遊化の森

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固さ

5時30分起床。いつの間にか今日で二月は終わる。寒さはまだ日本列島を覆っていて、ここ当分は「真冬日」とニュースが伝えている。今夏はまた暑いともいう。その夏の暑さを思いながら、この冬の寒さを「少しはマシか」とすごすのも一法。しかし私自身はそれほど寒さは感じない。身体の心はあったかい。そのかわり「手足」は氷のように冷たい。これは五、六年前からずっとそうだ。「胎息」になったり「へき穀」となったりした時期を境に、冬の手足は「外気」と同じような冷たさとなる。友人によると「赤ちゃん」がそうで、手足は外気と同じ温度になり、身体の中は暖かいという。そうとすれば、「赤ちゃん」なみの身体になったということだろうか。冬眠する動物などもおそらくこうなのではないだろうか。「眠る」ということは、エネルギーを極小化することで、それで餌のない冬を過ごすのだと思う。つまり私の場合もエネルギーの極小化が部分的にしろ進んでいて、それが冬はこういう状態となるような気がする。早朝いつもの通り「儀式」、それから「坐忘」。その他の修法はいつものとおり。「出神」は、「幽体」とみえる「陽神」そのものの動きにまかせて、ゆっくりと出て行く。入るときもそうで、「陽神」のペースに任せてゆっくりと入っていく。その独特のペースに任せることが大切で、急いだり省略したりすることはよくない感じがする。二回目以降、「出神」と「収神」を少し簡略化して一日5-6回になるようにやっている。今日昼食後いきつけの喫茶店でそれとなくやっていたら、今日はなぜか「陽神」がひときわ固形的で天頂を出るときも「痛さ」をしばらく感じ、出ているときも電磁的な「痛さ」をずうと感じていた。これは何かの「転機」なのだろうか。夜ビデオ屋で借りてきた「Xファイル」を見るともなく見ているうちに12時となっていた。あわてて就寝前の「坐忘」にはいり、「目光」「耳光」を全身に巡らせて、時期をみて就寝した。
by yuugean | 2005-02-28 15:51 | 2005

ごきげんな夜

今日は4時30分起床。再び寒さが戻ってきた。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。「坐忘」、「出神」修練。最近は「幽体」がさらに濃くなった気がする。周辺遊泳も視界がはっきりしている。「陽神」はすでに感情に左右されない。ただそこにあり、動きにも濃さが増してくる。それは幽体あるいは「陽神」がいっそう「電磁性」を増してきたということ。今日頼まれて某ロータリークラブで講演。ホテルの昼食をたべながらの講演で30分の卓話なのでいうべきことも制限されるが、まあ無事にこなしたと思う。講演といえばこれまで何度かこなしてきたから今ではぶっつけ本番でもほとんど緊張はない。そんななか思いが強いのは10年ほどまえやった某学会での発表。場所が科学技術館で会場は広く多くの人が集まった。当時私のやっていた、ある分野で「ある現象」を巡り、意見が二分した。その学会に参集したのは大手会社の科学者・研究者たちや公的機関の研究者たちで長年研究に携わってきた専門家たち。しかもこの学会は当時私の「理論」とは正反対の意見を持っている研究者たちで、いわば敵地に乗り込んで持論を披露した形になった。しかしあれから10年、今から思えば大変いい思い出になっている。夜、友人と都心の風呂に入った後、その近くの小料理屋にいった。ここは富山から直接魚を入れている店で新鮮。この間行ったら「寒ぶり」が最後の時期に来ていると、言われたので「魚好き」の友人を誘って、氷見の寒ぶりを味わった。他にイカもおいしかった。この前築地の場内で「ぶり」がおいしいという店に行ったが、それほどでもなかった。一度氷見まで行ったことがあったが、三月に入っていて、もうブリはなかった。この店はその氷見から直接取り寄せていて、他の魚も新鮮でうまい。会話も弾み、酒もしこたま飲んでごきげんな一夜となった。来年まで「寒ぶり」の食べ収め、数年前真冬の浜田(島根)で食べた極上の「寒ぶり」が忘れられず、毎冬追いかけているがなかなか本物には行き当たらない。来年はもう一度山陰にでも出かけて見るかと思う。
by yuugean | 2005-02-24 18:50 | 2005

