遊化の森

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「坐忘」

一転して「夏日」のような陽気。朝早くからすでに15度以上になっている。5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」に入り、その中で「天地呼吸」。これは時間があればできるだけ時間をかけてやるようになっている。そして「意識」の変性状態。足元から地中に「意識」を下げ、深く深く入っていくと、やがて動きは止まり、周辺に広がる。「意識」が周辺に拡散して行く感じ。しばらくそのままにして、「意識」はやがて今度は上り始め、督脈を遡り天頂から空中に出て、いわば雲の中を上る感じ。「雲」を抜けるとそこには「宙天」がひろがっており、しばらくすると再び「意識」は拡散し「宙天」に溶け込む感じ。「地中」でも「宙天」でも「意識」はそちらの側に行っており、外からそれらを見ている感じではない。最近このときに「フレーズ」が浮かんでくる。足元では「山川草木 森羅万象」、天上では「宙天無限 五温皆空」のフレーズ、最後の「五温」のフレーズは正しくは「五ウン」。そして「出神」。いつもどおりの「儀式」のあと、周辺を一周。その後「収神」。これはいままでと変わらず続行。この時期に関して、最近思うことは、改めて「坐忘」の重要性。「出神」前も、「収神」後もこの「坐忘」に時間をかけ、すべてが止まるところまで行く。「坐忘」の層は何重にもなっており、深まれば深まるほど何の「動き」もなくなって、まったくの「空」の状態が出現する。そこにしばらくとどまることは大変気持ちがいい。出来るだけ長く続くことを望みたくなる。「坐忘」には七つの階梯があるといわれている。その七つの階梯とは「信敬」「断縁」「収心」「簡事」「真観」「泰定」「得道」。読んで字の如しだが、これは七世紀唐の時代に活躍した道士・司馬承禎が著作した「坐忘論」の中で提唱されている説。「坐忘」は老子の時代から綿々と何世紀にもわたり続けられてきた行法で、呼吸法や導引とともに古い歴史、伝統を持っているが、もとはそれぞれ独立した行法であったと思われる。今日のような「内丹法」は、それらを取り込み、「外丹法」の方式を踏襲して、この時代以降宋、清などに至って完成されてきたもの。その意味で「坐忘」は「仙道」の根幹そのものだといえる。時間をかけて修練すれば「坐忘」は次第に深まっていき最後の「得道」に至ることができるのだろう。
by yuugean | 2005-04-28 16:12 | 2005

意識

  一転して「夏日」のような陽気。朝早くからすでに15度以上になっている。5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」に入り、その中で「天地呼吸」。これは時間があればできるだけ時間をかけてやるようになっている。そして「意識」の変性状態。足元から地中に「意識」を下げ、深く深く入っていくと、やがて動きは止まり、周辺に広がる。「意識」が周辺に拡散して行く感じ。しばらくそのままにして、「意識」はやがて今度は上り始め、督脈を遡り天頂から空中に出て、いわば雲の中を上る感じ。「雲」を抜けるとそこには「宙天」がひろがっており、しばらくすると再び「意識」は拡散し「宙天」に溶け込む感じ。「地中」でも「宙天」でも「意識」はそちらの側に行っており、外からそれらを見ている感じではない。最近このときに「フレーズ」が浮かんでくる。足元では「山川草木 森羅万象」、天上では「宙天無限 五温皆空」のフレーズ、最後の「五温」のフレーズは正しくは「五ウン」。そして「出神」。いつもどおりの「儀式」のあと、周辺を一周。その後「収神」。これはいままでと変わらず続行。この時期に関して、最近思うことは、改めて「坐忘」の重要性。「出神」前も、「収神」後もこの「坐忘」に時間をかけ、すべてが止まるところまで行く。「坐忘」の層は何重にもなっており、深まれば深まるほど何の「動き」もなくなって、まったくの「空」の状態が出現する。そこにしばらくとどまることは大変気持ちがいい。出来るだけ長く続くことを望みたくなる。「坐忘」には七つの階梯があるといわれている。その七つの階梯とは「信敬」「断縁」「収心」「簡事」「真観」「泰定」「得道」。読んで字の如しだが、これは七世紀唐の時代に活躍した道士・司馬承禎が著作した「坐忘論」の中で提唱されている説。「坐忘」は老子の時代から綿々と何世紀にもわたり続けられてきた行法で、呼吸法や導引とともに古い歴史、伝統を持っているが、もとはそれぞれ独立した行法であったと思われる。今日のような「内丹法」は、それらを取り込み、「外丹法」の方式を踏襲して、この時代以降宋、清などに至って完成されてきたもの。その意味で「坐忘」は「仙道」の根幹そのものだといえる。時間をかけて修練すれば「坐忘」は次第に深まっていき最後の「得道」に至ることができるのだろう。
by yuugean | 2005-04-25 19:26 | 2005

