遊化の森

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実験

今日は4時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。たまにはゆっくりと「修練」する必要を感じたから早起きした。その後「坐忘」、そして「出神」を修練。ずっとこのところはほぼ等身大の「陽神」を出している。等身大というほどでもないが、実際には60-70センチ。しかしイメージとして「等身大」と感じられるのは、上丹田のみではんく、手足を含めほぼ全身の「出神」を行うようにしているからだ。まず、かなり大きなバリアを頭上に出すと、それに引き続いて、ほぼ等身大の「陽神」がひとりでにのぼり、バリアに入っていく。「温養」の時は、そのバリアの中に順に「白」「肌色」「赤」「うす青」の溶液あるいは気体が満ちてきて、それを「陽神」が吸収。白は骨格となり、肌色は筋肉、赤は血となり、うす青は神経となる。まず陽神の各部に骨格が出来ていく。頭骨、頚椎、脊椎、上肢、下肢、その隅々まで出来、次に筋肉が各所に生まれる。その後動脈と静脈が別々に各部に伸びていく。内臓、肺、心臓、脳。神経が各部にいきわたっていく。しばらく温養ののち近くに移動、ある儀式。その後再び頭上に戻し、天上からの「光」が陽神に入ってきて、しばらく温養。その後ゆっくり体内に戻す。朝の最初の「修練」はまだ身体が眠っているのか、感覚がそれほど深くない。それで二度あるいは時間があれば三度続けると、感覚が濃くなり、「陽神」内部の「電磁」的な反応も強くなる。一日、これだけで過ごせれば、さらに明確になるに違いないが、「仙道」は人生の「修行」であって決して「稼業」ではない。神秘行や気功の類を「稼業」とすれば、かならず無理や偽りが入ってくる。道院とか寺とかで、それのみの修行が出来ればいいが、そんな生活も私には向いていない。やはり仕事を続けながら、「仙道」を続ける。その制約の中でやれるだけやって見る。さまざまな他人の毀誉褒貶のためにやるのではなく、自分にとっての「大きな疑問」を解くために、ひたすら実験をやっているにしかすぎない。
by yuugean | 2005-01-29 15:00 | 2005

儀式

  相変わらず寒い日が続く。5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。その後「坐忘」、そして「出神」を修練。私にとっては今年に入って「出神」の方法を変えたのが大きい変化。「出神」の手法について、高藤本などでは「陽神」は「10センチ」ぐらいという記述があり、他の類書にも同様の記述があるように思われ、私も多くの場合、それを「目処」に修練を続けてきた。しかし今年に入って、あるきっかけでそれをやめた。
  身体の中にぴったりと貼りつく形で「分身」らしきモノが知覚でき、それを対象に「出神」。するとそれのほうがはるかに「現実的」な方法であると思われる。まず、それが収容できるような「光」の玉(シャボン玉・風船状)を頭上にだすが、これは今までよりもかなり大き目。その中に、ほぼ等身大の「陽神」がひとりでにのぼり、入ってくるのを待つ。つまり、「出神」は、ほぼ等身大の「意識」(陽神)を身体から出し、それを頭上でしばし「温養」。その後近くに移動して、ある儀式。  その後再び頭上に戻し、温養し周辺の「光」を陽神に収容して、再び体内に戻す。これは類書にある方法とは違うが、私にとりこの方がスムーズで現実的。つまり「オレ流」。今日は今年初めての太極拳修練会。朝7時半に家を出て淡路町の「ベローチェ」で待ち合わせ。その後千代田小学校へ行き10時から修練。「進展法」「八段錦」「簡化式太極拳」「老架式太極拳」をやる。その後鰻やでビールと「鰻重」の昼食。午後は入浴ののち、小宴。
by yuugean | 2005-01-09 18:47 | 2005

