遊化の森

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サンマルコーフィレンツェ

d0098440_19371882.jpg  5時起床。いつもの通り入浴で身体を覚まし小憩の後、「坐忘」-「出神」-「収神」を修練。S君が目を覚まさないように、部屋の窓をそっと開けると、そとは狭い石畳の道で、その道に面し古い庭のある家が1軒。その角を曲がると、また迷路のような路地が続いている。まだ朝早く夕べの「フェスティバル」のような街の賑わいがうそのよう。窓を開け放ち、「坐忘」-「出神」-「収神」を修練したが、一応はできた。今日はまた7時半過ぎにホテルを出て、サンマリノ経由でフィレンツェに向かう。
 7時にレストランが開くのを待って食事をし、7時半にロビーに集合した。今日の同乗客は例の新婚さんと若い女性ペアの二組。来た時と違って運河の水位が下がったらしく、ホテル前のせまい運河まで船は入ってこれた。手馴れた感じのボーイに見送られて船に乗り、朝の出勤する人たちを乗せた船やベニスへ食品や商品を運ぶ運搬船で賑わう運河の間を縫って、サンタルチア駅広場に出た。朝のベニスは昨夜とは別の顔。出勤するサラリーマンやOL、水路沿いの道を上がり下がりしながら学校へ急ぐ生徒達などで賑わっている。ことに終点のサンタルチア広場では対岸から出勤してくる人達を乗せたバスでごった返していた。
 船を降り再びJALバスに乗って、220キロ離れたサンマリノ共和国に向かう。ここは山頂にあって、イタリアの各都市国家が統一して共和国になった時、共和国のままに残された人口3万人の国。切手発行や観光収入で共和国を維持しており、ワインもよく知られている。ここのレストランで昼食。しばらく観光したが、今日は大統領が変わる日で、政庁建物のまえの広場をパトカーに先導されたビップが出たり入ったりしている。ここでは二年に一度大統領が交代し政治が腐敗しないようにしているという。明日は新大統領の就任式で警官等忙しく立ち働いている。サンマリノ共和国からバスはフィレンツェい向かうが、車窓にはぶどう畑が続きこのあたりがワインの産地の中心のひとつであることを示している。
  それから180キロ南下してフィレンツェに到着したのは午後五時過ぎになっていた。ホテルは有名ホテルが立ち並ぶアルノ川沿いを少し入った住宅街にある4ツ星の「クラフト」。地味な感じのホテルだが、フィレンツェ中央駅までも10分ほどの便利な地域にあった。ホテルで休憩した後、近くを散策したが夜なので、開いていたバールでビールと水割りの水を買い、食料を買ってホテルの部屋でビールとウイスキーを飲んだ。少し疲れていたのか、そのまま9時ごろ就寝。
by yuugean | 2004-09-30 17:54 | 2004

