遊化の森

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吉永小百合

4時起床。今日はまた「花粉日」。いつからこんなに「花粉」を意識するようになったのだろう。一昨年暮に当時、自宅とは別に借りた杉並の一室が、室内の壁面が「化学物質過敏症」を引き起こした。もともとあったものを呼び覚ましたのかも知れない。それで「化学物質」的なもの、タバコなどもダメになって、そういう部屋に1時間いると、頭がぼやけ、喉が痛くなり、2時間以上いると、喉から心臓が苦しくなってくる。そこを離れるとすぐよくなるが、そういう「過敏症」にまずなった。「杉花粉症」は以前から軽度のものがあったが、昨年かなり出た。そして今年は4月の「スギ」はそれほどでもなかったが、5月の「ヒノキ」が猛威を奮っている。「ヒノキ」は「スギ」に比して粒子がさらに細かいと思う。脳の中にも入ってきたりする感じ。眼、喉も刺すように反応してくる。それだけ身体全体が活性化して、あるいは清浄化して、少しの「汚れ」にも反応してしまうようになったのかとも思う。昨夜はなぜかあまり寝ていない。床に入ったのは12時ごろ、それからなぜか寝付けない。結局4時になるのを待って床を離れ、例のとおり歯磨き・洗顔、コーヒーを沸かし。その後坐忘。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス、午後から経済産業省。今日は仕事終わって夜は文京区の「シビックホール」で行われる「吉永小百合・原爆詩の朗読」に行くので5時過ぎに飯田橋で待ち合わせ。時間があったので、まず前から気になっていた小石川「伝通院」に行く。人から聞いて一度いってみようと思っていたのでだが、たしかにかなり広い。それに大きく伝統のありそうな墓地には圧倒される。江戸時代のものらしい古く大きな墓地が目に付く。その後裏道を通って「シビックセンター」へ。この日は区民の合唱団などが前座をつとめ、その後に「吉永小百合」が登場。もう50代半ばを過ぎたのに相変わらず昔のまま。清楚な感じで何気なく花がある。聞けばもう16年もこの「原爆詩」を朗読する運動を続けているという。峠三吉の有名な「にんげんを返せ」の詩から始まって10編ぐらいの様々な詩の朗読。感情をこめ、時には突き放し、さすが俳優さんらしい朗読。終わったら9時近くになっていたので、その後池袋に出て別れて帰宅。夜、坐忘少時。
by yuugean | 2003-05-23 18:53 | 2003

花粉日

4時半すぎ起床。朝起きると今日は「花粉日」。頭がぼーとして焦点が定まりにくい。歯磨き、洗顔、コーヒー。その後坐忘。「花粉」のひどい日は坐忘の集中度はいまいち。しかし「継続は力」であるので、とにかく既定の量は継続する。。くちなしを植え替え、小さな黒松の五本寄せ植えの剪定をした。例の通り7時45分に家を出て今日は秋葉原童夢館。秋葉原のドーナツ屋が今日の待合せ。太極拳の今日の練習は八段錦、進展法、簡化24式、老架式の通し稽古。今日は休みが少し長め。先週の神田祭りのsさんの神輿の話が中心。帰りに神田に出て以前行った天ぷら屋にいくも、店を改装してとんかつ屋になるというのでただ今改装中。しかたなく神田駅傍の「万世」に行き、ランチとビール。帰宅後入浴、夕方から例の通り小宴。ほぼいつもの時間に終わり解散、その後テレビ。坐忘。その後就寝。
by yuugean | 2003-05-18 18:55 | 2003

