遊化の森

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陽神

朝5時起床。このところは5月らしいすがすがしい気候がつづいている。沖縄はすでに梅雨入りしているし、釧路では冷たい氷雨が降っている。これが細長い日本列島の自然。起床していつものとおり、コーヒー沸かし、そして「儀式」。それが終わると「坐忘」。本当はすでに日常起臥、「坐忘」のなかにあると思っている。だから定座につき、姿勢を作れば、すとんと落ちるがごとくに「坐忘」。それを2-3度繰り返せば、「無為自然」の状態となる。「無為自然」を口で説明するのはかなり困難。しかし「無為」は何もないのではない、「意識」の中に「自己意識」の働きが全くなければ、自ずから身体には天(自然)の働きが現れてくる。その働きに身を任せ、心の目と耳で聞き入っている状態が「無為自然」。その状態の中で、体内の「陽神」は自ずから体外への離脱を始める。「自我意識」の働くところは全くなく、「陽神」自身が「出神」をする。このころ身体の周りに何がしか「光」の輪のようなものを感知できるが、「陽神」がその中心に入っていき、周囲の「光」を陽神の中に「収光」する。最後に光が平たい感じになって終わる。それから近辺周遊したり、その日の気分に任せた動き。しばらくして再び「天頂」で「光」の輪の中で「収光」。そのご自ずから体内に入って終わる。こういう「出神」の行為は、客観的に見れば正気の沙汰ではない。「意識」というものは何か?それすらも解明されてない段階で、少なくとも「意識」の出し入れを行っているということは他言できる種類の行為ではない。いずれ「意識」のエネルギーを感知できるセンサーが出来る日があると思うが、人間の中にあって、目に見えず、形も質もないモノの存在が、実は人間を動かしている存在。そういうことは現在では「科学」として認知される類のものではない。だからこそ、何よりも「謙虚」でなければならない。しかし「陽神」組成を目指す中国の技法は、ある意味漢方薬のように「科学的」「実証的」な意味を持っている。中国古代における、「陰と陽」の着想自体、今日から見れば自然界の成り立ちにおける「プラス」と「マイナス」(電気、磁気、イオン、物質も究極はそう)そのものに他ならない。さらに驚くべきは中医における人体中の「経絡」の存在、「血」と「水」の状況判断。これは西洋医学の解剖的手法では解き明かせない人体の実際に迫っている実証的な理論であり、「意識」についての考え方も同様な実証性を持っていることが、必ずや将来には解明されると考えている。「意識」における「陰」と「陽」。ここでいう「陰」というのは言葉を変えれば「自我意識」であり、あるいはそれに由来する感情。たとえばヒトは、何か仕事を始めるときに、まず「この仕事はこれからどうなるのか?」という意識に左右される。それにあれこれ思い悩むが、これらはすべて「自我」の存在に対する将来の不安や希望という感情・意識から来ている。人間関係や、恋愛関係、あるいは地位、お金そういったものに対する「意識」の働きには必ず「自我意識」の存在があり、それらはいわば「陰神」のなせる業だが、ヒトはしばしばその「自我意識」の自ずからの根源にすら気づいていない。これらはやがて「生老病死」につながっていく苦悩や喜びの感情。なぜならこういう「自我意識」の振幅の大きい日常の働きは、非常に大きなエネルギー消費であり、それが繰り返され、エネルギーを消費しつくし燃え尽きると生命は終わる。そこで「自我意識」の働きを抑え、「陰神」(陰の意識)の働きをなくす事が、「仙道」「禅仏教」「ヨーガ」などにおける「坐忘」「瞑想」の行法に他ならない。こういう行法に熟練して「陰神」がはたらかなくことでエネルギー消費が抑えられた結果、「少ない呼吸」「少ない食事」「少ない睡眠」という状況があらわれ、そのとき「意識」は「陽神」のみとなる。
by yuugean | 2005-05-27 16:18 | 2005

無為自然

最近起きるのは朝5時が多い。最近再び「避穀」的状況が現れてきた。食べると調子がよくない。朝はコーヒーとヨーグルトのみ。夜は食事しない。昼のみちゃんと食事。この状態が身体的にはいちばんよく、夜食べたりすると「食べすぎ」の状態になる。かなり前にも、あるとき突然こうなり、「食事」を減らした。しかし昼間仕事をしている身であり、朝は卵一個、夜は軽く食べる状態になっていた。少食は少食だが、仕事のためにも何か口にするという状況で来たが、また食べると「過食」状態になって却って調子が悪く「避穀」が始まった。私の場合意識して「食べない」わけではなく「食べる」と調子が悪くなる「避穀」。今朝も朝5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。ついで「坐忘」、「天地呼吸」。「天地呼吸」では「地」の部分で「山川草木 森羅万象」、足元から督脈を抜け上る段階では「督脈開通 白龍昇天」のフレーズ、天上に上ると「宙天無限 五ウン皆空」。その後降りて「白光来臨、六根清浄」。四文字熟語づくしで何か安易な感じはするが、ある意味何も考えなくてもよく、順序が次々と展開されるある種システム。「坐忘」の状態が進むと、そのさきに「無為自然」の状態があらわれるが、最近の「出神」はこの「無為自然」の状態のなかでの「出神」。「無為自然」の状態をしばらく維持していると、「陽神」はひとりでにゆっくりと「出神」しはじめる。その「陽神」のペースに任せて一切何もしない「無為自然」の状態を保っていると少しずつ「出神」して最後に「下肢」が出る。出た後の「陽神」には気圧的なある種圧力が感じられる。動くのも「陽神」のまま、こちらは「無為自然」。周辺歩行の後再び天頂にもどり、やはり「無為自然」のままでいると、「陽神」はひとりでに身体に入り始める。下肢ー下丹田ー中丹田ー上肢ー上丹田の順で自然に勝手に「収神」。最後にぴたっと決まると気持ちがいい。こちらは何もやらず「無為自然」のままにすぎると「陽神」が間違いなく勝手に「出神」「収神」をやるようになってきた。これぞ「無為自然」。
by yuugean | 2005-05-19 16:19 | 2005

