遊化の森

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メインプロジェクト

4時30分起床。今日も寒い朝。起きてコーヒーを沸かす。その間に一回目の坐忘。例の通り7時15分家を出て、飯田橋「プロント」で少憩。午前中事務所。午後はいつもの通り経済産業省。この間から、M財団の関連で京都の物件をいかにすれば客にアピールできるか考えている。場所が京都であり、規模が大きい。しかもその上に法制的に用途がかなり限定される物件。やり方によっては面白いと思うが、通常のルートにこれを乗せたとしても決していい結果を生まない。とりあえず大手ゼネコン、学校法人、宗教法人などが対象になるが、どこから手をつけたらよいか?すでに資料は作成したので、これを今後いかに展開するかだ。今年はこのプロジェクトをメインにすえ、そのほかに「新エネルギー」関連に関わっていこう。日常業務のほかにこれらを完成させ、いい結果を生むことはかなり至難だがチャレンジあるのみ。12時過ぎ坐忘。1時間してその後就寝。
by yuugean | 2003-02-27 02:38 | 2003

三寒四温

5時起床。少々朝が起きずらい。「三寒四温」というのはまさに最近の季節の在り様を言うのだろうか?早速コーヒーを沸かす。その後坐忘。パソコン。7時15分に家を出て神田。神田駅そばのパン屋の2階。その後「さくら館」へ行く。太極拳の今日の練習は八段錦、進展法、簡化24式、老架式太極拳(通し)。今日は帰り際にRさんをさそおて駅そばの「天ぷら」でビールと食事。台湾のことなどいろいろお話を聞いて、楽しく過ごす事が出来た。終わって帰宅後入浴、夕方から例の通り小宴。ほぼいつもの時間に終わり解散、夜は11時半ー12時半坐忘。その後就寝。
by yuugean | 2003-02-23 02:39 | 2003

花粉症

4時30分起床。起きて身づくろいをして、寒い朝コーヒーを沸かす。その間に一回目の坐忘。例の通り7時15分家を出て、飯田橋「プロント」で少憩。午前中事務所。午後はいつもの通り経済産業省。実は今週3日ほど前から「花粉症」の症状が出ている。鼻水が出て、目がしょぼしょぼ、喉がいがらっぽい。咳が抜けない。もとは「花粉症」など全く他人事であったのに、3-4年前から出始め、昨年は「化学物質過敏症」のような症状となった。環境が部屋でも事務所でも少し「化学物質」が多いと思われる環境だったので一挙に「発病」した感じ。今年は「花粉症」。年をいってから花粉症にはならないと言われているが、私の場合は、体質が過敏になっており、赤ちゃんのような状況。少し汚れていると反応してしまう。今年は少し慣れたが、それでも「花粉症」と重なると鬱陶しく少しつらい。この間から外部から入られ?少し不調気味だったパソコンは完全に復調した。12時過ぎ坐忘。1時間してその後就寝。
by yuugean | 2003-02-21 02:41 | 2003