ベニスの夜

d0098440_1935151.jpg  起床は5時。バスタブに湯を引いて、久しぶりにゆっくりと湯につかる。日本人にはこの方式があっており、少しは疲れが取れていく気がする。その後例の通り、「坐忘」-「出神」-「収神」を修練。少しずつ感じは出てくる。しかしイタリアの大気が日本とは大きく異なっており、わが「法身」もいささか戸惑っている感じは免れない。7時にレストランが開くと同時に早速朝食(バイキング)を済ます。ホテルは一応4つ星なので、食事はまあまあこんなものか。今日はJALバスでミラノを7時45分に発ち、途中ミラノの二つのホテルに寄って新たな客を二組乗せてべロ-ナ経由でベニスに行く。JALバスはイタリアで毎日運行しており、ミラノからローマへ下っていくのと、ローマから上ってくるのと、毎日二本が出ている。個人の自由旅行者も随時、イタリア国内の移動に使っており、私達のような「プチ・自由旅行」もそれに準じている。
 イタリアの鉄道は完備しているが、物騒と言われる駅構内を荷物を引いてごろごろ歩かなければならないのは苦痛。荷物のことを考えると、移動にはバスの方がはるかに楽。ミラノ郊外から高速道路に入り、田園地帯を走る幹線道路を南下して160キロの「ベローナ」に着く。田園地帯はどこの国も同じだが、ところどころに立つ農家もなんとなくイタリアっぽくて明るい感じがする。   ああいう所に一泊するのもいいかなと思っていたら、そういうオプショナル・ツアーもあるという。ベローナは中世の様子をそのまま伝える、世界遺産の都市。人口は8万ほどだが、年々減っているという。古い中世様式の建物と古い石畳の続く道。中心の広場には、イタリアの都市に欠かせない、教会、井戸、噴水やバザールがある。その一角に、「ジュリエットのバルコニー」があり、世界各地からやってきた若者達が、一瞬ロミオとジュリエットになりきって、写真を撮り、横の壁に訪問記念?としてチューインガムを貼り付けていったりするので、いつもごったがえしている。
 中世そのままの石畳の街の路地などを歩いていくと、ローマ時代の壁があり、その上に家が建てられ、現在も人が住んでいたりする様子は、「紙と木」で出来た日本の街には見られない現象。ローマ時代のコロセウムがそのまま保存されており、保存状態もよく、現在も夏には4万人規模のコンサートが行われる芸術都市でもある。コロセオの前にはマリアカラスが住んでいた黄色い家が今も残っており、マリアカラスの数奇な運命を思ってしまう。最初は地元ベローナの実業家と出会い、その援助で世界の歌姫として成長していく様子、最後の夫の船舶王オナシスの心が、故ケネディ夫人のジャクリーヌに移っていっていき悲しい結末となる様子。
  ベローナに2時間ほど滞在してバスは120キロ離れたベニスへ向かう。ミラノで新しくバスに乗ってきたのは個人で自由旅行をしている定年後の夫婦と、中年の女性二人連れ。ベニスには12時すぎに着いた。サンタルチア駅の傍でバスをおり、ホテルへのボートに乗る。以前きた時は、空路ベニス空港におり、そこからボートで「ラグーン」(潟)を横切り、大運河に面したホテル(当時「フォーシーズン」、現在は名前が変わり「ウエスティン」になっている、超高級ホテル)に横付けとなり、いかにもベニスに来たという感じがしたものだった。
  今回はあまり「ラグーン」は通らず、いきなり運河の中に入っていき、水位が上がって橋を潜れずホテルまで辿りつけないので、途中から歩く。人ごみの中を5分ほど歩き、ホテルへ。ベニスのホテルは一般に高いので、今夜泊まる「スターホテル・スイス」は小ぶりのホテルだが4つ星。なかは迷路のようになっているのは、イタリヤ、ことにベニスのホテルによくある方式。ただロケーションはサン・マルコの裏手にあったえおり、すこぶるいい。