神田祭

  このところは涼しい。むしろ「寒い」日さへある。北から高気圧が南下しているということだが、この分では稲が育つのか、作物が冷夏の影響を受けないのか、心配されるところ。今日は朝4時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」と「天地呼吸」。「天地呼吸」における「フレーズ」を変えてみる。「天地呼吸」では「地」の部分で「山川草木 森羅万象」、足元から督脈を抜け上る段階では「督脈開通 白龍昇天」のフレーズ、そして空中高く上ると「宙天無限 五ウン皆空」。その後降りてくる段階では「白光来臨、六根澄浄」。
 次いで「出神」の場合も、まず「九字」を唱え周辺を浄化。「臨兵闘者皆陣列在前」の九文字。それから徐に「陽神出御」。まず「上丹出神 上肢付随」「中丹出神 中胴付随」「下丹出神 下肢付随」のフレーズ。それから「陽神」への「大周天」、移動ー儀式ー歩行ー天頂の行為。その後「収神」となるがまず「白光来臨 六根澄浄」を行い、次いで今度は逆で「下肢収神 下丹付随」「中胴収神 中丹付随」「上肢収神 上丹付随」と続く。今日は「太極拳」の修練日。いつもどおり9時半に秋葉原の小学校。「八段錦」「伸展法」「老架式85式」を修練。
 終わって近くで食事後、「神田祭」に行く。中央通には「宮入」を終えた「神輿」が続々と帰ってくる。それを少し見物して、男坂を登り「神田明神」へ。今年は初めて参加する「大手町・丸の内町会」の大きな神輿が目をひいた。「平将門塚保存会」という名目だが、おそらくこの辺の地主の三菱地所が各会社に呼びかけ集めたに違いない。大神輿と700人もの担ぎ手は圧巻で、みな勤め人らしい若い男女、中には外人も混じっている。その他Sさんの町内で出している「十三番司町神輿」まで見届けて帰る。
by yuugean | 2005-05-15 19:35 | 2005

四文字熟語

さしもの「猛威」を振るった「花粉」も下火。ただ日によっては花粉はまだ舞っている。今年は言われるとおり昨年夏の猛暑の結果、花粉の飛ぶ量は半端じゃない。印象では5倍は違うような感じ。私の場合はいつも「杉」よりも、「ヒノキ」の方に敏感に反応する。杉よりも、ヒノキの方が粒子が小さいように思われ、骨の中まで入ってくる感じがする。もちろんあらゆる「手」は尽くすが、日によっては頭重く集中力が殺がれることは事実。それも五月連休明けからは程度が低くなった。連休中は「ゴッホ展」をみて、その帰りに大手町ー丸の内ー銀座など散歩した。さすがに大手町では人っ子ひとりいないので、三井物産のコンビ二でお茶を買って、「かるがも池」?のベンチで話をしたりした。それでも近所で働いている若い人らしきが二、三人タバコを吸いに来て休んだり(千代田区は禁煙なのだが)。そのあと丸の内を歩いて、旧国鉄本社の高層ビルに入ったり、中でのコンサートを立ち聞きしたり、コンコースでパントマイムの大道芸をみたり、のんびりとした休日。それから銀座に出て、まずビックカメラでプリンターインクを買い、その後銀座通りへ。歩行者天国でいろんなイベントをやっており、それをひやかして歩いたが、私達のように連休を海外や田舎に行かなかった人で大変混んでいた。連休のまた別の日には新宿で映画を見て、新宿御苑に行ったが、4時近くでもう閉園の時間になっていた。しかたなく近所を散歩。三丁目から地下鉄に乗り、御茶ノ水で降りていつも行く「江戸遊」でゆっくり風呂に入った。その後お茶の水傍の居酒屋で飲んだ。連休でも開いている店はこの辺りにしかない。そんな風に平凡に過ごした今年のゴールデンウイーク、観光地の人ごみや列車の満員ぶりとは無縁ののんびりとした日々だった。さて6日あたりから仕事モードに入って、9日からは通常通り。今朝は朝5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」、「天地呼吸」。「天地呼吸」では「地」の部分で「山川草木 森羅万象」、足元から督脈を抜け上る段階では「白龍昇天、天頂開口」のフレーズ、そして空中高く上ると「宙天無限 五ウン皆空」。その後降りてくる段階では「白光降臨、六根清浄」。何か最近はその時々で「四文字熟語」?が盛んに出てきて、その段階の状態を表すようになっている。これも単調さを補う一種のゲーム。また最近は出来るだけ朝の坐行の前に「老架式太極拳」を演じるようにしている。85式もあるので、前半ー後半などにわけ演じるが、時間のないときは坐行のみになってしまう。そして「出神」と「収神」。これはいつも通り。先日の「坐化?」状況はすぐ旧に復したが、これは何かの勘違いだったかもしれない。「花粉」の酷い時だったから、集中が薄れたのかも知れない。
by yuugean | 2005-05-10 19:31 | 2005