オレ流

相変わらず寒い日が続く。5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。その後「坐忘」、そして「出神」を修練。私にとっては今年に入って「出神」の方法を変えたのが大きい変化。「出神」の手法について、高藤本などでは「陽神」は「10センチ」ぐらいという記述があり、他の類書にも同様の記述があるように思われ、私も多くの場合、それを「目処」に修練を続けてきた。しかし今年に入って、あるきっかけでそれをやめた。身体の中にぴったりと貼りつく形で「分身」らしきモノが知覚でき、それを対象に「出神」。するとそれのほうがはるかに「現実的」な方法であると思われる。まず、それが収容できるような「光」の玉(シャボン玉・風船状)を頭上にだすが、これは今までよりもかなり大き目。その中に、ほぼ等身大の「陽神」がひとりでにのぼり、入ってくるのを待つ。つまり、「出神」は、ほぼ等身大の「意識」(陽神)を身体から出し、それを頭上でしばし「温養」。その後近くに移動して、ある儀式。その後再び頭上に戻し、温養し周辺の「光」を陽神に収容して、再び体内に戻す。これは類書にある方法とは違うが、私にとりこの方がスムーズで現実的。つまり「オレ流」。今日は今年初めての太極拳修練会。朝7時半に家を出て淡路町の「ベローチェ」で待ち合わせ。その後千代田小学校へ行き10時から修練。「進展法」「八段錦」「簡化式太極拳」「老架式太極拳」をやる。その後鰻やでビールと「鰻重」の昼食。午後は入浴ののち、小宴。
by yuugean | 2005-01-09 16:04 | 2005

ノイズを消す

このところ寒気が日本を覆っている。今年に入り既に5日。相変わらず、私事多忙、正月休みもそれほど、ゆっくりというわけには行かなかった。しかし大晦日には例年通りゆっくり「湯」に入り、その後「蕎麦」を食べ、夜は「紅白」を見ながら寝た。1日は知人宅へ行き、1日を過ごす。2日は今取りかかっている仕事を少々。3日には知人と「初詣」のつもりで、最初めぼしをつけた地元の神社に行くつもりが、バスを乗り間違えて、どんどん知らない街へバスは入っていくので、途中下車。もと来た場所に戻ろうと歩いていると、道路わきに石の鳥居があり、立派な参道がずっと続いている。その先に赤い鳥居があり、小さな橋を渡ると小ぶりのお堂が二つ、三つ。案内板を見ると、江戸時代に徳川家光から所領を拝領、このあたりの7つの村が共同でお祭りした由緒ある「鎮守さま」。行きがかりで出会った「初詣」だが、これも何かの縁と思い丁重にお祈りした。4日は自宅で「仕事」の続き。5日から通常通りの仕事に取りかかている。さて「寒い朝」だが、5時すぎ起床、いつもどおりコーヒー沸かし、その他儀礼少々。坐忘ー出神の修練はいつも通り。ただ、自分的には昨年末から今年にかけては、少々変化しつつある。ひとつは「坐忘」において、深度が深まると、意識の中で「身体」の部分は完全に消えている。身体の部分は消えて外の大気と同様な状況に「意識」の中には写っている。ただ「天頂」の部分と、両足の足底の部分が白く残っている。これは思うにこの部分がある種の「気」・「光」の「受信」部分で、天と地の「気」を「受信」しているためではないかと思われる。「坐忘」も「瞑想」も同様だが、深度を進めるということはつまり、「ノイズを消す」作業ではないかと思う。なぜ、そう思うかというと、波長の長い微弱な「光」は通常な方法では捉えることが出来ない。「分光計」でしかその波形を捉えることは出来ないが、これは大気中には実にさまざまな「光」が混在しているため。そこでたとえば10ミクロンの「光」を抽出するためには、「分光計」で他の波長の「光」を消し去っていって、残ったものが目指す「光」だということになる。「坐忘」や「瞑想」で深度を深めるということは、これと同様で「ノイズを消す」作業に他ならないと思う。「ノイズを消して」いけば、身体の部分から出ている「ノイズ」はなくなり、真っ暗、あるいは「無」の状況となり、その時点でもまだ「ノイズ」を発しているのが、常に天地の「気」を受信している(?)「天頂」と「足裏」の部分が「意識」の中で「白く」写るのではなかろうか?という気がする。
by yuugean | 2005-01-05 16:05 | 2005



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