遊化の森

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内子

いつもの通り5時起床。坐忘。昨日と同様に「気感」が強い。やはりここが松山城の域内にあることと関係があるかも知れない。焚火法ののち、小周天、大周天三回。そののち坐忘。この日は比較的ゆっくりのスケジュールにしてあるが、昨日少し強行軍であったので、今日の「内子」行きは取りやめにするつもりだった。しかしホテルで朝食中、やはり「内子」に行くことになった。10時15分の松山発の特急列車で「内子」行き。特急で25分ぐらいの距離だが、かなり山間部の中の小さな盆地の町が内子だった。昨日と同じく格別に暑い。何よりも日陰がなく、日差しが強い。その中を15分ほど歩いて内子中心部へ。まず有名な「内子座」。江戸時代の芝居小屋のようなたたずまいで、看板がかかり、幟がはためいている。この日は四国の舞踊会の貸切で中には入れない。次から次へと舞踊発表会に参加する和服の妙齢の女性たちが入場していく。デジカメとビデオに収め、また暑い日差しの中を古い家並みの続く町まで歩く。内子は江戸時代に木蝋=ロウソク(ハゼからつくる)の集散地として栄え、大きな旧家が昔のままいくつか残っている。古い家並みをそのまま保存している地区があって、それが現在いろいろ紹介され全国から人を呼んでいる。古い家並みはさすが往時の繁栄を忍ばせるが、とにかく暑いので途中で食事(とろろ飯)をして駅に帰る。1時40分発の特急で再び松山へ。時間が余ったので、昨日見つけてあったホテル(既にチェックアウト)近くの銭湯で汗を流す事にした。奥道後温泉から引湯をしているという温泉銭湯。ここでゆっくりひと時を過ごす。そのあとホテルのロビーでしばらく座っていると、汗が完全にひいた。駅まで歩きリムジンバスで空港へ。5時50分発のJL便で羽田へ。それから有楽町に出て帰宅。内子にて詠める。
     内子座の 幟(のぼり)も熱き 演舞かな    桃果
     日照を 避けどころなき 家並かな       桃果
by yuugean | 2003-08-24 12:50 | 2003

