遊化の森

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アメ・アラの行方

もう「アメ・アラ」(つまりアメリカ・アラブ)戦争はどうでもいいような気が
してきました。結局「局地戦争」しかできない。やはりアメリカほどの大国も
周囲諸国の諸事情を考えると、限定戦争しかできないことが分かってきたのでしょうか?
雨と霰とミサイルをぶちかまそうが、雨と霰と生物兵器をばら撒こうが
結局は双方何も得る所がないは明らかなのに、、。
by yuugean | 2001-10-28 09:02 | 2001

「仙道」修練のもうひとつの局面



◆ 「奇経八脈」修練で再現する「元神」の世界。
◆ 「胎児」状態へのバイオフィードバック。
◆ 「エントロピー拡大法則」に逆行。

さてこれまで「仙道」修練は,眠っていた「奇経八脈」を目覚めさせて、そこに「気」と
「精」を周流させることで成り立っている修行法であるということを再三にわたり述べ
てきました。繰り返しになりますが、その第一段階が「小周天」。「督脈」と「任脈」を
目覚めさせ、そこに「気」と「精」を周流させ、このふたつを合体して煉り合わせ、「神
」の作用を繰り返し働かせることで,別の物である「キ」(気の変成したもの)を作り
上げます。武息、文息、導引などは,この作業を有効ならしまるために行う修練にほかな
りません。

第二段階では、こうして作り上げた「キ」を、さらに練り合わせ,絶えざる「神」の作用
によって「大薬」を作り、同時に「奇経八脈」を開発して、ここに「キ」を周流させる
「大周天」の行法を修練し,心身を鍛え上げていきます。仙道というのは簡単にいえば
これだけのことです。ただ、それは「何のために」やるのでしょうか?ご承知のように
仙道では「精」「気」「神」という三つを人間存在の根源だと考えています。

「精」は人間としてのエネルギー、精液や唾液として具体化されている生命エネルギー
です。「気」は人間が地球環境の中から取り入れ(前述したように),生命運営の活力と
して活用しているエネルギーです。「神」というのは意識エネルギー、脳や目や耳がもつ
意識の光のエネルギーです。仙道はこれら三つのエネルギーを煉成して「奇経八脈」に
周流させていく行法ですが、なぜ「奇経八脈」であるかという点について考えてみまし
ょう。

これまでしばしば述べてきたように「奇経八脈」は,人間誕生以前の「胎児」の時代には
開いていて母体を通じて、「精」「気」「神」のエネルギーを胎児の生命体の中に採り入れ
ていたものです。しかし,人間が誕生し,嬰児の時代を過ぎると,一方では「正経十二脈
」という経絡ネットワークが嬰児の体内に完成するとともに「奇経八脈」は閉じてしま
います。

この時一方では「精」の面では、エネルギー採取方法が大きく変化します。嬰児の時代
を過ぎると、後天的にエネルギーを食事という形で外部から採り入れる方式になり、口
から食物という形でエネルギーを採取する後天的エネルギーの量が増えるにしたがって、
「胎児」の時代にあった「気」(元気)エネルギーを身体全体で胎息により採り入れるシ
ステムが完全に退化してしまいます。「気」についても同様で、「嬰児」の段階を過ぎ、
口・鼻での「呼吸」が盛んになるとともに、もともと胎児の時代にはあった全身呼吸「胎
息」は姿を消してしまいます。また嬰児の時代を過ぎ,後天的な「神」(意識)が発達し
てくると、もともとあった「元神」(先天的な神)は後方に姿を隠してしまいます。

人間が「胎児」から,この世に誕生して,幼児―成人と身体も精神も肥大化していき、口・
鼻で呼吸し、食事を口から取るシステムは一般には「成長」といわれます。成長の時期
を経て、あとは成熟―衰退―死というサイクルが人間の一生です。「仙道」はこの「衰退
」の部分から始まったと思われます。古代中国の「不老不死」願望をシステム化しょう
としたのが「仙道」の始まりですが,外丹法、養生術等の試行錯誤の後、宋・明の時代に今
日みる「内丹法」のカリキュラムを完成させたのです。

