遊化の森

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人間の根にあるもの

時起床。洗顔、コーヒー沸かし。いつも通りの坐忘。いまは「養う」ということに主眼を置いている。その場所は「黄宮」すなわち「脳」。ここにおいて「法身」を養う事が今後3年ぐらいの課題になると思う。以前「法身」は全身にぴったり張り付いているということを書いた事がある。それは「法身」の拡大した姿で、その「本体」はやはり「黄宮」すなわち脳内にあると思う。大きさも10数センチぐらいだろうか。それは最近「養う」こと多くするようになってから感得したことだ。「黄宮」内の「法身」に意識、目光をかけて養育すると、そこにひとつの「かたち」が現れる。それは「出神」時に頭上に現れるのと同様の姿・かたちをしている。ただ時において、赤ん坊のようなイメージがフラッシュバックすることがあり、あるいは「顔」がフラッシュバックすることがある。時がある程度過ぎれば、第1回目の坐忘は終了。インターバルの後二回目の坐忘。「定」から「大定」入り、「光」を外に出し「内身」がゆっくり上がっていく。いつもどおり最後に板が上がってきてフタをして「出神」。頭上にある種の「圧力感」が現れて「法身」が見える。しばらく「無為自然」。頭上の「法身」で「大周天」を三回修練。同時に肉体の両脚ー両腕などを這う「意識」の周回を感じる。「法身」と「肉体」はやはり連動している。その後「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻し「出神」は終了。いまは「少なく出し、多く養う」を実践している。それも「法身」を「黄宮」すなわち脳に入れての養育を何度か行う。
昨夜9時からTBSで「人間とは何だ!」スペシャル番組を放映。ここでみたサバン症候群(カレンダー記憶において超人的)、ウイリアムス症候群(音楽や人間表現において超人的な能力)の人々が超人的な!特殊能力を持つが、一方で靴紐が結べない、モノの形がわからないなど一般能力を欠いているさまが映像で映し出された。彼らの存在は「人間」の根に本来あるものについて教えてくれる。一般人が生まれついて「新皮質」領域を増やす事で覆い隠し失ってしまったもの。「超能力」の発現にもそれが言えると私は考えている。「新皮質」領域(ある部分)を滅却した状態がこういう人達の特殊能力を発現させている。それは「人間とは何か」という問題にヒントを与えてくれる。
by yuugean | 2003-11-30 10:49 | 2003

短く出し長く養う

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。坐忘。いつも通りの坐忘。体内の隅々まで「目光」「耳光」を周回。最初は少し力が入っているが、自然に力が全く入らない状態になる。これが「無為自然」。「光」が自然に体内に生まれてくる(という感じ)。時がある程度過ぎれば、第1回目の坐忘は終了。そしてインターバル。テレビを点け、しばらくテレビのニュースなど見る。昨日は急にブッシュ大統領が「お忍び」でバクダットへ行き二時間ほど滞在してまた隠密裏に脱出した。そのニュースなどやっている。民主党候補のクリントン上院議員が今日バグダット入りするという。恐らくそれを事前に聞きつけたブッシュ陣営が先手を打ったつもりだろうが、いかにもあこぎな手法。背後にこういう奇策を弄するチルドレンの存在を感じる。多分彼らはイラク攻撃の首謀者達だ。それはともかく再び坐忘に入る。「定」から「大定」入り、「光」を外に出す。同時に、「内身」がゆっくりゆっくり上がっていく。天頂のあたりに、「内身」が上がっていくのを感。最後に板が上がってきてフタをして「出神」。意識をかけて見ればれ「圧力感」が現れて「法身」の形が次第にはっきりとしてくる。力を抜き「無為自然」のままでいると、次第に「かたち」がはっきりとしてきて、私と同じかたちで頭上に座っている「存在」を感じることができる(私の坐忘は腰掛け座位)。この「法身」の「意識」を瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。「拡大」はしばらく「法身」が成長するまではやらないことに決めたので、「意識」を体内に収縮させる行為のみ行う。そのとき「無為自然」になせば、一瞬全てが止まったような透明感のある状態があらわれる。その「透明感」は、「法身」に感じるとともに、肉体の中丹田の所にも感じる。「法身」と生身の肉体は確かに連動している。何度か頭上の「法身」で「大周天」を修練。督脈ー任脈ー両脚ー両腕ー焦脈という順に意識を周回させると、「法身」の周回についれて、同時に肉体の両脚ー両腕などを這う「意識」の周回を感じる。まさに「法身」と「肉体」が連動している。その後時を経て周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻し「出神」は終了。最近強く感じることは「出神」に関し「少なく出し、多く養う」という先達の言葉。出る時間は短くして、その何倍もの時間をかけ、肉体の中で丁寧に「内身」を養育する。丁寧に、時間をかければ次第に形も、明確になってくる気がする。同時にこうする事で、肉体の「意識」を「内身」にコピーしていくことになるような気がしている。
ところで昨日午前中、オフィスにいると旧知の社長から突然電話があり仕事の件で打ち合わせしたいう連絡が携帯に入った。この方は最近仕事をどんどん拡張されているという事を共通の知人から聞いていた。そこで3時に約束して、新宿高層ビルの45階にある、この方のオフィスに行った。二年前には花園神社近くに小さな事務所を構えておられ一、二度そこで会ったことがあった。それ以来、共通の知人から話は聞いていたが、会ったこともなかった。この社長の話は新しいプロジェクトをやってくれという話。くどくど書いてきたのは、実はその前日、私がふと思ったのは、いちどこの社長にあって、来年からやる積りの自分のプロジェクトについて説明したいなぁという事だった。ふと「意識」の中で思ったことが二年も会っていない人に伝わり、翌日先方から連絡してきてくれるとは?多分「偶然」だとは思うが、何か「テレパシィ」の存在のようなものを感じずにはいられない。
by yuugean | 2003-11-29 10:51 | 2003