 ベニスは1泊だけなので前もって予定は立てていず、ホテルに到着すると「ゴンドラ」でも予約しようと思っていたが、バスの中で「ゴンドラ」の乗り合いの案内があったのでJAL経由で予約した。ついでにレストラン探しも面倒なので「ミールクーポン」を予約した。ホテル到着後、一休みして街に出る。狭い通路は世界中からやってきた人でごった返している。とりあえず「昼食を」というので、街角でアメリカ人の団体らしいのが並んでいた、バールの列に並び、ハムとチーズを挟んだのと、カンビールを買い、サン・マルコ広場の隅っこで、ごった返す観光客を眺めながら簡単な昼食。
  広場に面したアーケードにある有名な喫茶店は、広場に席を設け舞台で生演奏のクァルテットを聞かせながら雰囲気を盛り上げている。昼食後、人だかりのしているサンマルコ寺院には入らず、午後5時発の「乗り合いゴンドラ」の集合場所を確認するために、迷路のようにつながるベニスの細い道を右に左に歩く。小さな橋を何回も渡り、小さな教会の前にある広場を抜け、ブランド店の並ぶ一角を通って、集合場所を探す。結局大運河に面したグリティ・ホテルの横の乗船場だったが、そこへたどり着くまで地図を何度も見て、何度も違った路地を歩いて、やっと目的の場所にたどり着いた。もし、これが夜だったら辿りつけなかったかもしれない。その後、あちこち観光。
  通路にはアフリカから来たらしい黒人が何人もイミテーションらしいカバンを路上に広げて売っている。これはフィレンツェでもよく見かけた。観光客を目当ての商売らしいが、一方イタリアのテレビを見ていると、アフリカや中東から不法入国してくる外国人を送り返している映像が盛んに出てくる。イタリアはこれまで法王庁のお膝元でもあるので、流入外国人には比較的寛大だった。しかし治安の問題などが出てきて、少し厳しくなりつつあるようだ。
  そういえば、滞在中テレビではイタリア人の二人の若い女性ボランティアが、イラクで武装勢力に誘拐され、結局解放されたことが大きな話題になっていた。どうも宗教間のルートを通じてローマ法王が強力に動いた様子が伺える。夕方5時に「ゴンドラ」に乗り込む。これは三艘のゴンドラが一団となって1時間ほど、運河を周遊するもので、その中の1艘にプロの歌手が乗り、アコーディオン弾きの伴奏に合わせてカンツォーネを歌ってくれる。
 この歌手は歌がうまかった。以前来た時は、ホテルの大運河に面した屋外レストランで夕食をしたが、その時運河には何艘も「ゴンドラ」が集まりカンツォーネを歌ったが、歌うのは舵ぎ手で声はでかいが歌はあまりうまくなかったと思う。最近は歌はプロの歌手にするよう何か方式が変わったのかもしれない。
 小さな運河を走っていくと、その美声につられて、運河沿いの古い建物の住人もビール片手に身を乗り出したり、橋を潜る時は多くの人がゴンドラを見下ろし拍手している。同行したS君は実は少しクラシックの素養があり歌い方にはうるさいのだが、彼もこの歌い方は正統な唱法だといっていた。もの静かな初老の歌手は休んでは歌い、20曲も歌ったろうか。
 ちゃんとした唱法の歌手をチャーターしたことが、このゴンドラ・チームの勝ったところという感じがした。いったいこのもの静かな初老の歌い手はどんな人生を送り、いまここにあるのだろうか。フェ二ーチェの末席にでも出ていたのだろうか。あるいは歌を教える人が老後の余技を楽しんでいるのだろうか。イタリア人にしては、にこりともせず、物静かで何かを内に秘めているような気がした。ゴンドラを楽しんだ後は7時半に予約したレストランに向かう。
 結果的には、サンマルコ寺院の脇のほんの細い通路の角にあったのだが、そこへ行き着くまでに何本も間違った道に入り出なおした。レストランは一応前菜から、一の皿、二の皿と出てデザートまでイタリア風に進んだ。ビールを飲み、何かワインを注文した。料理はまあまあの線、ミールクーポンで中級レストランをお願いしたのでこんなものだろう。食後酔い覚ましを兼ねて、サン・マルコを散歩した。もう夜も更けたのに、人々があふれ、まるで祭りのような賑わい。あちこちから生演奏が聞こえてくる。海を見たり、夜のメインストリートや脇の路地を歩いたりしながらホテルに帰って寝た.
by yuugean | 2004-09-29 17:48 | 2004