しまなみ海道

朝4時起床。ホテルにて坐忘。焚火法ののち、小周天、大周天三回。そののち坐忘。気のせいか、ここは大変「いい気」の場所だ。目の前が松山城。やはり竜穴か何かが近くにあると思われる。いつものとおり気を体内にめぐらし、気を導き、気の赴くまま、自然に無為にして為す。5時半ホテルを出て松山駅に向かう。今日は「しまなみ海道」横断の旅。6時3分の普通電車で今治へ。途中何度も列車待ちをするのには閉口した。これからはやはり特急列車にする。今回はバスの時間の関係で普通列車にしたが、20分のところを50分かかっている。8時7分に今治駅前から「しまなみライナー」に乗車。そのまま、大島、伯方島、大三島、生口島、因島、大島と様々な形の橋を渡りながら瀬戸内の海を渡っていく。瀬戸内の海は晴れ渡り、見下ろす海は静かに凪いでいる。ところどころに漁師舟、その間を大きな貨物船が縫っていく。島影がどこにも見え、小さな入り江がいくつもあって、そこにへばりつくように漁村がつらなっている。遠くの方はかすかにもやっている。そんな静かな島々をバスは走っていく。島内にはいれば、どの島からも、かすかにシトラスの香りが鼻をつく。もうみかんが実り始めているのだろうか。乗客は我々二人を加え4人のみ。最後の尾道までそうだった。途中の大三島で一人乗ってきたがそれだけ。これではこの路線バスはとても採算が合わないなぁと語りながら終点尾道で下車。今日の目当ては尾道、生口島、大三島。バスを尾道で降り、ロープウエイで千光寺山に登る。ロープウエイが上っていくに連れ、視界が開け尾道の町や眼前の瀬戸内の海が眼下に見える。頂上の展望台に上れば、尾道水道と町の様子が360度の視界で開けてくる。しばし休憩ののち、急な岩山道を下り、句碑・歌碑が立ち並ぶ「文学のみち」、千光寺、中村憲吉旧宅、志賀直哉旧宅、林芙美子旧宅と辿っていく。志賀直哉の旧宅は風情はあるが三間ほどの平屋だった。尾道と松山、何か似たところがある。ともに夏目漱石や志賀直哉という明治大正の文豪が東京から移り住んだ町。現在もともに「俳句の町」を縹渺する町。それが瀬戸内を挟んで対峙している。11時15分、JRで尾道から三原に向かう。三原港から高速艇に乗り、生口島へ。約25分の船旅。朝、「しまなみ海道」の橋の上から眺めていた海を今度は船で島に着いた。つりをするいくつもの漁師船が近くに見え、浜では子供達が少ない夏の名残を楽しむかのように泳ぎに興じていた。船は島へ通う人10人ほど観光客は誰もいない。生口島瀬戸田港で下車。ちょうど昼時だったので港の近くの和食の店にはいる。「すし」と「釜飯」が売りの地元客の店のようであまり愛想はよくない。「あなご」と「たこ」の釜飯を頼みビールを飲んだが両方とも美味。その味が二、三日口の中に残り、ほの甘い後口を残した。やはり新鮮なのだろう。食事中主人は夜の支度だろうか何十匹もの獲れたての「あなご」をさばいていた。質問すると、重そうな口を開いて、漁のやり方の事、このあたりの魚の事など話してくれた。生口島の目当ては「平山郁夫美術館」。平山郁夫はこの島に生まれ、広島で原爆に会い、東京芸大に学び前田青邨に指示して、焼失した法隆寺壁画の修復に従事。シルクロードや仏教を材題にした独特の画風はよく知られる。現在は東京芸大学長として政治的手腕もある人。その平山郁夫の子供の頃からの絵がここには展示してあるが流石に2-3歳の頃、小学、中学の頃から絵はしっかりしている。双葉より香ばしい。他の展示作品はシルクロード系の「大下絵」など一度は東京で見たものだった。ここを出て隣の耕三寺に向かったが、日陰がなく物凄く暑い。耕三寺はあまりにケバいので、結局パス。次のバスの時間まで大分あるのでバス停近くで待つが、あまりに暑い。頭の中が熱を持っている感じ。このままでは「熱中症」になりそうなので、再度平山郁夫美術館に戻り、事情を言って再入館し、しばらく冷房のよく効いたロビーのソファーに坐す。無性に眠気が襲い、すこし気分が悪い。30分ほどしてバス停に向かい来た高速バスに乗る。予定ではこのバスを大三島で降りて、島内バスに乗り換え「大山祇神社」に参って、また島内バスに乗り、次の高速バスのバス停に向かう予定だった。しかし少し熱中症気味なので無理をせず、途中下車しないで、そのまま「しまなみ海道」を今治に向かった。今回のメインにのひとつみしていた「大山祇神社」なので残念だが、あまりに暑く汗が出て、それが冷房で引っ込んでなにか気分が悪くなったので無理を避けた。「大山祇神社」には日を改め再度挑戦するつもり。松山に着きJALシティホテルに帰って、とにかくシャワー。汗づくになった服を取り替える。少し寝て、夜近くの居酒屋で飲んで今日は終わった。「しまなみ」で出来た俳句。
      海と空 はるかに霞み 島静か     桃果
      鯛を釣る 小舟あまたに もやいけり  桃果
      島影に 家並み ひそめて 夏の海   桃果
      波けたて 船行く海は 油照り     桃果
by yuugean | 2003-08-23 12:52 | 2003