西行と荘子

6時30分起床。例の通り洗顔、コーヒー沸かし。いつもどおり坐忘。昨日は例の通り太極拳を2時間ほどやったので今日は少しからだが火照っている感じ。これはいつもの事で眠りもつい長くなってしまう。今日は休日でもあるので朝はゆっくり目となった。いつも通りの1回目の坐忘は、腕や足、身体全体に「目光」を周回させる。目を閉じて外界の刺激が遮断されると早速体内のあちこちで「天来の妙音」ともいうべき蠕動。微動が起こってくる。それがすなわち「無為自然」の状態ではないかと考えている。意思は少しも働かせず「身心脱落」という状態を作り出せば、自ずから体内で動き出すものがある。それを「目光」「耳光」で感じているのが、「無為自然」。その後例の通りインターバル。インターバルののち、坐忘は深まる。それから例のとおり「出神」。最初はこの一瞬は緊張したが、いまは慣れてむしろ力を抜く事を取り入れている。下丹田からフタのような板があがってきて、その上に「法身」が乗っている感じである。それが天頂に到着し天頂にフタをして、第一段は終わる。天頂の上に乗っている「法身」に意識を集中させると、頭上の「法身」のあちこちに圧力感が現れる。そののち例の通り「拡大」「圧縮」の修練を繰り返す。拡大においては、意識のかたちはもはや存在せず、いわば「光の粒」となって対象の中に入り込んで一体となっている感じがする。その対象は時空を越えており、さまざまなモノが目の前に展開される。もう少し習熟すれば、それが何であるか記述することができるようになる気がする。収縮すればこんどは「光」のイメージ。これももう少し習熟すれば、それが何であるか書き記す事が可能になると思う。その後「法身」に光を集め、例の通り「法身」を体内にいれ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘を終了。話はまったく別だが最近は、西行と荘子を並行的に読んでいる。西行については崇徳院(今年夏、配流されていた松山に行った)や俊乗坊重源(縁があって中学時代から知っている鎌倉時代の高僧)と関係が濃密であったことを知って驚いた。知らず知らず、その縁と私は近づいていた。今読んでいるのは「西行物語」。室町時代に作られた西行伝記だ。「荘子」は岩波文庫版。あまり説話が好きでなくて、読まなかったのだが、この二つを読んで、これまで私が感じていた西行像、荘子像と違うイメージが浮かんでくる。いまの状況にとって、この二人を読破することは大切であるような気が何となくする。
by yuugean | 2003-11-24 10:53 | 2003