意識の波

5時起床。洗顔の後、コーヒーを沸かす。例の通りの作業。坐忘。「定」とは何だろうか?「禅定」。現在は私はほとんど「定」にはいる作業しかしていない。時たま、「気」がどこかに停滞していると感じた時に「小周天」「大周天」を数回行うのみ。私がいま考えている事は「坐忘」にはいり、それが深化していくと、自然な「気」の流れがひとりでにはじまって、身体が電磁的ゆらぎを始め、何も意識においては行わないのにひとりでに「動意」があって、やがて大きな流れとなる時。そのときの状況が「大定」ではないだろうかと思っている。勿論思念は停止して、意識や心は何も動かない。ただ自然のままに任せながら、ぴーんと天から地中まで突き抜ける「気」の流れの中にただ浸りきっている時。例の通り7時15分家を出て、飯田橋「プロント」で少憩。午前中事務所。午後はいつもの通り経済産業省。2時半に小伝馬町の取引所に向かい、その後4時から新宿のM財団に向かう。M財団トップのSさんと面談。話は例の京都の大きなプロジェクトの話。M財団S社長はパワフルで清廉な方、尊敬できる数少ない方。打ち合わせはそっちのけで、この財団がいま真剣に取り組んでいる「世界平和」を守るための精神世界あげてのプロジェクトについて熱っぽく語られた。M財団は世界的な財団で、中心はいまヨーロッパにあり、それを率いておられるM師は現在もお元気で、世界に向かって「平和」の為のメッセージを現在も送り続けておられる。Sさんはその直弟子のおひとり。今回M師がSさんを使って日本や世界でやろうとされているプロジェクトは精神世界でのプロジェクトだが、現在注目されている「イラク軍事行動」をすすめるブッシュ政権に真っ向から立ち向かうものだ。意識をタオに到達させ、その崇高な意識を集結することで、戦争をやめさせ世界に平和をもたらそうという「精神世界」本来のやるべき大きなプロジェクトに真正面から取り組んでこられたM師。そのM師はいま日本の若者に期待を持っておられる。日常のビジネスに埋没して動きの取れない人達ではなく、その理想に向かって取り組める1000人の新しい人達のタオに到達した「純粋意識」を結集して戦争集結まで意識の波を世界に発信し続けようとしておられる。M師の多くのメッセージのコピーなど頂いたが、「地位」や「名誉」や「富」といった日常に埋没せず「超越した意識」とともに生きる事の大切さを説いておられ、もう二年も前に今日の米英の事態を予測され、日本の政治経済の状況に警鐘を鳴らしておられる。全く同感のことばかりで、流儀は違ってもそういう方向を目指している人間として、いずれはM師の教えに帰依することもあるかという予感がする。終わって帰宅したのは8時。テレビを見て少し睡眠。その後坐忘。その後就寝。
by yuugean | 2003-02-19 02:43 | 2003

音声転換機

5時起床。朝起きて早速コーヒーを沸かす。その後坐忘。パソコン。7時15分に家を出て秋葉原。秋葉原駅そばの「ドトール」の2階。その後「童夢館」へ行く。太極拳の今日の練習は八段錦、進展法、簡化24式、部分稽古。帰り際にRさんが「これを仙道の会に寄付します」といって「音声転換器」をプレゼントしていただいた。言葉で吹き込めばパソコン上で文字変換されるという機械。重宝したいと思う。感謝、感謝。Rさんとは「仙道」のこともあり帰られてからも長くお付き合いできればと思う。終わってから、神田駅まで歩き、駅の傍の天ぷら屋で昼食。天ぷら定食と生ビールを注文。終わって帰宅後入浴、夕方から例の通り小宴。ほぼいつもの時間に終わり解散、その後はテレビ、就寝。太極拳の日はお酒のあと疲れているのか寝込んでしまう事が多い。それで再び風邪を引いたりするのでなかなか風邪が抜けない。夜は11時半ー12時半坐忘。その後就寝。
by yuugean | 2003-02-16 02:45 | 2003

「伍守陽はなぜ心の状態を重視したか」

◆「仙仏合宗―達磨の法」
◆「先天の気」「大薬」「胎息」

私たちが修練していこうとしている「伍柳派」と言われている「仙道内丹法」。
その創始者伍守陽の思想についてもう少し続けてみます。前号で少し触れてみた伍
守陽の著作「天仙正論直論」は、修練の順序を書いている書ではありません。それ
よりも、それまではどちらかといえば、暗喩や隠語でかかれて「門外漢」には決し
て読めないようになっていた「仙道内丹法」の内容について、具体的に詳細にわた
って記述しています。そして、恐らくはその「仙道内丹法」を修練していくについ
て、重要なポイントを伍守陽が考えた重要度にしたがって著述されたのではないか
と思います。なぜ「天仙正論直論」を著すについて、まず第一番目に「先天の気」
について書いてあるかという事です。おそらく伍守陽は「仙道内丹法」の修練には
「入静した状態の中だけで得られる先天の気のみを用いよ。後天の気を用いてはな
らない」といったのでしょうか?それは考えるに最も重要なのは修練する時の「心
の状態」であって、それが落ち着いて「無心」でなければ、いくら修練を続けても
修練の実は上がらない、ということを言うためにまず一番目にこの章をおいたと思
われます。