さて,元に戻って「仙道」では人間が成長して「後天的」に身につけた「精」「気」「神」
の中に人間衰退への要素があると見ぬいたのです。後天的に身につけた「神」(意識)の
動きは人の心を不安定にする。争い、競争、悲しみ、喜びなど人間の基本的感情は全て
後天的に身についた「神」であり、「生・老・病・死」の苦しみはこの不安定な心の動き
から始まると考えたのです。口から食事を採取するシステムは時には過食や暴飲暴食を
生み、身体に悪いものまで摂取して病気を生み出し、口から呼吸で取り入れた「気」も
同様に危険な要素を内蔵していると考えたのでした。

つまり「胎息」の時代には「無為にして自然」のままに完成されていた「精」(元精)、「気
」(元気)、「神」(元神)のシステムを復活することで「不老不死」は防げると考えたの
でした。そこで人間が成長した後は閉じていた「奇経八脈」を復活させ、そこに後天的
な「精」「気」「神」を煉成し、本来胎児の時代にはあった「元精」「元気」「元神」の状
態を作り出すという考え出したのです。その手段として「奇経八脈」を舞台に,繰り返し
バイオフィードバックすることで肉体―精神の双方を「胎児」の時代に還元する方法を
生み出しました。「仙道」の修練にほかなりません。仙道修練が進めば、あまり食事をし
なくなり、口・鼻で呼吸をしなくなり、喜怒哀楽の感情が起こらなくなりますが、それ
にはこういう意味があったのです。

しかし、もしこういうことが現実に可能であるならば、永遠の物理法則である「エント
ロピー拡大の法則」はどうなるのでしょうか?熱力学の大原則である「エントロピー拡
大の法則」では時間も空間も個体も、すべて拡大の方向にしか向かいません。これが地
上のあらゆる物を縛る大原則です。人間などの生物が成長、成人し、成熟,衰退していく
過程においても,次の時代に生命を残すことによって「エントロピー」を拡大していくの
です。ところがもし、「仙道修練」で成人した人間が「胎児」の状況になるとしたら、こ
れは明らかに「エントロピー拡大の法則」に反しています。未来に向かってしか進まな
い「時間」を逆行させるようなものです。

ですから「仙道修練者」は、物理の大原則に反して「エントロピー」を逆行する「実験
」を自分の肉体と精神を使って行っているのだと言っても間違いではありません。物理
学にとっては、このことは地球がひっくり返るような事態であることは確かです。これ
が「仙道」のひとつの局面でもあるのです。
by yuugean | 2001-10-26 09:41 | 内丹法を修練する

紅葉

いよいよ日本列島が赤や黄にそまる「紅葉」のシーズンです。北は北海道から南は九州
まで「紅葉前線」の南下にしたがって染まり始めます。東京人は日光や箱根の紅葉を
愛でますが、私は馴染みの深い京都・嵯峨野の紅葉が好きです。例年この季節になると
一度は京都に行ってみたいと思ってしまいます。祇王寺の長い階段を上がって、趣のあ
る山門をくぐると、深い色の赤や黄色の紅葉が迎えてくれ、その赤や黄の中にしっとり
と落ち着いた、小ぶりなたたずまいは、私にとってのまさにいよいよ日本列島が赤や黄にそまる「紅葉」のシーズンです。北は北海道から南は九州まで「紅葉前線」の南下にしたがって染まり始めます。東京人は日光や箱根の紅葉を愛でますが、私は馴染みの深い京都・嵯峨野の紅葉が好きです。例年この季節になると一度は京都に行ってみたいと思ってしまいます。
祇王寺の長い階段を上がって、趣のある山門をくぐると、深い色の赤や黄色の紅葉が迎えてくれ、その赤や黄の中にしっとりと落ち着いた、小ぶりなたたずまいは、私にとってのまさに「にっぽんの秋」です。
by yuugean | 2001-10-26 09:00 | 2001

