思は少しも働かせず「身心脱落」という状態を作り出せば、自ずから体内で動き出すものがある。それを「目光」「耳光」で感じているのが、「無為自然」。その後例の通りインターバル。インターバルののち、坐忘は深まる。それから例のとおり「出神」。最初はこの一瞬は緊張したが、いまは慣れてむしろ力を抜く事を取り入れている。下丹田からフタのような板があがってきて、その上に「法身」が乗っている感じである。それが天頂に到着し天頂にフタをして、第一段は終わる。天頂の上に乗っている「法身」に意識を集中させると、頭上の「法身」のあちこちに圧力感が現れる。そののち例の通り「拡大」「圧縮」の修練を繰り返す。拡大においては、意識のかたちはもはや存在せず、いわば「光の粒」となって対象の中に入り込んで一体となっている感じがする。その対象は時空を越えており、さまざまなモノが目の前に展開される。もう少し習熟すれば、それが何であるか記述することができるようになる気がする。収縮すればこんどは「光」のイメージ。これももう少し習熟すれば、それが何であるか書き記す事が可能になると思う。その後「法身」に光を集め、例の通り「法身」を体内にいれ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘を終了。話はまったく別だが最近は、西行と荘子を並行的に読んでいる。西行については崇徳院(今年夏、配流されていた松山に行った)や俊乗坊重源(縁があって中学時代から知っている鎌倉時代の高僧)と関係が濃密であったことを知って驚いた。知らず知らず、その縁と私は近づいていた。今読んでいるのは「西行物語」。室町時代に作られた西行伝記だ。「荘子」は岩波文庫版。あまり説話が好きでなくて、読まなかったのだが、この二つを読んで、これまで私が感じていた西行像、荘子像と違うイメージが浮かんでくる。いまの状況にとって、この二人を読破することは大切であるような気が何となくする。
by yuugean | 2003-11-24 10:53 | 2003

無為自然

4時30分起床。例の通り洗顔、コーヒー沸かし。これは、もう変わらない。坐忘もまた同じ。いつも通りの1回目の坐忘。体内の隅々まで「目光」「耳光」を周回させる。ことに腕や足。その先端まで丁寧に「光」を周回させることが必要だ。次いで「無為自然」になしてある種の「光」が自然に体内に生まれるのを待つ。時間をかけると、徐々にはっきりとしてくる。今日の「光」はぼーとして白っぽい「光」。時々鋭い「白光」がそれに混じって輝く風情。これが第1回目の坐忘。その後2-3分インターバルをおくのはいつもの通り。朝の坐忘においては、このインターバルが重要な意味を持っているように考えられる。そのインターバルを経て坐忘を再開させることで、坐忘はさらに深まる。再び坐忘。「定」から「大定」入り、「光の輪」をまず外に出し、それとほとんど同時に、一緒に「内身」がゆっくりゆっくり上がっていく。自主的に上がっていくので「意識」はかけず、「無為自然」のままに為す。天頂のあたりに、「内身」が徐々に上がっていくのを明確に感じることができる。ゆっくりと、しかし滑らかに自動的に上がっていく。それと同時に下丹田の周辺から、板のようなものが上に上がってくる。「内身」はそれに乗って半ば下からも押し上げられる形で外界につぎつぎ出て行っている。その板が天頂まであがって、「内身」は完全に外界に出ている。その板が脳にフタをして、「出神」が行われたことが判る。頭上に「幽明体」のような、まだはっきりとしないものが在り、そこに意識をかければちゃんとするとともにそこここに「圧力感」が現れてくる。これが「法身」。再びしばらく「無為自然」に為せば、それは次第にはっきりとし、肩の辺り、腰の辺りには丸みもある透明度の高い粘土細工のような感じになり、私と同じように頭上に座っている(腰掛けで)。時によって「白光」を感じる時もあり、形は不定。いつもの通りこの「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらく坐忘。また瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。「宇宙」や空に「意識」を拡大したとき、すでに「法身」はなく、気体あるいは「光」の粒のようなものにんなり、「意識」はその「粒子」側にある。天空の「気体」のなっている感じ。そのとき「無為自然」になせば、ちょうど秋の夜の澄んだ夜空のような大変透明感のある、広い空間が現れ、満月に照らされているような明るさがそこにはある。大変透明度が高く、空が高く広くどこからか来る光(夜の光)に溢れている。そのとき呼吸はずっと止まったままになっている。次に意識を「収縮」すると、今度は頭上に「法身」らしき形が出現し「意識」はその中にある。「無為自然」のままにしばらく為せば、さきほどの澄んだ空間が現れ、呼吸は止まったままになっている。何も動かない、何も変わらない空間。気がつくと、この「拡大」と「収縮」を10回近くやっていた。その後例の通り周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻して行く。このとき天頂にある「板」が下に下りて行き、それとともに立体的、紡錘体となった「法身」が体内に入っていく。板が下丹田周辺まで降りて、天頂の内に完全に「法身」が入ったのを確かめ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘を終了する。
by yuugean | 2003-11-16 10:55 | 2003

入神

5時すぎ起床。今朝は今年一番の寒さという。目を覚ましたら時計の針が2時になっていたので更にあと2時間の積りで寝たら、5時になっていた。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。いつも通り1回目の坐忘。ここでは体内の整備、これから「出神」にはいる為の準備活動をいろいろやる事にしている。ひとつは体内の隅々まで「目光「耳光」をひとわたり周回させて、どこか調子の悪いところはにか点検する。その次に「光」を体内に生まれさせる。これは少し時間をかければ、それらしきものが段々明確になってくる。日によって非常に真っ白く鮮明な「光」だったり、それほど明確ではない、薄ぼんやりとした「光」だったりするが、それは多分気圧など「気」の状態が影響していると思う。これが第1回目の坐忘。その後しばらくインターバルをおく。以前はこのインターバルの間にパソコンに取り組んだが、いまは2-3分、テレビを見て場面転換を図っている。その後、再び坐忘。「定」から「大定」に入り、さきほどの「光の輪」をまず外に出す。それに引き続いて「内身」本体がひとりでにゆっくり上がっていく。これはまだ「幽明体」というべきようなモノだが、かすかに脳から出て行くのが見て取れる。このモノが上に上がっていく感じとともに、下から膜のようなものが上がってきて、それが最後に脳にフタをすす感じになる。これが「出神」。このとき頭上に40センチ(以前は70センチぐらいと思ったが、やはり40センチぐらい)ぐらいの所まで「圧力感」が現れてくる。それによって確かに「法身」が、そこに「ある」ということを感じることが出来る。時によって「光」に見えたり、それが瞬間的に変化したりする。意識を集中すれば、さらに輪郭が濃くなり、顔、手、脚、胴体などがなんとなく「見え」、それは私と同じ姿で座っている。その後「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらく坐忘。また瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。3-4回繰り返すと「法身」さらに固定する感じになる。今日はとちゅうなぜか二度目を明けたが、その後すぐ坐忘にはいり、同じ状態が続く。その後周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻して行く。このとき大切な事は、必ず丁寧に最後まで「入神」を確かめる事。何度も念をいれて「入神」が完全に終了したことを確認し、さらに目光を内身全体にゆっくり周回させて坐忘を終了する。
by yuugean | 2003-11-14 11:09 | 2003



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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