「後天の気を決して用いるな」というのは、「他人よりも勝れるため」とか「超人
的な能力を手に入れる」といった、「個我意識」が生み出すさまざまな揺れ動く感
情(後天の気)に左右されていては修練の実は上がらないということを言っている
のです。本当に素直な気持ちでいっさいの邪念なく取り組めば、たちまち「先天の
気」が働いて「仙道内丹法」が進み「証験」が現れてくるということを言っている
のです。

「伍柳派」内丹法の大きな特徴は「仙仏合宗」です。創始者の伍守陽が唱えたのが
この「仙仏合宗」であることは勿論ですが、これを引き継いで今日「伍柳派」の
「仙道内丹法」として完成させた柳華陽はもとは仏教の僧侶でもありました。「仙
仏合宗」とはどういうことでしょうか?修練の基本の中に「心」を置くということ
です。それが「心」と「身体」の双方を修練によって高める「性命両修」の精神と
なって現れます。つまり逆に言えば、「伍柳派内丹法」では何よりも「心の平静」
とか「素直な心」とか「無心」といった「心」の状態を大切に考えています。それ
が仙道上達の基本になると考えているのです。伍守陽は最初に「先天の気のみを使
え」と言います。しかし本当はこれが最も難しい事のひとつです。「先天」に帰る
には「心」を「無心」にしなければならず、それは「仏教」でも修練の後に到達で
きる、究極の境地だからです。ところで「仙仏合宗」の「仏」とは何でしょうか?
仏教も日本ではまたさまざまなものがあります。私は「仙仏合宗」で伍守陽が考え
ていたのは「達磨教」であったと思っています。今日「達磨教」は禅宗として仏教
の一部になっていますが、その原点においては、これは「達磨教」とでも言うべき
独特のものでした。「釈迦」を天界の仏として拝むというよりは、「釈迦」が修行
した瞑想修練そのものを行じるという教えだからです。事実「伍柳派」では達磨が
行じたといわれる「面壁九年」を第4階の「煉神還虚」の中心修練に取り入れてい
ます。

伍守陽はまた「天仙正論直論」で「薬物」「煉薬」の重要性を説いています。
「精・気・神」の三要素を正薬と呼び、この三つの要素を修練してひとつに合体す
ることを「煉薬」と呼んでいます。「必ず神と気を均等に合体させ、火と薬のバラ
ンスをとり、呼吸の気を真気の動静に同調させることによって胎息の基礎を固め
る」と述べています。つまりこの段階になると「神」の使い方が重要で、「煉薬」
のためには強度の「神」(意識)の集中によって、高い熱を発生させて練り上げ、
「合体」した後はかえって無理な強度な集中やコントロールを避けることが必要な
のです。

また伍守陽が「天仙正論直論」の最後の章に重要な項目として掲げているのは「胎
息」です。もともと「胎息」は、老子などのいた中国古代には、それ自体が独立し
た体系であったようです。有名な「胎息経」が伝えられているように、「胎息」を
獲得することによって、「不老長寿」が得られると考えられ、その修練方法は「仙
道内丹法」確立以前に独立した修練体系を持っていました。伍守陽は「天仙正論直
論」の中で「古の胎息経に、胎は伏気によって結ばれ、気は胎の中で微かになる、
とあるが、これが過去から未来にわたる神仙天仙たちの秘法である」述べていま
す。先天の気が発動し、元霊が目を覚まし呼吸とシンクロして「精・気・神」の三
要素が合体して真の「禅定」に入ったときこそ、本物の「胎息」が始まるのです。