信なくば

今日は5時30分起床。いつの間にか二月も半ばを過ぎている。今日「春一番」が吹いたとテレビニュースが報じている。ニュースといえば、このところ「ニッポン放送株」の問題ばかりという状況になっている。この問題が最初に発生したときから、周辺には「ホリエモンは1年後にはいない。いずれ潰される」といっていたが、果たしてどうなるだろうか。この問題を仕組んだのは「村上ファンド」。この前の東京スタイルの時もそうだが、口では経営浄化を言いながら、その実「利ざや稼ぎ」を狙っているのは同じ手法。ホリエモンは乗せられ、「村上」の「利ざや」稼ぎに協力しただけ。自分も高値でフジテレビに買わせようとしたが、相手を怒らせてしまい、思惑違いとなった。大体こんな問題で早くからマスコミに出るのは馬鹿で、水面下での交渉も何も出来ない状況となってしまった。偉そうなことを言わずに、頭を下げて持ち株をフジに買って貰う以外自社を救う道はない。「経営は資本」といいたいのだろうが、村上氏やホリエモンのやっていることは少なくとも「経営」ではない。「信頼なくば長期経営は無理。短期のマネーゲームのみ」というのはいつの時代も鉄則。まあ、こんな問題はどうでもいい。私の関心事は「修練」。いつもの通りコーヒー沸かし、いつもの「儀式」。まず「坐忘」に入れば、自ずから下肢に「意識」が行き、それが下肢から地中に下りて「意識」がどんどん潜っていく。ついに「マグマ」に達し、温養すれば今度は下から上へ太い気の流れ。多くは赤茶けた色だが、日によっては黄色がかっていたり、黒っぽかったり。それが地中から下肢に伝わり、尾骨から督脈をのぼり、天頂を抜けて今度は空中をどんどん上っていく。宇宙の中心?と思しき地点まで上ると、動きは止まり温養。しばらくして今度は「白光」と見える気の流れが束になって、わが天頂めがけて降りてくる。それを体内隅々にいきわたらせ、両手を少し広げて体外に放出。身体は一種「メディア」になっており、そのまま放松。それが一段落すれば「出神」。まず体外にバリアを出すと、自然にそれに引き続き体内の「幽体」が動き始め「出神」が始まる。ゆっくりと、立ち上っていき、頭部、上肢、中丹田と続き、最後に下肢がおり曲がった形で出てきて、それが伸びると全身像が頭上に浮かぶ感じになる。しばし電磁的な反応を色々楽しみながら温養。その後少し歩いて「桃之介」のちょっとした儀式。終わると周辺一周。他人の家の庭を抜けたり、階段を上ったりして再度自室に戻り、天頂温養。その後ゆっくりと体内に入っていく。まず下肢、それから下丹田、中丹田、そして上肢。最後に頭部がちゃんと収まって終わるが、再度目光、耳光を体内くまなく行き渡らせて一回目の修練は終わる。二回目以降は、「出神」と温養と「収神」のみに簡略化。それを1日5-6回繰り返す。仕事も一応軌道に乗りつつある。まだ行き届かない点はあるが、それは他人に任せていくより他ない。路線は出来たし、世の関係者間での認知もできつつある。次はもうひとつ別のプロジェクトに取り掛かりたい思いだが、当分はそうも行かないだろうというのが本音。
by yuugean | 2005-02-23 15:54 | 2005

ごきげんな夜

今日は4時30分起床。再び寒さが戻ってきた。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。「坐忘」、「出神」修練。最近は「幽体」がさらに濃くなった気がする。周辺遊泳も視界がはっきりしている。「陽神」はすでに感情に左右されない。ただそこにあり、動きにも濃さが増してくる。それは幽体あるいは「陽神」がいっそう「電磁性」を増してきたということ。今日頼まれて某ロータリークラブで講演。ホテルの昼食をたべながらの講演で30分の卓話なのでいうべきことも制限されるが、まあ無事にこなしたと思う。講演といえばこれまで何度かこなしてきたから今ではぶっつけ本番でもほとんど緊張はない。そんななか思いが強いのは10年ほどまえやった某学会での発表。場所が科学技術館で会場は広く多くの人が集まった。当時私のやっていた、ある分野で「ある現象」を巡り、意見が二分した。その学会に参集したのは大手会社の科学者・研究者たちや公的機関の研究者たちで長年研究に携わってきた専門家たち。しかもこの学会は当時私の「理論」とは正反対の意見を持っている研究者たちで、いわば敵地に乗り込んで持論を披露した形になった。しかしあれから10年、今から思えば大変いい思い出になっている。夜、友人と都心の風呂に入った後、その近くの小料理屋にいった。ここは富山から直接魚を入れている店で新鮮。この間行ったら「寒ぶり」が最後の時期に来ていると、言われたので「魚好き」の友人を誘って、氷見の寒ぶりを味わった。他にイカもおいしかった。この前築地の場内で「ぶり」がおいしいという店に行ったが、それほどでもなかった。一度氷見まで行ったことがあったが、三月に入っていて、もうブリはなかった。この店はその氷見から直接取り寄せていて、他の魚も新鮮でうまい。会話も弾み、酒もしこたま飲んでごきげんな一夜となった。来年まで「寒ぶり」の食べ収め、数年前真冬の浜田(島根)で食べた極上の「寒ぶり」が忘れられず、毎冬追いかけているがなかなか本物には行き当たらない。来年はもう一度山陰にでも出かけて見るかと思う。
by yuugean | 2005-02-23 15:08 | 2005