松山紀行

朝4時起床。いつものとおり、洗顔、コーヒー沸かし。そして坐忘。焚火法ののち、小周天、大周天三回。そののち坐忘。1回目は気を体内にめぐらし、2回目は気を導き、3回目は気の赴くまま、自然に無為に為す。そうすると気はひとりでに玄関を出でて大気宇宙の気と合一する。6時家を出て羽田に向かう。今日は休暇を取り、夏季旅行。今回はなぜか暑そうな四国。松山・しまなみ・尾道・内子の旅。8時に浜松町で待ち合わせ、羽田へ。9時50分のJAL松山行き。機中より、目指す「しまなみ」の島々が何回も見えた。旋回して高度を下げて行く度に、島影が大きくなる。11時ごろ松山空港着。松山駅に近いJALシティホテル泊。荷物を置き、目の前の松山城へ。途中、旧藩主別邸や漱石と子規が住んだという愚陀楽庵を見る。松山は俳句に力を入れており市中で詠んだ句を投句できるポストが公園などにある。松山城まで長く暑い道を行く。日陰がない。天主にのぼり市中を一望。Tシャツからなにから汗をたっぷり吸い込んでいる。ホテルに帰りチェックイン、その後シャワーを浴びる。フロントで「魚のおいしい、飲み屋さん」という条件で繁華街・大街道の「南や北や」を教えて貰う。そのあと道後温泉に赴き二階「霊の湯」にはいる。そのあと「神の湯」。風呂を出て道後の街を散策、市電二のると冷房が効いていて、湯上りの汗が引いていく。途中下車して大街道近くの「南や北や」へ行く。刺身や枝豆、豆腐などで飲む。刺身はさすがに新鮮でおいしかった。その後大街道の裏通りを歩きながらホテルへ帰る。金曜日の夜で人が沢山飲み歩いている。若者もサラリーマンも一緒にわいわい路上を歩きながら地方都市の賑わいを作っている。不景気などはどこにもない。帰ってホテルの窓から、正面の松山城を見ると、城のシルエットの暗い空に三日月が出ていた。松山で出来た俳句。
      夏雲が 見下ろす 城下 音もなく    桃果
      愚陀楽は 木漏れ日のなか 蝉時雨    桃果
      夏すだれ 訛り行きかう 湯の館     桃果
      三日月に 城下静まり 夏逝けり     桃果
by yuugean | 2003-08-22 12:54 | 2003

内外同質

4時過ぎに起床。朝起きて歯磨き、コーヒー沸かし。坐忘。最近では坐忘に入るとすぐ外部からの感覚が遮断される感じになる。坐忘を続け、まったく全身から力が抜けるとともに、自然に胸の下部に「意識」が入っていく感覚があり、同時に外界と内部とが一体になる。これらすべては全く「意識」の動きなしに「自然」にひとりで進んでいく。外部は宇宙まで広がっている空間で、内部もまたそれと全く同質のままに坐忘を続ける。こういうセッションを間をおいて三度続ける。例の通り7時15分家を出て飯田橋で少憩。いつもの通り午前中はオフィス。終わってホテルエドモンドで昼食。午後から経済産業省。仕事を終わり今日は例によって小宴。終わってその後パソコンに取り付き12時。坐忘の後、1時前睡眠。
by yuugean | 2003-08-13 12:56 | 2003

コメ

既に今年は台風。「冷夏」の後に「台風」では、業種によっては商売が全く上がっ
たりですね。コメなどもそうですね。ちょうど10年前の平成5年も同様の天候
で、冷夏―梅雨寒―湿舌―大雨、そして雨台風。それでなぜかタイ産のインディカ
米が配給されたのを思い出します。あの時日本にコメがなかったわけではないの
に、なぜ誰も食べないタイ米を配給したのでしょう?謎ですね。処置にこまって、
あちこちの家でやたら、チャーハンやカレーが増えたように思いますが、あれから
10年。
by yuugean | 2003-08-10 10:51 | 2003

「煉キ化神」或いは「大周天法」 その5


◆「避穀と胎息」
◆「代謝作用が落ちる」
◆「ヒトはソーラーカーになれる?」


それはさておき、こうして「十月養胎」もいよいよ、中盤から後半へと移っていき
ます。「大薬」を下丹田にいれ、「包括的な集中」を続けて、下丹田に「胎」を作
り、次いで「下丹田」から「中丹田」に「胎」を上げていきます。そうすると、
「避穀」現象が始まり、食欲が極端に落ちてきます。もうひとつのこの段階の変化
は「呼吸」です。まず「呼吸」が「真息」に変わります。「真息」は二ヶ月ほど
で、さらに深くなって「胎息」に変わっていきます。仙道では「真息」および「胎
息」を「内呼吸」とよび、凡息を「外呼吸」と呼んで区別しています。「内呼吸」
では「外呼吸」のように「口鼻」では呼吸しなくなります。まったく「口鼻」から
「息」が出ていないかというと、必ずしもそうではないのですが、それは「体内」
や「胎内」で行った呼吸がかすかに漏れてくるだけで、「口鼻」を呼吸器官として
使っていないということです。