伍守陽はその「天仙正論直論」の中で書いている要素はすべて「仙道内丹法」を身
につけるためには重要な事です。なかでも「先天の気」「大薬」「胎息」は「仙道
内丹法」の完成の為には欠かせない要素と考えていたのではないかと思われます。
by yuugean | 2003-02-11 06:51 | 内丹法を修練する

田中の松

5時起床。昨夜9時過ぎに帰宅し、そのまま就寝。一度真夜中に目がさめた。昨日「岩室」の温泉病院前で下りて「遊雁の湯・よりなれ」への道を上がろうとしたとき、ふと目に留まったのが「田中の松」だった。「田中の松」は今回の旅の目的のひとつだった。前もっての感触では、もっと村の中の、田んぼの中にひとり立つ、背の高い「松」という感じだった。しかし、「遊雁の湯・よりなれ」への山道を登ろうとして民家の裏の偶然見上げた小高い土盛りの上に「田中の松」の標識があった。こんな身近に見られると思わなかったので感激。良寛が国上山で過ごした時期、岩室まで何度もやってきたのだろう、この「田中の松」を歌に詠んでいる。
 いわむろの たなかの まつは まちぬらし
  わをまちぬらし たなかの まつは
 
 岩室の 田中に立てる 一つ松あわれ
 ぬれつつ立てり 人にありせば
 蓑きせましを 笠きせましを
 一つ松あわれ 行くさ来さ
 見れども飽かぬ 岩室の 田中に立てる
 一つ松あわれ
この「一つ松」が目の前にある。田の中に独りそびえる「一つ松」、その姿に良寛は自分を重ね合わせている。どこからも見え、誇り高く、孤独に聳え立つ「松」。それは良寛の姿そのものだった。その毅然とした松の姿に自分を読み取り「一つ松あわれ」と詠んでいる。「あわれ」なのは良寛だった。 
例の通り7時15分家を出て、飯田橋「プロント」で少憩。午前中事務所。午後はいつもの通り経済産業省。仕事はいつもどおり終わり、いつもどおり帰宅。
by yuugean | 2003-02-10 02:46 | 2003

温泉

朝4時20分起床。坐忘。旅先でも変わらず目覚め坐忘。7時から朝食。ホテルのコーヒーショップで洋食バイキング。オークラはやはりパンがおいしい。8時前チェックオフし、歩いて新潟駅。9時8分の越後線で「弥彦」へ。途中「吉田」というところで乗り換え「弥彦」へ。弥彦神社に向かう。長い参道を歩き杉並木の中を歩いて本殿に向かう。裏日本の大社であるだけに、その威風堂々とした構えには神々しさが感じられる。後ろの弥彦山自体がご神体かと思われるほど、うっそうとした深い森が近くに迫っている。当初は参道にある弥彦温泉で一浴びする計画だったが、どうも「温泉」というには気配が感じられないので、予定を変更してバスで「岩室」へ。岩室は49度の高温泉。温泉病院の前でバスを降りて、小高い山道を登り「遊雁の湯・よりなれ」という山上の温泉に入る。村営の保養施設で温泉がいつもわいている。地元の善男善女で混んでいるが、温泉の質は高く肌はすべすべする。30分以上も露天風呂や室内の檜風呂に入る。身体は中からあったまる。温泉に入っていると、しきりに眠気が誘い、しばらく大きな座敷で村人達に混じって横になる。いつの間にか眠ってしまった。目が覚めてじっと耳を澄ませていると、村のおばさんたちがしきりになにかしゃべっている。それが一言もわからない。何かとっかかりがあれば話の内容が類推できそうに思うが、そのとっかかりもなく、まるで外国語のように分らない。ここには3時間ほどいて帰りのバスの時間なので退出した。バスの停留場が温泉の受付できいた場所にはなく、近くの八百屋さんで聞くとかなりはずれにバス停があるという。教えてもらった道筋を急いでいると、後ろからクルマが来て「乗ってけ」といってくれる。さっきの八百屋で話をしていた親切なおばさんだった。おかげで1時間に1本しかこないバスの時間に間に合い。「岩室駅」へ向かった。駅へつくとまもなく新潟行きの電車が入ってきた。これも1時間に1本しか来ない電車。ローカル線の旅も楽しく、バスも電車も地元の人達となんとなく触れ合う事ができる。車窓は一面見渡す限りの田んぼで、さすが日本の米どころを感じさせる。夕方新潟に着き、新幹線で東京に向かった。
by yuugean | 2003-02-09 02:48 | 2003