無為自然

4時30分起床。例の通り洗顔、コーヒー沸かし。これは、もう変わらない。坐忘もまた同じ。いつも通りの1回目の坐忘。体内の隅々まで「目光」「耳光」を周回させる。ことに腕や足。その先端まで丁寧に「光」を周回させることが必要だ。次いで「無為自然」になしてある種の「光」が自然に体内に生まれるのを待つ。時間をかけると、徐々にはっきりとしてくる。今日の「光」はぼーとして白っぽい「光」。時々鋭い「白光」がそれに混じって輝く風情。これが第1回目の坐忘。その後2-3分インターバルをおくのはいつもの通り。朝の坐忘においては、このインターバルが重要な意味を持っているように考えられる。そのインターバルを経て坐忘を再開させることで、坐忘はさらに深まる。再び坐忘。「定」から「大定」入り、「光の輪」をまず外に出し、それとほとんど同時に、一緒に「内身」がゆっくりゆっくり上がっていく。自主的に上がっていくので「意識」はかけず、「無為自然」のままに為す。天頂のあたりに、「内身」が徐々に上がっていくのを明確に感じることができる。ゆっくりと、しかし滑らかに自動的に上がっていく。それと同時に下丹田の周辺から、板のようなものが上に上がってくる。「内身」はそれに乗って半ば下からも押し上げられる形で外界につぎつぎ出て行っている。その板が天頂まであがって、「内身」は完全に外界に出ている。その板が脳にフタをして、「出神」が行われたことが判る。頭上に「幽明体」のような、まだはっきりとしないものが在り、そこに意識をかければちゃんとするとともにそこここに「圧力感」が現れてくる。これが「法身」。再びしばらく「無為自然」に為せば、それは次第にはっきりとし、肩の辺り、腰の辺りには丸みもある透明度の高い粘土細工のような感じになり、私と同じように頭上に座っている(腰掛けで)。時によって「白光」を感じる時もあり、形は不定。いつもの通りこの「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらく坐忘。また瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。「宇宙」や空に「意識」を拡大したとき、すでに「法身」はなく、気体あるいは「光」の粒のようなものにんなり、「意識」はその「粒子」側にある。天空の「気体」のなっている感じ。そのとき「無為自然」になせば、ちょうど秋の夜の澄んだ夜空のような大変透明感のある、広い空間が現れ、満月に照らされているような明るさがそこにはある。大変透明度が高く、空が高く広くどこからか来る光(夜の光)に溢れている。そのとき呼吸はずっと止まったままになっている。次に意識を「収縮」すると、今度は頭上に「法身」らしき形が出現し「意識」はその中にある。「無為自然」のままにしばらく為せば、さきほどの澄んだ空間が現れ、呼吸は止まったままになっている。何も動かない、何も変わらない空間。気がつくと、この「拡大」と「収縮」を10回近くやっていた。その後例の通り周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻して行く。このとき天頂にある「板」が下に下りて行き、それとともに立体的、紡錘体となった「法身」が体内に入っていく。板が下丹田周辺まで降りて、天頂の内に完全に「法身」が入ったのを確かめ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘を終了する。
by yuugean | 2003-11-16 10:55 | 2003

入神

5時すぎ起床。今朝は今年一番の寒さという。目を覚ましたら時計の針が2時になっていたので更にあと2時間の積りで寝たら、5時になっていた。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。いつも通り1回目の坐忘。ここでは体内の整備、これから「出神」にはいる為の準備活動をいろいろやる事にしている。ひとつは体内の隅々まで「目光「耳光」をひとわたり周回させて、どこか調子の悪いところはにか点検する。その次に「光」を体内に生まれさせる。これは少し時間をかければ、それらしきものが段々明確になってくる。日によって非常に真っ白く鮮明な「光」だったり、それほど明確ではない、薄ぼんやりとした「光」だったりするが、それは多分気圧など「気」の状態が影響していると思う。これが第1回目の坐忘。その後しばらくインターバルをおく。以前はこのインターバルの間にパソコンに取り組んだが、いまは2-3分、テレビを見て場面転換を図っている。その後、再び坐忘。「定」から「大定」に入り、さきほどの「光の輪」をまず外に出す。それに引き続いて「内身」本体がひとりでにゆっくり上がっていく。これはまだ「幽明体」というべきようなモノだが、かすかに脳から出て行くのが見て取れる。このモノが上に上がっていく感じとともに、下から膜のようなものが上がってきて、それが最後に脳にフタをすす感じになる。これが「出神」。このとき頭上に40センチ(以前は70センチぐらいと思ったが、やはり40センチぐらい)ぐらいの所まで「圧力感」が現れてくる。それによって確かに「法身」が、そこに「ある」ということを感じることが出来る。時によって「光」に見えたり、それが瞬間的に変化したりする。意識を集中すれば、さらに輪郭が濃くなり、顔、手、脚、胴体などがなんとなく「見え」、それは私と同じ姿で座っている。その後「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらく坐忘。また瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。3-4回繰り返すと「法身」さらに固定する感じになる。今日はとちゅうなぜか二度目を明けたが、その後すぐ坐忘にはいり、同じ状態が続く。その後周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻して行く。このとき大切な事は、必ず丁寧に最後まで「入神」を確かめる事。何度も念をいれて「入神」が完全に終了したことを確認し、さらに目光を内身全体にゆっくり周回させて坐忘を終了する。
by yuugean | 2003-11-14 11:09 | 2003