医聖・李時珍が語る「奇経八脈」



◆「十二正経は計画的水路、奇経八脈は沼湖」
◆ 「奇経を熟知しなければ内丹を完成できない」
◆ 「奇経八脈を会得すれば、仙道の奥義を得る」

さて仙道にとって「奇経八脈」がいかに大切かを述べてきましたが、今日は宋時代・医聖
といわれた「李時珍」の考えを中心にみてみます。「奇経八脈」を開発し「気」を周流さ
せることが本格的「仙道内丹法」の始まりですが、修練に修練を繰返して行くと肉体的状
況(精)は「先天的な」肉体(精)の状況になってきます。その過程で「奇経八脈」は、
いわば「修練場」となって我々を導くのです。

李時珍はまず「経絡」についていいます。「人間の体には経脈と絡脈がある。直行する本
流を{経}といい、本流に出入りする支流を{絡}という。経脈は全部で十二、手にある
三陰三陽と足にある三陰三陽がそれ。絡脈は全部で十五ある。本流の十二経脈に各一つず
つ。それに{脾の大絡}と{督脈}{任脈}。これら十二経脈の気と十五絡脈の気、合わ
せて二十七気は、相互に作用しあって上下し、あたかも泉水の流れや日月の運行のように
休むことがない。陰脈の気は五臓に働き、陽脈の気は六腑に働く。陰脈の気と陽脈の気は
互いに連絡しあい、絶えず循環している。その気が盛大となって溢れると、奇経に入り、
奇経の気として性質を変えて、体の隅々まで行き渡る」


ここではじめて「奇経」の存在が姿を現し、その働きについて述べられます。李時珍はい
います。「奇経の働きは内において臓腑を温め、外においては皮膚を潤す。
奇経の八脈は、どれも十二正脈に、その働きや性質を支配されることはないし、十二正脈
のように一対になった表裏関係はない。喩えるならば、十二正脈は計画的に作られた{水
路}であるのに対し、奇経八脈というのはあちこちに点在する沼や湖である。水路である
正脈の脈気が盛大になれば、あふれて点在する沼湖の奇経に溢れ出していく」


李時珍の当時でも中国医学では、この奇経八脈は謎の存在だったようであまり注目されて
いなかったようですが、李時珍は「仙道」練達者でもあったわけで、この奇経八脈の重要
性に着目したようです。李時珍はいいます。「奇経については<素問・霊枢>にも書かれ
ていることはあるが、未だに本当の意味を発見する事が出来ないでいる。奇経八脈の説明
は散り散りになって、いろいろな書物に少しだけ書かれているだけなので、なかなかその
真意を汲み取ることができない。医学に携わる者が、奇経のことをよく理解しなければ、
病を治す方法や時期を知ることはできない。また仙道を学び、仙人になりたいと思って
も、奇経のことをよく理解しなければ、内丹を完成することはできない。」

  
李時珍はこうして奇経八脈の各脈について、詳しく中国医学的立場からの検証をしていき
ます。それは原典に譲るとして、要約で李時珍はいいます。
「奇経八脈とは、陰維脈、陽維脈、陰喬脈、陽喬脈、衝脈、任脈、督脈、帯脈の八脈。陽
維脈は人体の表を維持し、陰維脈は人体の裏を維持しているから<天地>に喩える。陽喬
脈は人体の左右の陽側を機能させ、陰喬脈は左右の陰側を機能させているから<東西>に
喩えられる。督脈は体の後で陽を総督し、任脈と衝脈は体の前で共に陰を統括しているか
ら<南北>に喩える。帯脈は諸脈を横に束ねているから<六合>に喩えて表現する」


奇経八脈には「このような深い意味が込められているので、医学を学ぶ者が奇経八脈の真
理を会得すれば、十二経脈と十五絡脈の奥義を極めることが出来るだろう。また仙道を学
ぶ者が奇経八脈の真理を会得すれば、仙道の奥義と言われる宇宙の機微に到達出来るにち
がいない」(李時珍「奇経八脈考」)。
by yuugean | 2001-10-07 09:39 | 内丹法を修練する



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