良寛と会津八一

5時起床。起床後、洗顔、コーヒーを沸かし、その間に少し坐忘。その後パソコン。今日から明日にかけて仕事がらみで新潟へ。7時15分家を出てs君と待ち合わせ、k経由大宮へ。大宮から「とき」で新潟。仕事が終わり、時間があったのでバスに乗って50分、市外横越村の「伊藤家」へ行く。ここは越後一の「豪農」の館。現代は「北方文化博物館」になっている。9000坪の敷地にいくつかの建物が点在し65の部屋がある、大きな屋敷。中には7代目当主が集めた縄文土器、石器などに混じり、良寛の書や会津八一の書などが展示されている。しかし圧巻はその「豪邸」そのもので60数人の使用人を擁した日本有数の豪農の生活ぶりが忍ばれる。陶器、漆器など調度品、鍋釜など当時のまま残されている。客間にはいまの季節にふさわしく、大きな内裏雛が一対飾ってあった。またバスに乗って新潟へ帰り、終点の「古町」で下車、こんどは「伊藤家」の別邸を見る。ここにも良寛の書と会津八一の書画が展示されている。良寛はいずれ本格的に研究したい対象であり、会津八一は中学生時代にその存在を知り、考古学者として絶妙の書をかく人として、あるいは歌人としていつも興味をもってきた。私の師で一時茶道の掛け軸としては最も値の高かった東大寺の清水公照管長(故人)の書に極めて骨法が似た書、好きな書だ。八一はここで晩年の20年間を過ごしたという。伊藤家の当時の当主とは学友であった縁で、早大名誉教授を退官した後の八一は故郷の新潟で過ごし、この家の洋館に住んでここで死んだ。そう思ってみると良寛と八一には縁があるように思われる。そのあとホテルオークラに入り、夜は和食堂でカニと鰤のコースをいただく。「越の寒梅」はさすがに名酒。酔い心地は何ともいえない。その後町に出て飲み屋街を散策して11時ごろ就寝。
by yuugean | 2003-02-08 02:49 | 2003

「伍柳派」

◆「伍守陽と柳華陽」
◆「伍守陽の内丹法」

 もうすっかり空は春の雰囲気になってきた、今日この頃です。この「仙道メルマ
ガ」も久しぶりの気がしますが、皆さんお変わりないでしょうか?2003年もす
でに最初の1ヶ月が過ぎてしまいました。やはり「イラク戦争」まだまだ気になる
ところですがこんな主観的な、大義名分のない状態で「勃発」してしまうと、かえ
ってブッシュさんの方がその後大変な事のように思うのですがどうでしょうか。ア
ラブという古池の中を、棒でかき回すような行為に思えてしかたがありません。