面壁

4時すぎ起床。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。今日は雨。今週は天気は下り坂モードに入る。いつも通り1回目の坐忘。これは次の段階への準備段階ととらえている。目光、耳光を中心に体内をくまなく周回する。それによって、その日の調子が現れてくる気がする。今日は気圧が低いので、最初はそれほど明確ではないが、時間をかけ、心を沈めて回光すれば、自ずからいつもの状況が現れてくる。その後しばらく早朝テレビで選挙結果を4-5分見る。朝の坐忘には、こういうインターバルが大切なように思う。それを繰り返す事で坐忘の深度は深くなり、意識は「変性」する。その後、再び坐忘に入る。「定」から「大定」に入り、まず「光」の輪を外に出す。その後「内身」本体がゆっくりひとりでに上がっていく。全てが出切ったのち頭にフタをする感じになる。「法身」は時をおくと次第に明白になってくる。何層もの「光」に見えたり、それが瞬間的に変化したりする。意識を集中すれば、さらに輪郭が濃くなり、一種の「圧力感」を体外の、頭上に感じる。しばらくそのまま。今日は「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらくさらに坐忘。その後瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。これを4-5回繰り返すと「法身」はさらに落ち着き、さらに固定する感じ。達磨の「面壁九年」の行の中身は実は、この宇宙を対象にした「意識」の拡張と収縮ではなかったかと以前から思っている(単に壁に面しての瞑想のみではなく)が、それは日本の「禅」の「臨済」の中に一部秘法として伝わっている(らしい)。それでまだ「出神」以前の「坐忘」の中で何度か修練したことがあるが、これは「出神」の後、「法身」を中心にやれば、さらにより明確な「意図」のある修練とすることが出来るのを今日感じた。それと同時に、なぜ「陽神」でなければならないかということが判った気がする。もし「出神」後の「法身」が、もしまだ「陰」の部分をうちに抱えていれば、この「法身」と「宇宙」との交流もほとんど意味のないものになり歪んだものになりかねないからだ。だからこそ、「法身」となるには「陰」を滅却し「陽」の部分ばかり、つまり一切の感情、イメージを滅却した後でなければならないのである。嵩山少林寺の裏山の洞窟の達磨がさらに現実味を帯びて意識の中に甦ってくる気がする。しばらく坐忘ののち光を「法身」に入れ、次に「法身」を「黄宮」に戻し目光を内身全体に周回させて坐忘を終わる。
by yuugean | 2003-11-10 11:11 | 2003