最後の晩餐ードウモ

d0098440_19331571.jpg  今日は1日ミラノ自由行動。旅の疲れもあってか、起床は5時。少し勝手が違うがいつも通り、「坐忘」-「出神」-「収神」をホテルの部屋で試みる。実は、昨日6千フィートの飛行機の中でも、試みたがあまりうまく行ったとは思われなかった。空気が希薄で室内は快適でも外気はマイナス60度cという荒涼たる環境。おそらく「分身」はその外の環境に影響されていると思う。結局「天頂」より出ようとしなかった。数度試みたが、いつもはスムーズに出て行く「分身」が怖がってか?なかなか出ようとしない。結局あいまいなままに終わった。それで今朝試みたわけだが、昨日の「恐怖」がまだ残っているとみえて、なかなか「天頂」より出ようとしない。長旅の疲れも残っているかも知れず、あまり強要することなく自然に旧に復するときを待つことにする。
 なかば出来たような気もするが、日本の大気になれた「分身」は明らかにイタリアの水分の極端に少ない大気に戸惑っている感じがする。今日は実質的にイタリヤ第一に目で、日本で予約を取った「最後の晩餐」を見るのが今日のメインイベント。8;45分にサンタ・マリア・デレ・グラテ教会で「最後の晩餐」鑑賞の予約が取れているので、一番に朝食を済ませ、ホテルの前の新聞売り場で地下鉄の「一日乗車券」を買い教会に向かう。イタリヤの地下鉄は落書きが多く、あまりきれいではないが、無事20分ほどで目指す駅で降り、5分ほどの距離の教会に向かった。周辺は文教地区という趣で学生が多い。
 「最後の晩餐」はこの教会の修道院の食堂の壁にダビンチが描いたもの。第二次世界大戦で爆撃を受け、食堂は破壊されたが壁画は奇跡的に残った。それを修復し、予約制で見せており、「無菌室」のように20人ずつしか入れない。入場する前、パリから列車を乗り継いでやってきたという日本人の若い女性と一緒になった。ベンチでS君と盛んに話していたが、彼女はパリに住んで医学留学しているという。ヨーロッパは陸続きだから、5時間ほどでフィレンツェに来れるが、いかににお金をかけないで来るか頭を絞ったという。彼女の健闘を祈りながら、「最後の晩餐」のある「食堂」への入り口に入る。前の20名が部屋を出て初めて次の人たちのためのドアが開く仕組みになっている。やはりダビンチの傑作らしい気品と静かな情熱を画面いっぱいに湛えている。これを見るために、日本から来たという思いが強い。
 ミケランジェロの勇壮さとは違った、人間を冷静に見つめる、限りなく優しい眼がここにはある。制限時間ぎりぎりまで、この壁画の前にたたずんだ。聞けばS君も同じ思いだった。何かこの場所を離れがたいものを感じたという、ダビンチの魂がまだこもっていて、何かを語りかけてくる。そういう魔力が確かにこの絵にはある。鑑賞後、修道院の庭で写真を撮り、地下鉄駅まで歩いて、三つ目の「ドウモ」で降りた。降りると目の前がミラノの象徴「ドウモ」、その前に大きな広場がある。ドウモ周辺はいつも多くの人だかりで、観光客も多い。ドウモを見上げ、写真撮影。その前にある有名なショッピングアーケード「ガレリア」を散策。明日から「ミラノファッション」のイベントが始まるのでステージなどの準備をしていた。ブランド店を覗くが以前のように興味は沸いてこない。スカラ座は工事中だったので、近くにあるポルディ・ベッツウオーリ美術館へ入った。