こういった「避穀」現象や「真息」「胎息」がなぜこの時期に起こるかというと、
それは「大薬」を収めた「下丹田」「中丹田」へ「包括的な瞑想」を行う事で、こ
れら「二丹田」が変成し、いわゆる「丹田化」されていって、内臓器官の代謝作用
が極端に落ちてくるからです。「避穀」現象は胃腸の代謝作用が極端に落ちて、動
かない状態になり、実質的にモノを食べる事が出来なくなる現象。「真息」「胎
息」は「口鼻」「肺」の呼吸器官の代謝作用が極端に落ちて、酸素と炭酸ガスのや
り取りを行う「呼吸」はさらに奥の「内臓」で行うようになるという現象です。そ
して内臓器官も「代謝」が落ちた分、これまで開発してきた「奇経八脈」が活発に
働いて、大気中から「気」を取り入れて、それを体内で「エネルギー」に変換する
作用が活発に行われるようになります。

この時期の状況について記録があります。少し長いですが例の通り採録してみま
す。

『仙道修行によって体表から直接「気」を取り入れ、それをエネルギー源の一部と
して利用することのできる身体は、いわば「ソーラーカー」のようなもの。「煉気
化神」の段階・十月養胎の半ばから、その験はあらわれ、食物の摂取量が減り、睡
眠量も減る。そして「胎息」によって口鼻での呼吸がなくなると、体内のエネルギ
ー消費量が極端に少なくなる。それだけエネルギー効率が高まったといえるだろ
う。たとえばいくら歩いても疲れない。ただひたすら「歩く」という行為をやって
いるロボットになってしまったような感じさえある。何十段も階段を上っても息が
きれない。10歳ぐらい年下の、若い人と一緒にかなりきつい太極拳準備運動をや
っても息があがらない。平気でいられる。もっと大きな変化は、何があってもあま
り感情が動かない。「悲しい」とか「悔しい」とかあるいは「嬉しい」とか、、そ
ういう「第2念」が起きてこない。仕事でもただ直進するだけであらかじめ「ああ
だ、こうだ」と悲観したり、楽観したりする感情は起こってこない。だから疲れな
い。こう言った様子はいわば「ソーラーカー」のようなもの。クリーンエネルギ
ー。ソーラーカーも「光」を「エネルギー」に変換して動いているが、仙道修行者
も「光」(気)を「エネルギー」に変換しており、その原理は全く同じだと思う。
「光」は、どんな波長の「光」でも、本来目には見えない。可視光線は一見「目に
見える」ように思えるが、実は反対色の波長の光のエネルギーを吸収し、残りの波
長の光を反射しているだけ。「気」の実態は4-12ミクロンの波長領域の「光」
であり、それを仙道修行者は効率的に吸収している。この波長の「光」は水分子と
よく相互反応を起こす。人間の体表が水電池のようになっていて、そこからこの
「光」はよく吸収され、体内で電気・磁気に変換される。そのシステムが、今日の
知的動物・人間を作り上げたのである。だから「雨」の日は仙道修行者は腹が減
る。空中の雨滴に、その波長の「光」は反応して吸い取られてしまい、人間に達す
る光の量が少なくなるからである。こうして仙道修行者は「ソーラーカー」となり
うるが、その種修行をやらない多くの人々は肉を食い、穀物を食し、ただひたすら
体内環境を汚し排気ガスを撒き散らしている「ガソリン車」みたいなものであ
る。』(「ソーラーカー」と「ガソリン車」 2001.6.2)
by yuugean | 2003-08-10 06:35 | 内丹法を修練する

力によって立つものは、力によって滅ぶ

引き続き夏です。今週は、ヒロシマ、ナガサキと「原爆」が世界で始めて日本に投
下された「日」が続きます。58年前の事ですが、、。その当時から世界は少しも
賢明にはなっていない、アメリカも、北朝鮮も、その他の国も。いまだに何かとい
うと「核」を振りかざすし、今年のイラクをめぐる問題も結局は「核」をめぐる問
題でした。いわばこれは「大阪夏の陣」だとかって申し上げたことを思い出しま
す。これは徳川家康が豊臣にインネンをつけて始まった戦争。豊臣家が寄進した、
どこかの寺の鐘の銘文に「国家安康」というのがあり、これは家康を真っ二つにす
るものだ!ということで「戦争」が始まったのです。イラク戦争も「核」を巡っ
て、米英がフセインにインネンをつけて無理やり起こした戦争。何人も人が死んで
戦争が終わってから、「銘文」がニセであったと二つの国で問題になっているので
す。結局この問題が真の致命傷となって二つの政権は滅ぶでしょう。「力によって
立つものは、必ず力によって滅ぶ」(春桃原、なんちゃって)のです。所詮は滅ぶ
政権に媚売って、イラクに派兵して、これで自衛隊員が死ねば「犬死」。銘文がニ
セであった時点で実は「派兵」をごり押ししたニッポンの誰かさんにも同様の責任
があると思うのですが野党も聞きはしない。フシギの国ニッポンですな。「原爆」
といえば、この時期テレビで放映され、その悲惨さが再び甦りますが、英米、日本
がいまだこんな状態では死んでいった一人一人の「無念」は晴らされそうもありま
すまい。
by yuugean | 2003-08-08 10:54 | 2003

