遊化の森

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にわかサポーター

  5時過ぎに起床。坐忘少々。今日は集中が少し戻ってきた。だんだん旧に復する感じ。いつもの通り7時半に家を出て会社。その前に40分ほど「プロント」で朝のコーヒー。朝会社へ出る前にコーヒーショップに行って時間をつぶすのは、もう数十年来の習慣。昔はその時いつもスポーツ紙を買って読んでいたが、いまはやらない。仕事はいつもの通り。可もなく不可もなし。今日は事務所のプリンターがおかしくなったので、エプソンのオペレータと30分ぐらいもやり取り。  結局元に戻ったがxpはまだいろいろなところで周辺機器とも不具合を起こす。午後は今日は役所にはいかず、そのまま携帯電話会社へ新しい携帯を見にいって帰る。大体今度はauにするかなぁ。という感じ。夜は例の通りs君と例の飲み屋へ。
  そこで香西かおりの話、美空ひばりの話になって、帰りにカラオケ1時間。香西かおりと美空ひばりを中心に歌う。彼はほかにケーウンスクなども歌った。飲み物も取らず1時間、カラオケ670円。そのまま分かれ家でテレビ。w杯でなんとフランスがセネガルに1-0で負ける。韓国の芝が悪いんじゃないか?火曜日には神楽坂のディスコ・ツインタワーの1000人規模の会場で大型画面の「ベルギー vs 日本」を見る計画をsと話し合う。にわか日本サポータになった。フェイス・ペィンティングで日章旗でも描くか?そのまま夜は寝る。
by yuugean | 2002-05-30 08:07 | 2002

ミステリー

 5時起床。坐忘少々・ワープロ少々。風邪は去った。そのかわり昨日呑んだ「コイドロイチン」が少々規定量では僕には多すぎるみたいで身体がだるい。何か弛緩させる成分を含んでいるのかも知れない。もともと右股関節が少し脱臼気味なので右足に負担がかかっていたので、他人の勧めで購入したのだが僕には強すぎるみたいだ。今日はいつもの日常とかわらず、会社で仕事をして、午後から霞ヶ関へ。省の喫茶店で1時間ぐらいいる。
 ファックス送信後、連絡して帰宅の途につく。途中で本屋によると、今日はなぜかミステリーのコーナーに行き、「サントリーミステリー大賞」と「江戸川乱歩賞」のことが気になる。以前「最後の審判」で「乱歩賞」の第一次予選は通過した。その程度の能力かな?またひとつ書いてみるか?とも思うが、いまはそのエネルギーが残っているかどうか?書くとしたら前から腹案の「愚者の船」。狂言回しのモデルはこの間結婚したA君。犯罪を通じて社会の暗部を浮き彫りにするという構想だが、果たして?まあ徐々に徐々に。
 今日は筋肉が弛緩しているので、ひたすらテレビ。テレビで歯周病を特集していたが、たしかにこわい。いまかかっている昭和大学歯学部の先生が言っていたのもこの嫌気性細菌。12時に坐忘少々の後、就寝。
by yuugean | 2002-05-29 08:09 | 2002

横浜へ

 5時過ぎに起床。基本的にはまだ風邪がぬけていない。坐忘少々、なれど集中こころよく行かず。今日は仕事で横浜へ行くので、いつもの通り飯田橋まで出て、あとは東京に出て横浜へ、東海道線。横浜から相鉄線で天王町へ。初めて知ったがここに横浜ビジネスパークという巨大ビジネスビルが数棟建っている。
 野村総研のビルを中心にした野村グループのビル群、その一角に今日の相手がいる(外資系企業の支店長)。話は面白かった、業界を知り尽くしそのための対策をたてている。12時ごろ東京に戻り、洗足の昭和大学歯学科へ。現在歯のことでお世話になっている。その後経済通産省に帰り、いくつか仕事をして本日は終わり。5時過ぎに帰宅、途中コンドロイチンを求める。風呂、それから例のとおり、s君と焼き鳥やで飲む。主にサッカーw杯のことなど。その後ドトールでコーヒーを飲み別れる。寝る前に坐忘少々。調子は徐々に回復しつつあり。
by yuugean | 2002-05-28 08:22

初夏の空

5時過ぎに起床。基本的にはまだ風邪がぬけていない。坐忘少々、なれど集中こころよく行かず。今日は仕事で横浜へ行くので、いつもの通り飯田橋まで出て、あとは東京に出て横浜へ、東海道線。横浜から相鉄線で天王町へ。初めて知ったがここに横浜ビジネスパークという巨大ビジネスビルが数棟建っている。野村総研のビルを中心にした野村グループのビル群、その一角に今日の相手がいる(外資系企業の支店長)。話は面白かった、業界を知り尽くしそのための対策をたてている。12時ごろ東京に戻り、洗足の昭和大学歯学科へ。現在歯のことでお世話になっている。その後経済通産省に帰り、いくつか仕事をして本日は終わり。5時過ぎに帰宅、途中コンドロイチンを求める。風呂、それから例のとおり、s君と焼き鳥やで飲む。主にサッカーw杯のことなど。その後ドトールでコーヒーを飲み別れる。寝る前に坐忘少々。調子は徐々に回復しつつあり。
by yuugean | 2002-05-28 06:06 | 2002