 街中にあった誰かの邸宅を市が買い取って美術館にした感じで、東京で言えば旧宮邸を美術館にしたようなもの。玄関、アプローチ、階段など各部屋は趣味のいい貴族の邸宅感じさせる見事なたたずまい。30以上もある部屋に宗教画や工芸品M時計などのコレクションがテーマ毎に並んでいる。この時はトラディショナルなレース編みのコレクションを展示していた。昼になったので昨日JALの人に教えてもらった「上げパン」ぼおいしい店を探す。行列が出来ているが、要はモッツレラチーズと具を挟んで揚げたもの。これと函ビールを買ってドウモの横の石のベンチに腰掛けて食べる。見れば周辺では土地っ子らしい人も同じように食べているのが何人も目に付いた。午後からは、「ドウモ」の大屋根に上る。エレベータで上りさらに屋上へ。巨大な屋根の上を多くの観光客が歩いている。
 「ドウモ」は多くの尖塔を持っているが、その尖塔にはさらに多くの細工が施してあり、夥しい数の聖者像が飾り込まれている。これだけの壮大な建築物を作り上げる力は何だったのか、改めてカソリック教権の巨大さを思う。ここから見るミラノ市街の光景も美しい。「ドウモ」屋上から降りて、ドウモ内部を見学、祭壇の壮麗さに先程と同じ思いをした。「ドウモ」を出て、次は地下鉄で三駅のスフォルツェスコ城に向かった。
  この城は中世の城壁や要塞を残しており、中は美術館になっているが有料なのでパス。少し歩きつかれたので城を抜けて裏側にある広大なセンピオーネ公園の芝生の上にしばらく寝転ぶ。ちょうどイタリア人の「シェスタ」(昼寝)の時間でオフィスを抜け出た人が同僚と芝生の上でお話していたり、公園の中を散歩していたり、あるいはランニングしていたり。私達は芝生の上に寝転び、さわやかな空気に満ちた初秋の空をずっと見ていた。黙って空を見ているとなんとなく心の落ち着く思いである種至福の時間。休憩の後、城を抜け、午後の休み時間の人々で賑わうバールが沢山並んだ通りを散歩。ずっとそのまま歩いていくと、「ドウモ」に出た。
  再び「ガレリア」を散歩したり、バールで休んでいる内に夜となった。昨夜アシスタントに聞いていた「ル・ジェンナーロ」という店に行く。しばらく探したが中は結構地元の人間で混んでいた。パスタ類を取り、ピッツアを取り、ビールとワイン。私は以前からパスタは日本が一番おいしいと思っているが、ここのパスタはまあまあ。ワインに酔って外に出ると、ドーモ横の大広場に若者達がいっぱい集まり、何か盛んに歓声を上げている。どうも、小さなボールを上に蹴り上げる競技の試合があって、地元チームが勝ったため、盛り上がっているらしい。多くの若者が群がる中、広場を歩いていると、向こうから「日の丸」に「闘魂」と書いた鉢巻をした若者を肩車した男女4人が少し酔いながら歩いてきた。私が気づき、「あ、日の丸だ」と指を差したら、相手もいちはやく気づいて寄って来て「おお、日本人」という感じで笑いかけ握手を求めてきた。
 結局4人と握手し、何の打ち上げかわからないが健闘をたたえ合った。若者は世界中どこも同じで、理屈はいらない。この夜はその後地下鉄でホテルのある「リマ」まで帰り寝た。
by yuugean | 2004-09-28 17:43 | 2004