「煉キ化神」或いは「大周天法」 その4


◆「中丹田―肉の焼ける感覚」
◆「避穀現象」
◆「陽神」


それはさておき、「大薬」以後は仙道でいう「十月養胎」という段階です。前回は
その後「下丹田」に現れてくる感覚について書きました。「大薬」を下丹田にい
れ、「養胎」がはじまりますが、「包括的な集中」を続けて1ヵ月半から2ヶ月程
すると、「ジリジリ」という肉の焼ける感覚が下丹田を1周して、次は「移胎」で
す。これは「下丹田」から「中丹田」に「胎」を上げていきます。この「移胎」は
「下丹田」から「中丹田」に上げる場合ですが、頃合を見計らって、「意念」で
「下丹田」から引っ張り始めます。そうすると、下丹田に上へあがろうとする
「胎」の「部分」が感じられるようになり、まずそれを「中丹田」、へその上に引
っ張りあげます。それを3―4度繰り返すと、もう下丹田に上へ上がるものの気配
がなくなりますが、これで「胎」は上にあがったわけです。再び朝となく夜となく
「中丹田」に対して「包括的な集中」を続けます。そうするとしばらくして、「大
薬」が中丹田全体に作用していって、中丹田を変性させていきます。再び「中丹
田」で「ジリジリ」という肉の焼ける感覚がして、2週間―10日で中丹田を1周
して、中丹田全体を変えて行きます。そうすると、前回の「記録」にあるような
「避穀」現象が始まり、食欲が極端に落ちてきます。

この現象は「大薬」を周流させて、「胎」を下丹田から中丹田にあげ、中丹田を中
心に包括的な瞑想(あまり焦点を絞りすぎないでする瞑想)を続けてきた結果おこ
ってきます。これは一種の「証験」といいでしょう。「包括的な瞑想」を続けて、
体内の「陰」が消えていくと、食べることを考えなくなります。この時期全体を通
じて、行っている修練は、結局は「個我意識」を完全に消し去ることです。「包括
的な瞑想」つまり「定」に入ることで、「陰」が徐々に消えていき、食欲、性欲、
金銭欲、名誉欲、権勢欲といった「五欲」が減少し、「喜怒哀楽」といった感情に
左右される事がなくなります。この「陰」は別の言葉で言えば「識神」と同じもの
です。「識神」あるところ、「陰」が残っているわけで、この「陰」を自分の意識
から完全に取り去る為に、朝な夕な「定」にはいるわけです。そうすると「陰」が
徐々に「意識」の中から滅減されていき、それと同時に「元神」が働くようになり
ます。つまり我執・我欲といった個人の欲や、イメージ・夢といった意識にまつわ
る「識神」の動きを止めることで「元神」の働きにまかせるようになるわけです
が、この「意識」の中から「陰」を完全に取り去ったものが「陽神」です。
by yuugean | 2003-08-08 06:37 | 内丹法を修練する

「煉キ化神」或いは「大周天法」 その2

◆「包括的な集中」
◆「下丹田―肉の焼ける感覚」
◆「避穀現象」

それはさておき、「大薬」が生じそれを掬い上げ
「小周天」ルートに引張り上げて下丹田に収めていきます。約1週間して「大薬」
の発生が止み「養胎」にはいっていくわけですが、この時おこなうのは、いわゆる
「入定功夫」。これは何かというと簡単にいえば「瞑想」の一種。しかし「仙道」
の「瞑想」は他の瞑想とは違い(多分)何か特別な対象をイメージして行う集中で
はありません。むしろ全体に意識をかけ、「ぼーとした」状況を持ち続けることで
す。集中しすぎることなく、茫洋とした包括的な集中です。