「大薬」

 
◆「大薬の発生」
◆「小周天ルートを回す」
◆「大薬体験」

さて第三段階は「煉キ化神」。熱が発生しているのを止めたあと、会陰から丹田に
昇る「キ」(気)があって内薬が生じますが、これはもちろん修練者には見えるわ
けでもありません。しかし「大薬発生」の時にはひとつの「証験」があります。 こ
の時、伝統仙道で通常言われていることは、「陽光三現」という現象です。瞑想し
ていると眉間に電光のような光が突然現れ、部屋に白い光が立ち込めます。これが
「陽光三現」。体内の真陽が完全に集まり、丹田内に「大薬」が生じたことを示し
ている「証験」。また「大薬」が生じる時には「六根震動」という状態も現れるとい
われています。これは丹田の火が盛んになり熱くなり、耳の後ろで風が起こり、脳
の後ろで鷲が啼き、身体が沸くといわれます。「丹田」の火はこの前後確かに集中
によって非常に高温になり、身体が沸いた感じにはなります。ただこれには個人差
もあると思います。すべての条件が揃ったら、「大薬の発生」が始まるというわけ
でもなく、この時期にこういった、いくつかの「現象」「証験」が現れたなら、や
がて「大薬」が発生してきます。

「大薬」は突然、思いもかけない時に発生します。そして一旦生じると、「大薬」
は非常に活発で、身体の内部で心臓の方へ勢いよく駆け上がったり、前へ行って生
殖器に触れたり、後ろへ行って尾閭に突き当たったたりします。結局「大薬」は後
ろへ行き、そのままにしておけば肛門から外の方へ逃げ去ってしまいます。伝統仙
道ではこの時のために、「大薬」を一滴も外に漏らさないため、肛門を外から木座
(木製の肛門の栓)でしっかり蓋をし、肛門から「大薬」を出さないようにするの
です。現代ではそこまで出来ないと思います。あらかじめ「木座」を作って「大薬
発生」に備えている修練者はいるのかどうか寡聞にして知りません。しかし「一滴
も外にもらさない」という「心がけ」は必要でしょう。

こうして「大薬」が発生すると、すかさず修練者は「大薬」を吸い上げるような気
持ちで尾閭を越え、督脈に吸い上げます。伝統仙道では「大薬」を軽く引き上げ、
羊が引く車のように尾閭を通過し、まず背中の窪みまで引き上げるとされていま
す。「大薬」が夾脊関(背中の窪み)で阻まれて動かない時には無理に意念で引っ
張らないで、「大薬」がまた自然に動く時を待ち、微かに意念をかけて軽く引っ張
り、玉沈関(首のつけ根)まで昇っていきます。大薬は玉沈関でまた阻まれて動か
なくなると、ゆっくりと「大薬」が自然と動いて大きな力で玉沈関を衝き開くのを
待ちます。玉沈関を過ぎますと、直ぐに頭の脳の中を貫くので、再び引っ張って印
堂(眉間)まで下ろします。「大薬」は印堂で阻まれて通らなくなると、鼻腔から
容易に外に排泄されます。この時伝統仙道では「木製クリップ」で鼻孔を挟んで閉
じ、舌を上顎につけ、大薬を下に引っ張ります。やがて大薬は気管を過ぎ、中丹田
を通って下丹田まで降りてきます。つまり「大薬」が発生したら、修練者は「小周
天」のルートを自然な形で「大薬」を周流させ下丹田に収めるのです。そのルート
を無理なく周流していくように「意念」を使います。このとき「小周天」ルートを
一周する時の注意点は「肛門」とともに「鼻腔」から「大薬」が漏れないように細
心の注意をする事です。伝統仙道ではこの時のために、先ほどの「木製クリップ」
で鼻をつまんで外に漏れるのを防ぐとされています。「修行三昧」の「道観」の中
などではいざ知らず、私たちは「木製クリップ」を付けてまま一週間も現代生活を
送ることは出来ませんので、「意念」を用いて鼻腔から漏れないようにします。
「大薬」が体内に一旦生じると、次から次へと発生してきて、こういう状態がほぼ
一週間続きます。そしてまたある日、ぴたりと止まり二度と発生しません。