フーリガン

 5時起床。体調は昨夜の続き。ここ数日無理をしない。自然に任せること。風邪薬がまだ効いていて何処か万全ではない。坐忘少々。今日はフーリガン?を二組見つけた。一組は5人で地下鉄に乗っていた。もう一組は3人で軽装でリュックを担いでいた。これは駅ビルで地図を見て何かを探していたが、しばらくして歩き出した。同じ駅ビルにあるユースホステルに行ったと思う。フーリガンを見分ける方法はがあると思う。
 服装がダサい。落ち着かない緊張した目つき。全員男性で集団行動。知的な臭いがない。つまり野球の私設応援団みたいなもの。若い頃ある球団の外野席で毎夜応援していたことがあったが、こういう時に目立つ行動をする人間は普段はおとなしく、孤独。友達がいない。それが応援となると人が変わる。フーリガンも基本は同じ。6時過ぎまで仕事をして帰宅。
by yuugean | 2002-05-27 08:16 | 2002

もとサーファー

5時すぎ起床。五月晴れ。洗顔、歯磨き、コーヒー沸かし、ミニ盆栽をベランダに出し、朝が始まる。坐忘少々。パソコン少々。昨夜の風邪薬のせいで少々朦朧。普段ほとんど薬を呑まないので、芯まで効く。 11時A君の結婚式で早稲田に行く。彼は元サーファー、彼の父親が5年前に亡くなったとき、葬式を手伝ったが、昔のサーファー仲間が数人集まった。決して陸(オカ)サーファーのように格好だけのサーファーではなく真面目にサーフィンやっている連中だ。彼も18頃にはバリに行くため、昼夜アルバイトをやって、寝ないで働き、バリの大きな波に会いに行った。「サーフィンはね。うまくなければ決してできないんですよ。波に乗れないから」とよく言っていた。彼とは二度職場が同じだったが、頭のいい若者で、自立心が強い事にはいつも感心する。酒もよく飲んだ。歌もうまく、勘もいい。筋肉がっちり、運動神経抜群。年は違うが気持ちの合うことも多かった。結婚式は早稲田の教会。参列者50人。共通の知り合いはNJ社長のみで、宴会のときも隣同士。いろいろ仕事の話をした。最初にスピーチがまわってきたので「サーフィンでは年に二度いい波にめぐり合えるということです。人生もまた同じ、いい波をつかんで、お二人でしっかりした家庭を築いて下さい」みたいなことを言った。帰り際寄ってきて「二次会是非出てください」と言った。新婦は看護婦さん。二次会は大井町のスナック。ポリネシア風バーでどこから集まったのか若者たちばかり、聞けばサーフィンの後輩たちが仕切っていて、よくのみ、よく食べ、よくしゃべっていた。ハワイアンの演奏があったりしたが場内はラップがかかって喧騒また喧騒。カラオケはなし!!。いやな予感が的中した。新郎は「僕の本当の姿知ってもらいたくて、、」と言ってきたが、抽選会が終わったら新郎に挨拶して失礼した。バーボン水割り3杯、カンパリー・オレンジ2杯飲んだ。今日はこれでよし。
by yuugean | 2002-05-26 06:10 | 2002

W杯

  夕べ2時に就寝。寝ているとドアのところに誰か(女性風)尋ねてきたので目を覚ますと4時過ぎだった。多分「4時だから起きなさい」という信号のような気がしたが、さすがすぐ起きられず5時過ぎ起床。坐忘数回。昨日は仕事で渋谷に行った。コーヒーの大手d社の本社。まず飯田橋のコンビニに行ったら普段見かけない外人旅行者がうろうろしていた。彼はサングラスをかけひげづらで、思わずフーリガン?その後渋谷行地下鉄の中で、中年の白人旅行者4人、男3人と女性1人。よくみるとサッカー選手のシルエットの揃いのシャツ。FIFAのマーク。
  渋谷のハチ公前の広場で外人の三人組のテレビクルーが日本人の女の子に何やらインタビューしていた。東京の街はすでにW杯ムード。遂に風邪を引いた。数日前から風邪気味だったが、風呂に入り、それから夜のみに行った。多分その時風邪をこじらせた。いつもは風邪といっても頭がぼぉーとしたり、少し熱っぽいぐらいで、放っておいても、約1週間で直る。風邪薬は呑まない。風邪薬は症状を結局長引かせるだけで根本的な解決にはならない。というのが風邪に対する僕の態度。昨夜は生ビール、水割りでお腹が冷えたのか、お腹が少し変だ。明日はA君の結婚式なので今回は風邪薬を服用、今日中に何とかしたいと思った。
 今日は午後少しだけ本郷の東大五月祭を覗くが、めぼしいものなく、残りは自宅で休養。夜NHKで船村徹の特集、「哀愁波止場」「みだれ髪」が印象に残る。最近は機会も少ないがやはり歌うのは演歌。S君といろいろ電話で話す。約束したCさんにメール出すが届かず、アドレスか何かが違っている。
by yuugean | 2002-05-25 08:38 | 2002