イタリア第一日

  今日はいよいよイタリヤへの出発日。昨夜までに準備は総て完了し、トランク、リュックに荷物は収まっている。7時に自宅を出る。9時に池袋「オリエンタルホテル」出発のリムジンバスに乗って成田へ。以前は京成で行くことが多かったがそこまで荷物を転がしていくのは面倒になった。13時成田発JAL417便でミラノへ飛ぶ。イタリアは私にとっては二度目。イタリアは私にとっては二度目、前はちょうど12年前のバブルの時代、仕事で二週間ほど各地を訪問した。仕事だったので、あまり観光もせず、ことにヴェニスにはもう一度行くぞとずっと思ってきた。今回の旅行はそれを実行に移したもの。前の時はクライアントと通訳が一緒で現地の何人かの美術研究家や美術館館長などに会った。バブル最盛期の頃でヴァチカン「最後の審判」の下絵の真贋をめぐる調査に加わったのだった。ミケランジェロの描いたヴァチカン・システーナ礼拝堂の「最後の審判」は、ミケランジェロが心血を注いだ傑作。その下絵と見られる絵がスイスにあった。ミケランジェロは当時の法王からシステーナ礼拝堂の正面に壁画を描くよう頼まれたが、ミケランジェロはその時、本絵そっくりの「下絵」を2M四方の板の上に描いていた。壁画はフレスコ手法で描かれ、壁が乾くまでに絵を描かなければならず、彼は1Mずつ壁を塗りながらその上に「最後の審判」を描いていった。当然その為の「下絵」が前もって描かれており、彼はそれを写す形で壁の上に描いていったと思われている。「下絵」は通常は作者によって破棄されるが、この「下絵」は法王の要請で破棄されずに長く法王の手許に置かれていた。しかし法王の死後、「下絵」は数奇な運命を辿り、偶然第二次大戦後のスイスで政府の絵画鑑定家によって発見された。この「下絵」については30年ぐらい前に再び世に出て、この時にイタリヤの10名ほどの当時の古典画研究家により鑑定され「本物」との結果が出されている。その後多分誰かの所有となっていたと思われたが、10数年前にはスイス銀行の要請でスイスの企業家4名が共同で所有する形になっていた。元の所有者については強く秘匿されており、おそらく没落した元首級の人間が密かに所有していたと思われる。日本がバブル経済に酔っている時代にスイスからアプローチがあり、興味をしめした私のクライアントが以前30年前にこの絵が出てきた時、鑑定作業に携わった美術館館長や大学教授に直接会ってその「真偽」を確かめる必要が出てきた。以前にイタリヤに行ったのは、生存している館長や教授に会うためで、ローマ、ヴェニス、ボローナ、ナポリを訪問した。この「下絵」と見られる絵は、結果的に日本には来なかったが、この調査の結果については今でも私はあれは「本物」と思っており、今回のイタリア訪問は当時の場所を再訪するとともに、「本絵」に会うこともひとつの目的。27日18:25分ミラノ空港着。現地の送迎バスでミラノ市内のホテル「ガレス」に向かう。バスが市内に入ると古い町並みが続き、バスは市内の目抜きを抜けて、中小ホテルが立ち並ぶ地域に止る。そこからホテルまで1分ほど歩く。「ガレス」ホテルの前の舗道が工事中のためだが、一応4つ星ホテルだが、建物は古い。ただ目の前に地下鉄の駅があり、どこへ行くにも地の利が便利な地点にある。ホテルのロビーで現地アシスタントの説明を受ける。今回このホテルに泊まる日本人は3組。一組は新婚の若い夫妻、もう一組は世界各地を二人で旅行しているという20代前半の女性二人連れ。それに私とS君。私達は今回は純粋の観光だが、S君は20年来の飲み友達。彼はカソリック初心者で、彼にもカソリック
の故地を知りたいという願望、当方もイタリアを再訪したいという願望があり計画が合致した。今回はミラノ、ヴェニス、フィレンチェ、ローマ、ナポリを10日間で巡り、その間にサン・マルコ共和国やアッシジの聖フランチェスコ修道院、ポンペイなども行く結構キツイ旅程。8時過ぎにホテルに着き、説明を受けた後、部屋で小憩。そののちアシスタントが教えてくれたホテル近くの安いバールを探し当てて、ピツッアとビール、ワインで飲食しイタリヤ第一夜は終わった。
by yuugean | 2004-09-27 17:40 | 2004

イタリアで

イタリアは二度目。前はもう平成三年ごろ、仕事で二週間、イタリア各地を巡った。d0098440_8214443.jpg

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by yuugean | 2004-09-25 08:09

イタリア行きの準備

午前中はオフィス、その後霞ヶ関経済産業省。現在自分の仕事の引継ぎを新しい人にやっており、経済産業省で何人かの人に「よろしく」といって紹介した。夜は例のとおり小宴。9時から6チャンネルで「ポンペイ」を見る。10月に訪れる予定なので根をつめて見た。「ポンペイ」はタイタニックだという視点から、なぜ9時間で多くの人が埋もれたかを再現ドラマで見せてくれた。このところ二日前の「世界ふしぎ発見」では「ダビンチvsミケランジェロ」を取り上げるなどイタリアを特集した番組が多い。雑誌でも最近号ではよくイタリアを特集している。あと1週間にせまったが、10年前バブル末期に訪れたイタリアを再訪するのは大きな楽しみ。ダビンチ、ミケランジェロについては前回もデッサンまでも見たが今回は「最後の晩餐」が楽しみだ。この壁画のあるミラノの教会をはじめ、フィレンツェのウッティ美術館、ローマのボルゲーゼ美術館など「三大美術観」といわれる予約の難しい美術館はすべてイタリア在住の方に予約してもらった。ローマからナポリへの列車はインターネットを通じて往復予約済みで準備はほぼ完了した。あとは出発を待つのみ。ただ先週デスクトップの液晶モニタが壊れた。熱を持っており、もう購入後三年すぎサポート外なので分解して、放熱処置など数箇所に仕掛けたがなおらない。おそらく寿命だろう。新しいモニタを手配した。13000円の中古。パソコンはノートがあり、ファイル共有に切り替えたのでさしあたり不便はないが、もういちど自家修理にチャレンジしてみるつもり。
by yuugean | 2004-09-21 17:38 | 2004