次は私の「大薬」体験です。「言行録2000年」の5月23日の項に次のような
記述があります。これは当時私が時々投稿していたホームページ「仙人の庵」(天
野さん)の掲示板に出した「大薬を二度つくる」というスレッドです。これは当時
結構あちこちから総スカンを食いました。当時はこの「仙人の庵」も「高藤信者」
が多く、私の発言を「高藤流」への批判めいた事と受け止められたようです。最後
には「天野さん」まで出てきて少々やりあいました。天野さんも現在ではどうも仙
道的ではない方向のようですし、もうひとつの「天経」もなぜか「高藤色」を薄
め、その旗をおろした(ような?)状況でとなりましたが、今では懐かしい思い出
です。

「大薬を二度つくる」

 「大薬」って、高藤さんの本なんかによると、「ボール」ぐらいの「光の球」っ
ていうじゃないですか。それで天堂に眩しい光が現れた時、丹田の「光の球」に意
念をかけつづけ、それを「採薬」して丹田から「黄庭」に上げました。4月の初め
頃のことです。そうすると丹田と黄庭に気が充満して、やがて「食事」をあまりし
なくても良いようになりました。これが「ひ穀」現象というものかなと思っていた
のです。その後、不注意にも「胃の検診」でレントゲンを浴びたら、「黄庭」の気
の塊が消えました。かなり焦って、いろいろやったのですが元通りには戻りませ
ん。しかし、いろいろやっているとそのうちに「胎息」が始まりました。これが
「胎息」なんだなという感じでした。その後、二日ほどしてなにか腸の調子が悪い
ような状態になりました。ときどき、なにもしないのに、穀道(腔門)から透明な
粘り気のある水分のようなものがひとりでに漏れました。きもちが悪いのと、早く
修復したいのとの両方でこの現象について中国の「仙道」をいろいろ調べたんです
が、この透明な粘り気のある「水分」こそが「大薬」だったのです。それを作法に
のっとり督脈、任脈に回し、「黄庭」に収めました。「大薬」は「気の光る塊」で
はなく「液体」だったのです。そして「大周天」とはどこかに書いてあるような
「気が全身にまわる状態」というようなあいまいな物ではなく、ちゃんと、その
「大薬」を任・督脈にまわし、「黄庭」に取り込む手法だったのです。まさに「大
周天」だったのではと信じています。(以上「仙人の庵」スレッドより)  

少し補足しますと、その年の初め頃から高藤流で「光の球」を下丹田に作っていた
のですが、まず最初に、3月下旬能登半島の温泉にいったら、その後「光の球」は
消えてなくなりました。この温泉はどうもラジウムのような放射性の強い物質を含
む温泉だったのではないかと思っています。その後1週間ほど「光の珠」の回復に
努めました。1週間ほど後にそれは回復し以前と同様な感じになりました。しかし
その後4月にはいって「区の検診」を受け、胃や肺のレントゲンを撮りました。そ
うすると再び「光の球」は消滅しました。X線の波長と「光の球」の波長が適合し
たのでしょうか?今度は再びばらばらに分解された感じでした。あの時は正直慌て
ましたが、取り返しはつきません。思い直して再度「小周天」を何度もやりまし
た。朝も夜も、失ったものを取り返すつもり、再度最初から取り組むつもりでし
た。そうしていると5月に入って、ある朝突然「大薬」が発生したのです。最初は
朝起きてみると、肛門から何か「液状」のものが出ているのを発見。何かヘンな病
気じゃないかと思いましたが伍柳派の「仙道」テキストを読んで、「これが大薬」
ということが判りました。さあ、それからの毎日が大変です。10分―20分ぐら
いの感覚でとめどなく流れ出してくる気体と液体の混ざったような半透明の物質
「大薬」。発生するのは判るのですが、その都度外に出さないように「汲み上げ」
小周天ルートを廻して、下丹田に収めなければなりません。会社にいる時などは、
その都度トイレに駆け込んで「汲み上げ」「周流」をやりました。やはりこの場合
は注意力が散乱しないように「瞑目」して「意識」で引っ張り上げていく作業とな
りますので、やはりトイレのような場所が必要だったのです。車内とか、喫茶店の
場合は座って「瞑目」していればいいのですが、オフィスではそう行かないからで
す。周囲の人はきっと変に思っていたに違いありません。こういう状態が1週間ほ
ど続き、1週間ほど後にぴたりと「大薬」産出は止みました。一度、昼間小周天ル
ートを回している時に、鼻からたらりと、その「大薬」が出てきたことがありまし
た。気体と液体の混ざったような半透明の少し粘っこい物質でした。
by yuugean | 2003-05-18 06:43 | 内丹法を修練する