有形と無形

4時起床。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。いつも通り1回目の坐忘。このごろは坐忘も手慣れてきた感じ。最初は必ずしも「統一感」のようなものがあるわけではなく、方向がまとまっていない感じだが、坐忘に入って5分もすれば、方向性がひとつにまとまって来る。その後しばらく早朝テレビなど4-5分見る。1チャンネルで国宝探訪「竹生島」をやっていて、ちょうどこの琵琶湖の島に残された旧豊国神社の国宝の障壁画の画面だった。この島へは行ったことがないだ古い歴史が詰まった島の気がする。その後、再び坐忘に入る。「定」から「大定」に入ると、昨日の感覚がすぐ戻ってきて、手馴れたように「光」が出て「幽体」が、内身の「筒」の中を上に上っていく。何の意識もかけていないが、あまりにスムーズなので、かえって「これでいいのかなぁ」と思ってしまうぐらいだ。慣れてきたというか、待っていたかのごとく、何の抵抗もなくひとりでに上がっていく。最後に足(と感じられるもの)が出て、頭にフタをする。外部の「幽体」は昨日は、基本的に「光」に見えたが、今日は何かしら「ヒトガタ」のような感じに見える。自然にひとりでに動く。あちこち見回している感じ。意識を集中すれば、さらに輪郭が濃くなる。「散じれば消え、集まれば見える」という感じで、「意識」は無形でありながら有形、有形でありながら無形。昨日しばしば感じた一種の「圧力感」も体外の、頭上に感じる。しばらくそのままにして今日は30分ぐらいで周辺の光を「意識体」に入れ中に入る。今日は素直にそのままスムーズに入って終わる。スピード的には昨日よりも速く、何か全般に「手馴れた」感じになっている。目光、耳光を体内全体に周回させて二回目の坐忘を終わる。
今日は日曜日。通常は7時半過ぎ家を出て、千代田区内の施設で太極拳修練の日。しかし前回の翌日が「演武会」と続いたため、本日は久しぶりの休日。現在取りかかっている「プロジェクト」の資料作りを午前中はやる。午後いなり友人から電話があり、サウナへ行き、疲れを癒す。夜に入り例の通り小宴。夜八時から「選挙速報番組」。事前の「自民圧勝」はどうやら外れたようだ。パフォーマンスも一度や二度はいいが、やがてその内実がばれてくる。何事も内容のないものは、長く他人をうそぶきとおす事は出来ない。単なる自己顕示欲で「うそ」に「うそ」を重ねていれば、自ずから矛盾が出てくる。9時前に終わり、その後テレビ。11時から坐忘。数回繰り返す。その後就寝。
by yuugean | 2003-11-09 11:13 | 2003

対話

4時40分起床。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。いつも通り1回目の坐忘。今朝寝ている時、朝の寒気の中で肩口が冷えた。そのせいか、鼻のっとりが少しよくない。ほっておけば風邪になる状況。そういえ昨日から時々くしゃみが出たりしていた。温度の差が体にもたらす影響が風邪だと思うが、体のどこかが冷えると風邪的な状況が現れる。仙道や太極拳をやって、もはや病気は何もないが風邪的なものは別。寒暖の差異によって引き起こされるので、これからは注意が必要。少し暖かくしていればやがて薄れていった。出るのも早いが、治るのも早い。それだけ感覚が敏感になっているという事かもしれない。そんなわけでこの坐忘の最初の頃は、何か頭がぼーとしている感じで集中がいまひとつ。しかしそのまま続けていると、修練の中で通常の状態に戻る事ができた。第1回目の坐忘はいわば準備体操。目光、耳光を身中にはりめぐらして身体を整える。その後しばらく別のことにせいを出す。朝の坐忘は、インターバルを置いて、坐忘にはいり、その都度度合いが深くなっていく。次いで2回目の坐忘。「定」から「大定」に入ると、体内に「光」を感じることが出来る。その「光」を天頂から出す。そして「意識」の焦点をあわせる。今朝は、体内がひとつの筒のように観想され、その中を光の筒がゆっくりと上昇しはじめる。何も「意」をかけないでいると、ひとりでに上昇し始め「内身」は天頂より出て、その流れが止まる。今朝は天気がいいせいか、体外に出た「意識体」?がさかんに「光」のイメージで見える。しかもその様子は時々刻々、瞬間瞬間に変化していく。最初はぼーとした「光」だが、時間が経つにつれはっきりしてくる。さらに時間が経つと、「出神」以前にしばしば「天頂」に感じた一種の「圧力感」が今は体外の、頭上70センチぐらいの所から下のほうで各所に感じる。「編成意識」のせいともいえるが、やはりこれは「意識体」が体外に確かに出ていることを示しているような気がする。時間が経つにつれ、これも次第にはっきりとして、時々刻々変化する「白い光」の存在とともに確かに何かが頭上にある。ひとつのことが判ってきたように思う。天気がいいということも条件になると思うが、時間をかければ確かに頭上に、ひとつの「白い光」の幽体(今のところそうとしかいいようがない)が現れるということ。そしてその「意識」の中に入り、自然のままに任せていると、時に様々な情景、時には人物の顔などフラッシュバックのように瞬間的に現れ、瞬間的に消える。もうひとつはその幽体との対話。「こうして外に出ることが自分の成長になる」と言っている感じ。また、かなり時間が経ったので、中に入れようとすると「まだ、まだ外にいたい」と言っている感じで入ろうとしない。そういう事が二、三度あって、周辺の「光」をその幽体の中に入れ、天頂からゆっくりゆっくり体内に入れていく。入り終わったのを確かめ、目光、耳光を四肢から体内の隅々に行き渡らせて終わる。こういう方法を何度も繰り返していけば、事態はもっと明白になり、固まってくる気がはっきりと
する。結局今日の「出神」の時間は気がつくと1時間を越えていた。
今日は比較的穏やかな天気の日だった。終日いま取り掛かっているプロジェクトの資料集めで過ごす。一度、本屋に立ち寄り「書」の本を見る。いま興味のあるもうひとつの分野は「書」と「南画」。そろそろ来年当たりは取り掛かりたいと思う。「南画」を中心にたとえば「扇面画」などいろいろ取りかかってみたい。今日は少し南画の「池大雅」「渡辺崋山」「与謝蕪村」「田能村竹田」など見る。私の好きな「富岡鉄斎」ももとは「扇面画」を得意としていた。俵屋宗達ももとは扇面絵師。京都には「売扇翁」という仙人もいた。面白い分野かもしれない。夜はパソコンで資料作り。12時過ぎ、坐忘。30分ほどやって就寝。
by yuugean | 2003-11-08 11:15 | 2003