ところで,私たちが修練していこうとしている「仙道」は大陸中国で「伍柳派」と言
われている「仙道内丹法」です。今回は原典に立ち戻り、再度おさらえをしてみま
す。この派は北宋の兵処機に源流をもつ「龍門派」と呼ばれる流れのひとつではあ
ります。伍守陽と柳華陽の二人によって完成された内丹法です。伍守陽は1574
年に江西省に生まれ、13歳で世の常ならぬ志を抱き昇仙を希求するようになった
といわれます。1644年に亡くなるまで「天仙正論直論」や「仙仏合宗語録」を
著した。弟子といわれる柳華陽(1736-?)はもともと科挙をめざしていたが
仏教の道に入りました。しかしそこでも得られるものなく、伍守陽の存在を知って
「幸運にも伍守陽先生が私に伝えてくださった教えに出会い、慧命の道は自分が本
来もっている神秘的な存在なのだと悟った」といわれます。伍守陽を継いだのです
が、二人は直接会ったわけではなく、それは書物を通じての師弟関係です。柳華陽
は伍守陽の「仙仏合宗」の考えや方法を引き継いで「慧命経」「金仙証論」を著し
ました。この流れを「伍柳派」内丹法といいます。

北宋から出たのですが、理論・表現とも明解で、北宋よりもずっと世に受け入れら
れました。流派の壁を越え、仏教、道教、儒教、医家の学説を融合したものが「伍
柳派」内丹法の特徴です。修行法においては清浄丹法(パートナーを伴わない)を
完全に貫き、気脈を整える事と小周天を主な功法とし、仏教の「禅定止観」を加え
ています。練功の各段階に起こる様々な現象や、危険の予防法について率直に語り
詳細に述べているので、伍柳派の内丹法は中国各地で大流行したと言われます。多
くの人々から内丹道の最高水準のものと賞賛されました。ここでは伍守陽と柳華陽
というふたりの「師弟」の編み出した「内丹法」理論についてみていきます。

伍守陽の「内丹法」とはどういうものだったのでしょう。彼の主著のひとつ「天仙
正理直論」は1639年に記されたのですが、その序で彼は言います。「この書物
は道教と仏教の二教のエッセンスを融合し、そのキーポイントを纏めてある。(中
略)古代の聖人の学説を継承して邪説を退け、新学説を展開して人心を正そうとす
る。道教と仏教にとっては不可欠な書物であり、聖人・真人が必ず研究すべき書物
である」と。つまり道教と仏教の二つの方法を彼は融合した体系を作り上げたので
す。「天仙正理直論」は九章から成り立っています。

第一章は「後天先天二気直論」。内丹修練では「先天」の「気」のみを使い、「後
天」の「気」を使ってはならない。「先天」の「気」は入静した状態の中だけで得
られる。「いかなる思慮も知覚も無くなった時こそ本当の先天の領域に達し、真
気、先天の気が出現する」と彼はいいます。

第二章は「薬物直論」。「薬物は丹田に内蔵されている。精と気が補完され、神と
気が共に大周天の条件を備えてくると大薬発生の過程となる」と述べています。こ
のようにして第三章「鼎器直論」。第四章「火候経」、これは修練の際の「火加
減」について述べているところですが、「火加減」は小周天、活子時、四正時、沐
浴、上火の各局面でどうするかということが書かれています。大周天の「火候」に
ついては「温温として継続し全く無というわけではない(微妙な火加減)。最後に
は大定に帰着する」と述べています。第五章「煉己直論」、第六章「築基直論」。
次いで第七章「煉薬直論」、つまり火と薬のバランスの取り方、呼吸の気からいか
に胎息に向かうかが書かれています。第八章「伏気直論」。第九章「胎息直論」禅
定の中で得られる真の胎息について書かれています。つまりこの書物では「内丹
法」として現在伝えられている四つの階梯「築基」「煉精化気」「煉気化神」「煉
神還虚」というカリキュラムの中に盛り込まれている全ての事が、この「天仙正理
直論」には盛り込まれており、現在「内丹法」といわれているものの基礎が伍守陽
のよって組み立てられたものである事がよく判ります。
by yuugean | 2003-02-07 06:52 | 内丹法を修練する



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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