連休

  いよいよ5月。といっても前の月と変わらない感じの今月。おそらく同じ生活、同じ修練、同じ日々。ただ新たにやるべきことがいくつか。この連休の間の宿題だと思っている。当初は連休中にどこか行くことも考えたが、混み具合を想像するだけで怯えが出てくる。それより、気の向くまま、猫のように好きなことだけやって暮らすことを考えている。近隣や江戸市中をなんとなく散策したり、映画に行ったり、美術館に行ったり。その間に仕上げるべきいくつかのプラン、作業を入れていく。連休はそんな感じになると思う。今日は曇りと晴れの中間ではっきりとしない天気。しかし昨日や一昨日のように暑くはなく快適な五月といった感じ。朝5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」、「天地呼吸」。「意識」の赴くままにしていると、「意識」は広がり「山川草木 森羅万象」、「宙天無限 五ウン皆空」の世界。そして「出神」と「収神」。これはいままでどおり。ただ昨日、奇妙な「経験」をした。夕方しばらく寝て起きてみると、「感覚」が少し違う。頭の中も身体のなかも「空」。まったく動くものなく感じるものなし。ひょうとしたらこれは「意識」が寝ている間に「外出」したのではないか?そんな感じの状態だった。以前にも一度国際フォーラムで「出神」をしていたとき、おそらく照明のレーザー光にでも誘われたのか、その後で「収神」したものの、どうも戻ってこない感じが強かった。このときは、家に帰ってからどこかに行っているかもしれない「意識」探しをいて、散じた「神」を頭上に集結させる作業をした。その結果は何度かの作業の後、復帰した。今回もその類と思い、「散じた神」を「集結」させるような作業を何度かやる。そうすると今朝はまた元に復していた。もし、そういう作業をやらないっまでいると、おそらく行ったままになって、そのまま「坐化」(死)することになるのではないか。私の方法が正しいかどうか分からないが、今のところそのやり方で二回そういう状況を切り抜けることが出来た。新しい事態に対しては手探りでやってみて、経験を積んでいくしかない。
by yuugean | 2005-05-01 19:34 | 2005

坐化

いよいよ5月。といっても前の月と変わらない感じの今月。おそらく同じ生活、同じ修練、同じ日々。ただ新たにやるべきことがいくつか。この連休の間の宿題だと思っている。当初は連休中にどこか行くことも考えたが、混み具合を想像するだけで怯えが出てくる。それより、気の向くまま、猫のように好きなことだけやって暮らすことを考えている。近隣や江戸市中をなんとなく散策したり、映画に行ったり、美術館に行ったり。その間に仕上げるべきいくつかのプラン、作業を入れていく。連休はそんな感じになると思う。今日は曇りと晴れの中間ではっきりとしない天気。しかし昨日や一昨日のように暑くはなく快適な五月といった感じ。朝5時起床。コーヒー沸かし、いつもの「儀礼」。その後「坐忘」、「天地呼吸」。「意識」の赴くままにしていると、「意識」は広がり「山川草木 森羅万象」、「宙天無限 五ウン皆空」の世界。そして「出神」と「収神」。これはいままでどおり。ただ昨日、奇妙な「経験」をした。夕方しばらく寝て起きてみると、「感覚」が少し違う。頭の中も身体のなかも「空」。まったく動くものなく感じるものなし。ひょうとしたらこれは「意識」が寝ている間に「外出」したのではないか?そんな感じの状態だった。以前にも一度国際フォーラムで「出神」をしていたとき、おそらく照明のレーザー光にでも誘われたのか、その後で「収神」したものの、どうも戻ってこない感じが強かった。このときは、家に帰ってからどこかに行っているかもしれない「意識」探しをいて、散じた「神」を頭上に集結させる作業をした。その結果は何度かの作業の後、復帰した。今回もその類と思い、「散じた神」を「集結」させるような作業を何度かやる。そうすると今朝はまた元に復していた。もし、そういう作業をやらないっまでいると、おそらく行ったままになって、そのまま「坐化」(死)することになるのではないか。私の方法が正しいかどうか分からないが、今のところそのやり方で二回そういう状況を切り抜けることが出来た。新しい事態に対しては手探りでやってみて、経験を積んでいくしかない。
by yuugean | 2005-05-01 16:23 | 2005



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