桜の花

4時過ぎ起床。また天気は下り坂。このごろ起床は再び4時過ぎになってきた。このところ、2日には太極拳例会、3日には川島先生系「楊心会」の各練習会(13支部)が目黒区体育館で、新体制になって始めての「演武会」が行われた。当日は「簡化」「老架」の両楊家太極拳、陳式太極拳、伸展法、八段錦、その他拳法四式、直心影流の「演武」が行われた。10時に始まり、4時半に終わった。終わって都立大学前駅の近くのイタリアレストランで「二次会」。二次会には40名ほどが集まったが、久しぶりに各支部の皆さんとも顔をあわせた。それにしても皆さん年の割には若い。太極拳の修練の賜物かも?ビール、ワインなどかなり飲み、かつ食べた。2日、3日はこうしてかなり身体を酷使して終わった。翌日は少しからだがほてっている。さて今朝起きて4時前後からだも目覚める。いつもの通り洗顔、コーヒー沸かし。1回目の坐忘。この坐忘はまだいわば準備体操で、つぎの「段階」の準備のため目光、耳光を身中にはりめぐらして身体を整える。その時、イメージの中で「桜の花」が天上より、何故か滝のように、次から次へと流れ落ちてくる。それはかなりの量で止め処がない。以前も何度か、ちらとそういうシーンが眼前に現れたので、「天花乱墜」の「験」はあったとして1週間前に「出神」に入ったのだが、正直「こんなものか」という思いはあった。しかしこれは量といい、流れ落ちるスピードといい、自分には圧巻であるように感じられ「験」の駄目押しのような形になった。その後しばらく時をおいてから、2回目の坐忘。「定」から「大定」に入り、しばらく時をおき、目光、耳光で凝視すれば体内が真っ白な光につつまれている。その「光」をまず天頂よりゆっくりと出す。次に「意識y」中心をもうひとつの「意識x」中心と合体。そうすると、その「意識」の中心をはじめ内身全体が、ひとりでにゆっくり上昇し始める。これはいつもの通り。日によって「匂い」を伴う時がある。テキストでは「いい匂い」というが、私には何か動物的なものの混じった「匂い」に思われる。何の「意」も使わないで、いると「内身」は天頂より出て、その流れが止まる。その後10-15分そのままの状態で、頭上の「意識体」を「大定」の中で整備すると足裏までじんじんする感覚が現れてくる。次いで「意識体」に周辺の「光」を取り込み、全体を体内に取り入れる。毎日早朝の決まった時刻に10-15分ほど、修練。あと三ヶ月は毎日1回、あまり天気の悪い日はやらない。今日は雨模様だが、それでも「内身」の感覚はむしろはっきり出ていたと思う。大切な事は自己を偽らない事、こういう人の内面で起こっている事は、他人の検証に耐えられない事柄だ。それだけに自己に忠実でないと何の意味もない。今後六年間は、先の三年間とともに「面壁九年」の修練であり、むしろ人から隠れて、知られずに過ごす事が必要。ただ自己の研鑽に努め、一切の思念をそぎ落とす。社会的通念や自己を脱落させ、ひたすら天地と合一する。ところで最近気になっているのは「幽体離脱」の様々なケース、事例。それとスェーデンボルグやエドガーケーシーのこと。
by yuugean | 2003-11-05 11:16 | 2003