しずく

気温の高い日が続いている。その間に寒い日が時々。「三寒四温」というのだろう。桜はすでに散り、小さな若葉が花の散ったあとの近くに、どの花にも芽生えている。これからは若葉の季節。早朝4時過ぎ起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」に入り、その中で「天地呼吸」を念入りに三回。このところ、天地呼吸をゆっくり時間をかけてやる。時間があればさらに何度もやればと思うが、出かけるときや仕事があるときはそうはいかない。でも、できるだけ時間をかける。そうすると後半には、いわば「意識」の変性状態に入る。それとともに地上の「森羅万象」や天上の「宇宙の広がり」と、「意識」とが次第に合わさってくる。それの中で「坐忘」を続けていると、今朝はなぜか「般若心経」の一字一句が現れてきて「五ウン皆空」などの文言の真の意味が次第にはっきりと分かってきて、般若心経を書いた人の心に少し近づいた気分になり、なぜかひとりでに涙がとめどなく流れた。その後「出神」。「陽神」に対して「大周天」三回。最近はほぼ等身大の東洋人で、私らしきのが「太極拳」の「馬歩」のポーズで現れる。「収神」して、「目光」「耳光」をして終わる。最近「収神」の時にやっているのは、「陽神」をしばらく「意守」していると、「光」が降りてきて「陽神」を満たすようになる。その「光」は「陽神」を満たし、「本体」の中枢に太い流れとなって入ってくる。それをしばらく行じて「収神」。そうすると、朝四時過ぎごろには、「内身」が脈動をはじめるようになる。今日は午前中は20人ほどで「太極拳」、午後からは80人ほどで「功力拳」の修練。それで一日が終わり、帰宅後風呂を浴びて小宴。今日なぜか芭蕉の唐招提寺での句が浮かぶ。この句で鑑真と一緒に泣いているのは芭蕉。
   若葉して  御目のしずく ぬぐわばや  芭蕉
by yuugean | 2005-04-17 18:56 | 2005

花見

ここ数日、気温の高い日が続いている。昨日霞ヶ関ですでに桜が満開状態であるに気づき、その足で千鳥が淵へ「下見」に行く。こちらも1-2日がヤマという感じで、平日なのに多くの人がでていた。それまでが寒すぎたせいか、まだ「満開」は今週の土日ぐらいかと思い、そのあたりに「花見」の予定を組んでいた。毎年来ている「千鳥が淵」の花見なので、早速友人に連絡して、すでに「満開」状態を告げると、今日行きましょうということになった。今日の夕方5時から、経済産業省の方で用事があるので、その前に「千鳥が淵」へ出向き、毎年恒例の花見。大変な人出で、お濠側の歩道は歩行困難状態。そこをなんとか途中から入って、お濠の花を見た。なんとなく花を見ている。いっせいに咲き誇る桜とお濠の水、それが何とも言えずマッチして、毎年「花見」はここと決めている。帰りは靖国神社へ回り、その後霞ヶ関へ行った。夜はささやかに小宴。このところの「内丹法」も、毎日の行が相変わらず続いている。早朝5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」はいつもどおり。その後「坐忘」に入り、その中で「天地呼吸」を三回ほど。その後「出神」する。このごろは体の中心、頭の中心から身体全体がゆっくりと「すー」と抜けていく感じ。それは、もともとの「肉体」から脱皮していくようでもあり、後に残るの肉体は「抜け殻」の様でもある。その後「陽神」に対して「大周天」三回。近くに移り「儀礼」。それから日によっては近隣を一周。最近、肉体から抜け出てくるのは以前のような西欧人ではなく、若い東洋人。しかもサーファー。「出神」するとともに周辺に大きな「波」が始まり、彼はボードに乗って波に乗る。そして彼が見たり、経験したりしたことが、目の前のスクリーンに映ってくる。彼は私の知人で海外の海にも行ったが、なぜ何度もそうなるのかは今はまだわからない。「収神」の状況も「天頂」から「すぽっ」という感じで、身体全体が、私の肉体の中に入ってくる。まるで服を着るように、両腕ー胴ー両足と身体全体が入ってくる。その後「目光」「耳光」を全身に2回ほ回して終わる。
by yuugean | 2005-04-07 16:16 | 2005



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