チャレンジ

4時過ぎ起床。すでに秋分の日が近づいているのに、まだ残暑が厳しく、ついに東京・大阪では「真夏日」最長記録となった。夜はまだ寝苦しく、朝早々からすでに26度を超えている。ひとつの天候異変といえる。さて、起床後はいつもの「儀式」。その後、いつもの「坐」で早朝の「坐忘」ー「出神」-「収神」。今日の感じは悪くない。むしろ「気持ちいい」感じが、修練中ずっと続いていた。「出神」では、このところ、ゆっくりとスライム体のようにみえる「法身」が身体を立ち上っていく。そして、頭から顔を出すときには、時においてまず最初に「光」のまぶしさを感じたり、あるいは周辺のにおいを感じたりすることがある。今朝はなぜか「おとこ」あるいは「オス」のにおいがした。スライム体はゆっくりと立ち上って完全に身体から出ると動きはとまる。それは感じとして実感できるので決してイメージによる作用ではない。しばし光の輪にみえる輪郭の中で温養。同時に「法身」に対して「大周天法」を三回修練する。そのご少し歩かせて以前やっていたような「桃之介」と諸先霊との対話の時間。そのご再び頭上の輪の中に戻り、「光の収縮」修練をしばし行い、その後は「収身」にはいる。これもゆっくりと進み、まず下丹田中心に下肢、そして中丹田に移って胴および上肢、そして最後に上丹田ー頭という風にゆっくり「法身」を入れ、十分に落ち着かせてから朝の修練は
終わる。今日ふと思ったことは、仙道連で継承しておられる白雲観流の「仙道」では、「出神」については、あまり大きなウエイトがかけられていないのではなかろうかということ。別に確信はないが、五千言坊士も「出神をあまりやると、早死にする」という発言がどこかにあったように思う。もっとも、この「出神」は、いわゆる「神遊観」を指しておられたような気がする。また「出神」というのをこの派では導士が死んだ時に使っておられたような気がする。考え方が伍柳派などとは根本的に違うのかもしれない。そういえば、伍柳派でいう「大薬」にあたる現象はなく、「聖胎」のもとなるのは「体内に生じる小さな粟粒」のような現象だと言われている。「小周天」も「大周天」も少しずつ違うような気がする。仕事の面では、午前中はオフィス、その後霞ヶ関経済産業省。現在自分の仕事の引継ぎを新しい人にやっており、経済産業省で何人かの人に「よろしく」といって紹介した。夜は例のとおり小宴。9時から6チャンネルで「ポンペイ」を見る。10月に訪れる予定なので根をつめて見た。「ポンペイ」はタイタニックだという視点から、なぜ9時間で多くの人が埋もれたかを再現ドラマで見せてくれた。このところ二日前の「世界ふしぎ発見」では「ダビンチvsミケランジェロ」を取り上げるなどイタリアを特集した番組が多い。雑誌でも最近号ではよくイタリアを特集している。あと1週間にせまったが、10年前バブル末期に訪れたイタリアを再訪するのは大きな楽しみ。ダビンチ、ミケランジェロについては前回もデッサンまでも見たが今回は「最後の晩餐」が楽しみだ。この壁画のあるミラノの教会をはじめ、フィレンツェのウッティ美術館、ローマのボルゲーゼ美術館など「三大美術観」といわれる予約の難しい美術館はすべてイタリア在住の方に予約してもらった。ローマからナポリへの列車はインターネットを通じて往復予約済みで準備はほぼ完了した。あとは出発を待つのみ。ただ先週デスクトップの液晶モニタが壊れた。熱を持っており、もう購入後三年すぎサポート外なので分解して、放熱処置など数箇所に仕掛けたがなおらない。おそらく寿命だろう。新しいモニタを手配した。13000円の中古。パソコンはノートがあり、ファイル共有に切り替えたのでさしあたり不便はないが、もういちど自家修理にチャレンジしてみるつもり。
by yuugean | 2004-09-21 09:53 | 2004