神田祭

4時すぎ起床。今日は「花粉」が全く舞っていないので、朝起きた時から快適。歯磨き、洗顔、コーヒー。その後坐忘。「花粉」のひどい日は朝から頭が重く、何か詰まっている感じがするが、今日のような日は、それがすっと抜けていった感じ。坐忘の集中度も増し、元の感覚がすばやく戻ってくる。坐忘の合間に、パソコンと花や樹木の手入。昨年は少しも花をつけなったデンドロジュムが、昨年冬そとに放り放しにしておいたら、今年は一杯花がつき、今日から濃いピンクの花が開き始めた。玄関のところに季節モノで「アジサイ」を寄せ植え、天井から「スイトピー」の薄紅の花を付けたのを蔓を下に這わせて吊るとひとつのオブジェになった。くちなしを植え替え、小さな黒松の五本寄せ植えの剪定をした。例の通り7時45分に家を出て今日は秋葉原昭和通口で待ち合わせ。秋葉原の三井記念病院の隣の小学校体育館が今日の練習場。その途中の「ヴェローチェ」でしばらく談笑。その後「体育館」へ行く。太極拳の今日の練習は八段錦、進展法、簡化24式、陳式、老架式の三式通し稽古。今日はいちばん数が多い地元の「神田組」の皆さんはお休み。神田祭の本祭りでみな町内会に駆り出されるとのこと。太極拳を終わって、早速、電気街を抜け「神田明神」に行く。今日はさすがに人出が多い。神田の鮨屋Sさんから「12時に宮入で私達の神輿も宮入りしますから見に来て」と言われていたので急いで駆けつけた。最初は今年江戸400年で復元した「船渡御」でやってきた「大手町町内会」の神輿。これは「神田明神」の祭神「平将門」はもともと江戸城内に祀られていたもので、いまも大手町に将門塚がある。そこから船でやってきた神輿。神社の祝福を受け、何度も一本締めをやり、つぎに「一番神輿」が入場。その後次々に大小さまざまな神輿が本殿の前にやってきて、神社の祝福を受け、再び担ぎ手達に担がれて出て行く。「八番」まで見たが、sさんの神輿が来ないので、まだ昼飯前であったので退場した。帰りに御茶ノ水に出て駅近くのビストロ風洋食屋で食事と生ビール。帰宅後入浴、夕方から例の通り小宴。ほぼいつもの時間に終わり解散、その後テレビ。坐忘。その後就寝。
by yuugean | 2003-05-11 18:56 | 2003