過去の壁壊れた

4時すぎ起床。いろいろやって坐忘。今日も細切れ。今日は天高く、気感はいい。ただ一昨日の夜、ベッドの上で寝てしまった(毛布もかけず)せいか少し風邪ぎみ。今日座っていると、また「過去」の壁が外れていろいろな過去(普通は思い出というが、、)が出てくる。今日はなぜかバブル華やかなりし頃、PR会社やりながら「セラミック」に没入していった自分。きっかけはkn君という本職はグラフィックデザイナーだが、まぁあちこち顔を出して企画を作っていた人物。未知の彼がアポイントもなく突然尋ねてきて、他社で断られたのですが貴社でできませんか?といって来たのが例の「トルコ」から「ソープランド」への改称企画。それに乗って、赤坂プリンスで記者会見を仕組み、トルコ大使館からも書記官に来てもらい、朝日、読売からテレビ局、週刊誌100社ぐらいが来て、「トルコ改めソープランド」は一種社会現象になった。当日同じ赤坂プリンスで当時の厚生大臣の記者会見が行われ、ホテルから泣きつかれたのも思い出。その企画がすんで、彼がやっていたのが不思議な「セラミック」。ペーパー状のセラミックでその上に水をおけば、おいしくなる。タバコの味がマイルド。というので宇都宮のベンチャーが手がけているという。彼は私には秘密にしていたが、その業者を突き止めだんだんのめりこんでいった。工学博士を座長に研究会を作り、ベンチャーを集め、セミナーを何度もやった。自分でも「商品」をいくつか作った。研究会を発展させて「協会」を作った頃、当時同様の研究会が大阪で1社、東京で2社あり、考え方の正反対(つまり常温での効果はなく、加熱による作用であるという)な協会がほかに二つあった。このときわれわれと反対の立場をとる電熱協会や遠赤外線協会、それに照明学会(大手電機メーカーや各工業試験所の研究者でつくる)は「常温での作用はない」と主張していた。結局メカ二ズムが何かが問題だった。私はそれは多分「光と水」のメカニズムであると直感し、電機大学の中川教授のところへ何度か通い、量子化学的な基礎の勉強をして、「光と水の作用について、そのメカニズム」を考え出した。その後、反対派であった「照明学会」から頼まれて竹橋の科学技術館での学会で発表した。それまで反対派であった研究者達の前で科学者でもない私が発表するのは勇気がいった。一挙に反対派(守旧派)が「非熱作用なんてない。それ見たことか、非科学的ではないか」と力を得ることは明らかだった。しかし皆熱心にきいてくれた。加熱派の論客であった東京工業試験所のA研究者は「随分難しいのですね」と帰りのエレベーターの中でいった。その後「照明学会」の東芝のkさん(主任研究員)の紹介で「光に関する国際シンポジュウム」がオーストラリアで開かれ、日本から私の「光と水のメカニズム」もパネル展示された。当時kさんと共に私も行くことになっていたが仕事と資金の関係で断念したのは残念。大手会社も研究に乗り出した。日立の研究所に呼ばれて「冷蔵庫」についてレクチャーしたこともあった。後で日立はこの発想の冷蔵庫を出している。しばらくしてこの分野の整理に通産省が乗り出した。いくつかの研究会を合同してひとつの協会を作る話が出た。なかに反対するところがあって、通産省は大手会社から基金を集めて協会を作ってしまった。それは「非熱作用」を含めた協会だった。私の協会では中国天津市工業研究所と提携して、ここの研究者たちに、二日にわたりこのメカニズムと製品について講演したこともあった。いろいろあったが、結局バブル崩壊とともにこのセラミックに関する大手会社の関心も薄れ、下火になっていった。この時代に出会った人々、彼らはいま何をしているだろう?会長をお願いしたIM先生やSM社長、また中国に一緒に行ったSP副会長、皆さんがやっていたベンチャー企業はすでに消えている。東芝のKMさんもとっくに定年だろう。
考えてみれば最初のきっかけは「ソープ」だった。それが「セラミック」につながり、「光と水」につながり、「気と人間」につながり、「仙道」につながり現在に繋がっている。そういう方向が最初からあったのかも知れない。
本日は仕事が終わって夜例のごとく焼き鳥屋で友人と生ビール。その後アートコーヒー。11時過ぎには寝る。
by yuugean | 2002-05-24 06:15 | 2002