自然に任せる

  今日は4時30分起床。このところ風邪をひいている。今週2日続けて東京ビッグサイトの展示会、シンポジュウム、セミナーなどに出席。仕事ではあるが、あの人ごみの中に「インフルエンザ」ウイルスがどれほど散乱していたことか。最初のどが痛くなり、花粉症かなと思っていたのだが、次の日から熱が若干でてきて、筋肉がいたるところ痛くなってきた。あまり病気などはしないが、「風邪」だけは別、インフルエンザに違いないが薬を飲まなかった。
  風邪は時間が来れば治癒するので、いつも薬で抑えることはしない。薬は確かに症状を抑えるが、効き目が切れるとまた元に戻る。ただ今回はどうみても「インフルエンザ」なので友人のアドバイスを受け入れ、カプセルを半分だけ飲んだ。今日は休日、明日は土曜日なので、たらたらやっていようと思うが月曜までに仕上げる仕事があるので、そうも行かない。ただ能率は半分以下におちるし、集中力も三分の一ぐらいになってしまう。まあこれも「自然にまかせる」精神で乗り切ってみようと考えている。起床していつもの通りコーヒー沸かし、いつもの「儀式」。
  その後に「坐忘」、「出神」修練。「出神」を行うには前段階が大切で、この前段階で身体と心を緩め、体内での温養。もちろん「坐忘」の中での温養はすでに何か決め付けたり、縛ったりするものはない。この中で「目光・耳光」を下肢・上肢、下丹田、中丹田、上丹田に満遍なく巡らせていくと、その箇所に「電磁性」の反応が起こってくる。それが深化すると「出神」に取り掛かる。その方策は既に書いたが、頭上にでた「陽神」を少し形を整えたりしながら、今度は「陽神」に対し、隅々まで「目光・耳光」を巡らすと「電磁性」の反応が起こってくる。いまは風邪なので無理をしないがそれでも修練をゆるめないことが大切と思うので相変わらず上記の修練を続けている。
by yuugean | 2005-02-11 18:53 | 2005

風邪

日は4時30分起床。このところ風邪をひいている。今週2日続けて東京ビッグサイトの展示会、シンポジュウム、セミナーなどに出席。仕事ではあるが、あの人ごみの中に「インフルエンザ」ウイルスがどれほど散乱していたことか。最初のどが痛くなり、花粉症かなと思っていたのだが、次の日から熱が若干でてきて、筋肉がいたるところ痛くなってきた。あまり病気などはしないが、「風邪」だけは別、インフルエンザに違いないが薬を飲まなかった。風邪は時間が来れば治癒するので、いつも薬で抑えることはしない。薬は確かに症状を抑えるが、効き目が切れるとまた元に戻る。ただ今回はどうみても「インフルエンザ」なので友人のアドバイスを受け入れ、カプセルを半分だけ飲んだ。今日は休日、明日は土曜日なので、たらたらやっていようと思うが月曜までに仕上げる仕事があるので、そうも行かない。ただ能率は半分以下におちるし、集中力も三分の一ぐらいになってしまう。まあこれも「自然にまかせる」精神で乗り切ってみようと考えている。起床していつもの通りコーヒー沸かし、いつもの「儀式」。その後に「坐忘」、「出神」修練。「出神」を行うには前段階が大切で、この前段階で身体と心を緩め、体内での温養。もちろん「坐忘」の中での温養はすでに何か決め付けたり、縛ったりするものはない。この中で「目光・耳光」を下肢・上肢、下丹田、中丹田、上丹田に満遍なく巡らせていくと、その箇所に「電磁性」の反応が起こってくる。それが深化すると「出神」に取り掛かる。その方策は既に書いたが、頭上にでた「陽神」を少し形を整えたりしながら、今度は「陽神」に対し、隅々まで「目光・耳光」を巡らすと「電磁性」の反応が起こってくる。いまは風邪なので無理をしないがそれでも修練をゆるめないことが大切と思うので相変わらず上記の修練を続けている。
by yuugean | 2005-02-11 16:02 | 2005