こういう集中を続けていると、まず「下丹田」の様子が少しずつ変わってくるのが
わかります。「下丹田」には、さきに「大薬」を収めてあるのですが、その「大
薬」のせいでしょうか、少しずつ「下丹田」の下辺の部分から、「チリチリ」とい
う感じ(痛みはないのですが)、ちょうど電磁調理器で肉を焼くような感覚が現れ
てきます。そして約2週間―半月の間、その感覚が「下丹田」の下辺から中央、そ
して上辺へと移りながら変化していきます。「焼いて」いるわけはないのですが、
ちょうどモツのような内臓を電磁調理器の上で「ジリジリ」と焼いていくような感
覚が出てきます。それが「下丹田」全体に広がったころには、その感じは消えてな
くなります。これはどうして起こるのでしょうか?これは多分「大薬」が下丹田全
体に作用していって、下丹田を変性させているに違いありませんが、もしそうだと
すると「大薬」というのは一体何なのでしょう?自分の体内で生じたものには違い
ありませんが、その「エキス」が丹田(と内臓器)を何か別のものに変える作用を
しているといえるのかもしれません。中国人は昔それを経験的に学んだのでしょう
か?

下丹田に「大薬」を納め、包括的な集中をやって2-3ヶ月の頃に感じた記録があ
ります。そのまま採録してみます。

『このごろ食が極端に細くなってきた。朝はかってトースト2枚であったものが半
枚ぐらいでお腹がいっぱいになる。昼もそば1杯、あるいはしばしば抜くときがあ
る。夜はもう食べたくなくなってしまう。ここ1週間はそんな状態が続いている
が、体は元気で行動も活発だ。これは「大薬」を周流させて、「胎」を下丹田から
中丹田にあげてから、中丹田を中心に包括的な瞑想(あまり焦点を絞りすぎないで
する瞑想)を続けてきた結果であり、この「定」に入る行を2ヶ月続けたあとの
「証験」である。いわゆる「避穀」現象であり、飢餓感がなくなり次第に食事を取
らなくなる。「避穀」現象が早く現れるか遅く現れるかは「意識を落ち着ける」能
力による。「定力」が強ければこの現象が早く現れ、定を出るのも早い。仙道では
食糧は後天に属するものと考えており、食糧を食べることは「陰」の行為。したが
って体内の「陰」が消えると食べることを考えなくなるといわれる。そもそも「仙
道」で何のために、小周天をやり、大周天をやるのか?それは全身を「丹田」とす
る為であり、精・気・神を一体化して「神」にする為。それも全てはその後に「個
我意識」を完全に消し去ることで、「元神」が働くようにするため。つまり我執・
我欲といった個人の欲や、イメージ・夢といった意識にまつわる「識神」の動きを
止めることで「元神」の働きにまかせる、というのが「仙道」である。』(200
0年6月)
by yuugean | 2003-08-06 06:40 | 内丹法を修練する

六根清浄

5時起床。朝起きて、歯磨き、洗顔、コーヒー沸かし。いつものとおり坐忘。まず身を清める「焚身法」。それから督脈・任脈・下肢・上肢・焦脈の順で気をめぐらす「大周天法」。「坐忘」。最近の「坐忘」は表面上はさしたる変化はない。最初は何も動きがない。そこに何もないごとく、まったく「無」の状態。以前は身体の内部の方が「気」の感覚が強く、外部とはかけ離れていた。しかし、いまは身体の内部と外部が同じ感じで、却って「何もない」ように感じる。さらに「坐忘」で二三度集中をやると、「気」が体内に集まり出し、ことに天頂に強く集まってくる。「散じては消え、また集まる」状況とはこのことだろうか。胸の下部に「意」をおくと、そこから「気」が出入りしている気分で六根清浄の感覚深まる。例の通り朝7時45分家を出て、今日の太極拳の修練場は神田「さくら館」。9時にプロントで待ち合わせ。9時15分過ぎに会場に行き、特別修練。10時から例の通り、八段錦、伸展法、簡化24式、肘法、老架式85式。昼は駅ちかくの万世で昼食。生ビールとランチ。帰宅後、例の通り小宴。9時に打ち上げ。その後休息、12時半に就寝。
by yuugean | 2003-08-03 12:57 | 2003



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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