「煉キ化神」或いは「大周天法」 その7



◆「十月養胎」
◆「移胎」
◆「上丹田に移す」

こうして「煉キ化神」の段階ももいよいよ、最終段階に入ってきました。これま
で「大薬」を下丹田にいれ、下丹田に「胎」を作り、次いで「下丹田」から「中
丹田」に「胎」を上げてきました。そうすると、やがて「避穀」現象や「真息」
、「胎息」がはじまってきます。私は先の「大薬」についで、この「胎息」とい
う二つの「験」が「仙道内丹法」の今後にとって、大変重要なポイントであると
考えています。「大薬」は、「内丹」を形成する為に欠かせない「験」(具体的
な現象)であって、それは決して「イメージ」(たとえば「光」のような)で形
成するべきではないと考えています。「イメージ」では実際何でも出来てしまい
ますが、それはあくまで「識神」の働きであって、この「第三段階」以降はむし
ろ「識神」(イメージ)を働かせず、抑制することで、「元神」の働きを呼び覚
ますべき段階だからです。「胎息」も同様です。「胎息」も一時的には、単純
な「瞑想」に集中する事で、そういう現象に似た状態を作り出すことは可能で
すが、速成で出来上がったものやがて消えます。やはり「十月養胎」の中で時間
をかけ、「身体」と同時に「意識」を鍛えながら徐々に到達するという態度が必
要です。今後「内丹法」を進めていく上で、この二つは本当に重要な「要素」な
ので、規定どおり作り上げていく事が必要です。なかなかその「験」が現れてこ
ないと、つい「便法」や「頓法」を適用し「イメージ」で作ることに走ったりし
ますが、それは出来た積りでいても、将来消えてなくなる「幻胎」をつくってし
まう結果になります。
さて、「十月養胎」の中で、それぞれ三ヶ月ぐらいかけて「下丹田」「中丹田
」「上丹田」で「内丹」(聖胎)を「温養」していきますが、それは基本的には
以前申し上げたような「包括的な守意」ともいうべき「温養」の方法でやります
。あまりある部分のみに意識を集中させないで、包括的なぼやーとした感じの集
中を行います。これは、この頃になると「意識集中」にも熟達して、一箇所に集
中すると「熱」を持ってくる可能性があるかではないかと思っています。あくま
で「内丹」(聖胎)を固める事が目的なので、一箇所への集中はふさわしくない
のです。そして三ヶ月ほどするとまず「下丹田」から「中丹田」に「聖胎」を上
げる「移胎」を行います。「下丹田」に少し意識を集中すると何となく「スライ
ム」状のものが意識の中に見えてきます。それを「下丹田」から引っ張り上げる
ように「中丹田」に入れます。しばらく意識をかけて「中丹田」に上げるよう意
識で引っ張りますと、「スライム」状のものが上がっていくのが、意識の「目」
に感じられます。それは本当にゆっくりとしたペースで上へ上がっていき、やが
て「おしまい」という感じに「スライム」状のものが切れます。これで「移胎」
は完成です。「下丹田」から「中丹田」はある程度繋がっており、直線的なので
、それほど苦労はいりませんが、問題は「中丹田」から「上丹田」に上げる時
です。「中丹田」から「上丹田」の間には、胸―咽喉―鼻腔―額などの器官が繋
がっています。しかも経路はせまく、曲がりくねっています。そこで私は試行錯
誤の後、ひとつの方法を思いつき実行するとうまく行きました。これもやはり「
意識」で引っ張り上げるのですが、「中丹田」に感じられる「聖胎」のスライム
状のものを、気管などに引っ張り上げて、まず「額」に衝突させるように強く引
っ張り上げます。その後に「黄宮」(脳内)に移動するという二段階法でやると
うまく行きました。「移胎」がうまくいったかどうか、「意識」を使ってやる行
為なのなかなか判りにくいと思いますが、「移胎」の後やがてしばらくすると「
大薬」(聖胎)が移動した「丹田」がじりじりと肉を焼くような感じになってき
てそれが2-3週間続くので、「移動」に成功したということがわかります。そ
ういう具体的な目に見えたり、体に感じたりする現象が現れてくるために、仙道
を続けられる勇気がわいてくるのだと思います。
by yuugean | 2003-11-01 06:32 | 内丹法を修練する



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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