仙道の助け

今日は5時30分起床。なぜか前の夜、いろいろやっていて寝たのが2時ごろだったから、起きるのは少しつらい。この寒さでもあるし。今日も東京は快晴。裏日本は大雪という純粋の冬型天気。裏日本の長くつらい冬を思えば寒さは我慢しなければと思う。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」。「坐忘」、「出神」修練。これは相変わらず。結局「出神」にしろ、体内での温養にしろ肝心なのは「陽神」をいかに育てていくか。その意味で「出神」および「体内温養」の両方がともに重要で、どちらかが粗略であっていいというものではない。「陽神」を育てるというのは、その「電磁性」ともいうべきものを強化することの他ならない。その発現によって、「陽神」の強化がはっきりと証拠付けられると思う。ただ「電磁性」は日によって若干感じ方が違ってくる。空気の澄んだ寒く晴れ上がった日の方が、ぴりぴりという感じが強く、「出神」した「陽神」においてもそれが現れてくる。「陽神」の中に「意識」がすっぽりと入った状態になると、さらにその感じは強まる。ただこれは考えてみれば少しヘンなのだが、なぜなら「陽神」自体が「陽」の「意識」なのだから、「意識」に「意識」を入れるということは、論理的にはおかしいかもしれない。しかしそういう表現でしか言い表せない。私にとって「仙道」は既に生活の一部、(あるいは全部か?)どこでも「仙道」いつでも「仙道」という状況となっているが、それをもっとも活かせるのは、仕事においてだ。人と会っているとき、議論しているとき、仕事を進めているとき、集中力やひらめき、洞察力において大きな助けになっている。そして疲れない。周辺の人たちを楽しくすることもできるし、元気付けることもできる。さまざまな事象の、本当の姿が見えてくる。何よりもそれらが、仕事上の自分を支えてくれる。
by yuugean | 2005-02-03 16:02 | 2005

インターバル

今日は4時起床。このところ東京は快晴が続いている。しかし寒い。朝起きると、その寒さが沁みてくる。あわてて着替えをしコーヒー沸かし、いつもの「儀式」。その後「坐忘」、「出神」を修練。「出神」はそれほど大変ではない。バリアを張り巡らせば自然に体内から立ち上ってくる。頭、腕、胴体、足という風にゆっくりと立ち上り、最後に足を伸ばして立ち上がる。時をおいて「出神」を終わり、最後に天上からの「光」が陽神に入ってきて、しばらく温養。その時、しばしばわが体内の下丹田あたりまで、「光」は届く。「陽神」と「我」が「光」に串刺しになっている状態。「光」といえば、時に天上からの「光」が連綿と降りて来るときがある。そういう時は肩の力を抜き、両手をキリスト像のように広げ全身に受ける姿勢をとることにしている。「光」は体内に入り、両手、両足から抜けていく。また最近は、時々修練中に「そよ風」が額に吹く。部屋の窓は閉まっており、風のおこる要素はまったくないが、額にどこからか「風」が吹いている。何かの「証験」であるかも知れない。最近は短い時間に2-3度ぐらい出す。最初のころは「1日7回」という「達磨法」にのっとっての「出神」をやるにしても、インターバルを2時間ぐらい取ってやらなけばと考えていた。「1日7回」というのは「面壁九年」のうちの四年目の「達磨法」の方式といわれる。しかし必ずしも、そんな配分を考慮する必要はないのでは?と考えるようになっている。インターバルを10分ぐらい置いて連続して「出神」に取り掛かる。それを繰り返す。度数が増えれば増えるほど「密度」は濃くなっている。そういうやり方でとにかく「1日7回」出すことを試してみる。それは「陽神」を強化し宇宙に馴染ませるという意味では間違ったやり方ではないと思っており、しばらくはそれを続けていくことにしている。二度三度続けると、密度が濃くなり、「陽神」内部の「電磁」的な反応も強くなる。「陽神」の問題は、もともとマル「秘」扱いであった為、「定説」があるわけではなく、資料も極端に少ない。それで色々試行錯誤を繰り返し実験を繰り返しながら来ていると、さまざまにいう人がいる。そういう人はどの場合にも、どの分野にもいる。「いう人」はいう人で「やる人」ではない。やる人はいわない。人々のいうに任せよ、汝は汝の道を行け。さて、いま何時?
by yuugean | 2005-02-01 16:04 | 2005



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
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