マヤ文明

4時半起床。朝起きて、歯磨き・洗顔、コーヒー。その後坐忘。このところ、「ヒノキ花粉症」で頭はいつも重く、喉がひりひりとして、刺すような感じがある。部屋で夕方など少しまどろむと、こんど起きる時は脊椎が「ぐにゃーん」とした感じになって起き上がれない。私は「杉」より「ヒノキ」に感応するように思う。4月中の「杉花粉症」の時は目が少ししょぼついたり、鼻が少しぐずついたりした程度、それほど苦痛ではなかった。しかし四月下旬からずっと「ヒノキ花粉症」的な症状が続いている。鼻が乾き、喉が渇き、時々眼がたまらなく痒い。節々が痛く、何か別の病気を疑ったりするが、日によってはまったくそういう感じのない日がある。これはやはり「花粉」の少ない日と見るべきだ。頭はずーと冴えないので「坐忘」はやるが、集中があまり続かない。ただ「坐忘」をやれば、以前からの感じが身体中にずっと広がっていって、復元する。いつもどおり7時15分家を出て飯田橋に出て少憩。午前中はオフィス。午後から経済産業省。その後仕事が終わったので、2時半上野で待ち合わせ、今日は「マヤ文明展」を科学博物館で見る。起源前から連綿と中米の密林の中で続いてきた「マヤ文明」。インカに繋がる種族が密林の中で育てた驚異の文明。今回は彼らの遺物や埋葬品、道具、器、織物などが一挙展示されている。巨大な砂岩に彫られたモニュメント、「マヤ文字」を記した記念碑。彼らの文字は表意であり表音。この絵のような文字を解読していった考古学者達の地道で根気のいる努力に脱帽。道具や器はいずれも小ぶりでマヤ人達は小柄であったことを伺わせるが、テラコッタのような独特の「赤」が今も鮮やかで印象に残る。絵を描くのが好きな民族、織物を織るのが好きな民族であったようだ。別館で「ヴァーチャル・リアリティ」を使った映像説明が15分ほどあったが、180度の視野の中に入ってくるマヤ遺跡は緑の中に美しい。そこを「ヴァーチャル・リアリティ」で上空や遺跡内部などいろいろ、自分がそこに立ち現実に見ているような映像は新しい発見。終わって帰宅。テレビを見て、少々坐忘ののち就寝。
by yuugean | 2003-05-06 18:58 | 2003

蓮如

4時半起床。昨夜はなぜかあまり寝ていない。床に入ったのは2時ごろ、それからなぜか寝付けなくて、結局4時過ぎには床を離れた。例のとおり歯磨き・洗顔、コーヒーを沸かし。今日は天気のいい日であることを予感させる「光」がすでに溢れている。その後坐忘。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス、午後から経済産業省。今日はメーデーで、大手会社はほとんど休み。心なしか霞ヶ関も閑散としている。仕事も終わってしまえば今日は新しいことは別にない。上野に出て、待ち合わせの「公園口」へ。今日は以前チケットを買っておいた「西本願寺展」(国立博物館)へ行く。この展覧会は、京都・西本願寺のお堂が大修理に入るので、寺宝の移転を兼ねて展覧会をやったもの。西本願寺といえば、有名な「飛雲閣」や「白書院・黒書院」「茶室」など建築物に優れたものがあるが、文物についてはあまり知られていないので、興味はあった。今回の展示の目玉は「国宝三十六人集」。平安時代に時の天皇を慰める為に、女房達が協力して工芸人に制作させ献上したものと言われている。紀貫之など歌人・三十六人の「家集」を集め納めた物で皇室に伝わって来た御物。それが江戸時代に西本願寺が天皇家に財政援助した見返りに後小松天皇?から下げ渡されたもの。
平安時代当時の工芸の粋を集め、紙、筆などひとつひとつ繊細な技の後が忍ばれる逸品。意外だったのはその大きさで、イメージでは色紙大のような感じだが、実際は小さくてほとんどハガキ大。そこに端麗な大和文字がつらつらと連なっている。他に興味を引いたのは、親鸞関係の木像や筆跡。教行信証などの写本。「親鸞」はひとつには筆まめで晩年まで多くの著作を残していること。それと「蓮如」のパワー。あの時代に織田信長の無理難題に一歩も引かず法統を守り抜いた強大なパワーと夥しい手紙文。「蓮如」という人物にたいへん興味がわいた。ただ現在、これらを国立博物館でわれわれが拝観しているが、本来西本願寺にとっては純粋な信仰の対象であることを忘れてはならない。その後池袋で別れて帰宅。夜、坐忘少時。
by yuugean | 2003-05-01 19:01 | 2003



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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