日記

朝5時起床。例によって細切れ坐忘。今日は気圧の谷が近づいているのか、気感がそれほど濃くない。坐忘によって到達する「極」もまた部分的であまり外部に拡散しない。この日記も2週間になる、休んだのは1日。今では何があったかさえ思い出せない。日記は何でもよい。食事を事細かに書いてもよいし、日々のお金の計算だってなにかを物語っている。ここの日記は最初から読者が想定される。しかし何も隠すようなことはないしただあるがまま。日記といえば思い出されるのは、夏目漱石の「日記」、それと永井荷風の「断腸亭日乗」。前者は漱石の作品よりも漱石的。よく自分を表している。日々の考えを素直に、森羅万象書き綴っている。学生時代の友人の中村是公が時代の先端を行く満鉄総裁になって一介の文士漱石と訪ねたときの感想など風刺が効いて面白い。後者は荷風の戦中戦後日記。日常的な出来事をこと細かく書いて荷風らしい。どちらも読んで面白い日記だし、人柄をよくあらわしている。
仕事は通常通り。可も無く不可もなし。役所にいきデスクで少しいて、もう一度会社にもどり横浜の会社、木場の会社に電話する。横浜の会社は支店長が来週火曜日ならいいと言うので10時半にアポイント。木場の会社は電話ですます。その後少しやって、帰る。ビール小缶2本。昨日もそうだった。
by yuugean | 2002-05-23 08:45 | 2002

なつかしのプーさん

朝5時過ぎ起床。こまぎれの坐忘。つまり坐忘とパソコンを交互にやる。こま切れの坐忘は、その都度坐忘の深度が深まっていく。五千言坊師の言行によると「タオと一体となれるのは上達者でも5分」ということだ。こま切れでも充分に坐忘。念なく想なし。今日は快晴で朝早くから、しきりに名も知らぬ小鳥が高い声で囀っている。時々鳴き方がちがう。そうすると遠くの方でまた別の鳥が囀る。しばらくして双方ともいなくなった。その後の朝の坐忘の合間に、突然私の過去の酒がらみの光景がいろいろ出てきた。最初は新宿ゴールデン街。若い頃、八重洲にあるPR会社の社員だった頃、よく飲んだが中でも新宿ゴールデン街の「プーさん」はよく行った。青春の一部はここに消えている。飲んで、当時はギター伴奏で歌う。その後8トラックの原始カラオケ。ママさん(確か佐々木さん)は独特のしわがれ声で、底抜けに明るい人。顔を見るだけでホッとするような、、。ママさんには娘さんが一人いて当時は高校生だった。セーラー服だねと言った記憶がある。この店にはいろんな人が来た。岡本太郎(画家)、牧信二(ウクレレ)、増位山、鷲羽山(相撲取り)、黒田征太郎(イラストレーター)、そして美空ひばり。ママさんは知り合いが多く(当然だが)、僕が当時作ったソーラーポット(水道水を入れるだけでおいしい水になる。これを使うと植物がよく育ち、肌がつるつる、身体にいい)を「あなたのポットを瀬戸内晴美(現寂聴)さんにあげたわよ」といっていた。そんな思い出が次から次に浮かんできた。この店はその後職安通りに移ったが、その時行ったらママが何かのついでに「お客さんで東大助教授で、空中に浮遊する人がいるわよ」と言っていた。僕がそちら方面に興味のあることを多分見抜いていたのだ。その方に会いたいと思いながら果たせず。こんなことが次から次へと短い時間に浮かんでくる。さらに遡って、新宿で朝まで飲み歩いていた時代のことも浮かんでくる。ゴーゴーバーとか絨毯バーというのがあってあちこち梯子した。当時は原宿のアパートにいたので深夜まで新宿でよく飲んでタクシーで帰った。そんなことが出てくる。遠い時間がすぐ今の時間と繋がっていて、鮮明に雰囲気まで再現される。こんなことでは、何が「坐忘」か。何が無念無想か。しかし今朝何故か短い時間にあのころのことが浮かぶのでそのままに任せた。また今夜、あるいは明日「坐忘」やればいい。どうせこんな状態があと1年半は続くのだ。そのあと6年間の「還虚」。気の遠くなる時間だから、あせらない。あせらない。
by yuugean | 2002-05-22 08:47 | 2002



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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