1日7回

3時過ぎ起床。今日は少し早く2時に目が覚めてしまって、それ以後眠る事ができないので起床。起床後いつもの「儀式」を行った。それは、「光如来」(実際に夜光え光る石造りの如来・菩薩)に水と線香を上げる事から始まる5分ほどの儀式。その後、いつもの「坐」で早朝の「坐忘」ー「出神」-「収神」。こういう修練をやって今年末でちょうど1年。私が採用しているのは、世に「達磨の法」と言われるもの。「出神」の時期と回数、それと「神遊観」(「出神」後のいわば幽体離脱)の「距離」によって、さまざまな「行」がこれまで提唱されている。代表的なのは「達磨の法」と「東帝君の法」。「達磨の法」は現在私が取り組んでいるもので、どちらかと言えば体内外での「温養」を主としたもの。それに対して「東帝君の法」は、「出神は7日まで一歩、14日まで2歩、と言う風に細かく規定されており、28日経つと1里、35日から2里歩かせて、1年目には100里歩かせるという外界での「歩行」を主としたもの。私は昼間勤務をしており、修練専一に暮らしているのではないので、最初からどちらかと言えば穏健な「達磨の法」の方が納得いけたので、最初にこれを採用。「出神」は最初の3ヶ月は1日1回「出神」と「収神」。半年以後は1日3回。仕事の都合で、一日2回ぐらいになることが多いが、この半年ずっと続けてきた。ただ「出神」後は、近所を歩かせることをこのところずっと修練してきた。しかし「達磨の法」の記述に立ち戻って考えてみると、「出神」後に、近所を歩かせることはまだ早く、あと1年は身辺においたままにすることが述べられており、方法を改めて身辺での「温養」を主体とすることに切り替えた。しかしあと少しで1年となり、「1年後は1日7回の出神」が「達磨法」なので、1日7回の出神をどう行うか悩みのひとつ。1日7回の出神ともなれば、もうほとんど常時のことで、仕事を続けていくならば、場所を選ばず、時を選ばずの心がけが必要になる。試みに、早朝の自宅のほか、往路の地下鉄の車内、行きつけの喫茶店、オフィスのロビー、図書館、帰路の地下鉄の中などで「出神」を試みる。やってみると、それほど困難でもないが、若干手短にまとめる必要がある。まず身心が一種「変性意識」の領域に入り、頭上に「光の輪」を出す。日によって「輪」であったり、楕円の「光背」様であったり状況が変わってくる。その後目光、耳光を体内に這わせ「陽神」の所在を明確にし、この「陽神」に意識を落とすと、「陽神」は自然に上り始め、「光の輪」に入っていく。体内から続いて「陽神」は上ってきて全て「光の輪」の中に入ると動きは止まる。この「光の輪」の中でしばらくの間「陽神」を温養し、その後周辺の「光」を「陽神」に取り込む。しばらく温養ののち「陽神」を身体の中に「収神」。「中丹田」をめがけて「陽神」を降下させ、それを更に「下丹田」に入れていく。下半身に行き渡ると今度は上丹田にも行き渡らせ、全体の三丹田を再度温養して終わる。仕事の面では、午前中はオフィス、その後霞ヶ関経済産業省。例の中華屋さんで昼食。仕事を終わった後、新しいプロジェクトの詰め。時間がかかる可能性があるが、一歩一歩前に進んでいる感じ。あとは自宅に帰りいつもどおりパソコンほか。今月のイタリア行きの準備など。
by yuugean | 2004-09-09 09:55 | 2004



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