遊化の森

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時空

  すでに7月も冷涼のうちに過ぎんとす。さすがに昼間は蒸し暑いが総じて7月にしては低温のまま。今朝は5時起床、コーヒー沸かしと、いつもの儀式ののちに「坐忘」。このところ「坐忘」に別段の変化はないが、ただちにかなり純度の高い状況に陥ることができる。もうこれは体の「慣れ」になっていて、ひとつの「形」を作れば、それは足裏から天頂まで瞬時にして「坐忘」状態にはいるようになっている。場所もあまり関係なく、地下鉄の中でも、自室でも、喫茶店、あるいは図書館の中でも若干の差はあっても同じ状況となる。志向するのは「無為自然」の状態。
  それが出てくれば、「陽神」の方にも自然に上昇機運が出てきて、「出神」へと向かう。頭部ー胴体ー手が自然の速度で出て行き、最後に足がそれについていって「出神」は終わる。たしかに「陽神」すなわち意識体が体外に出ており、それはやがて天頂の上にある「光の輪」(幾層にもなった)の中に入っていき、端座する。それは「仙道内丹法」テキストの絵に描かれている状況と同じ。それが終わると一種「陽神」への儀式、その後に古仙道でいう「神遊観」にはいるが、その様は他聞に及ぶべくもなく、時空を超えた遊行の時間。
  しばしの後再び「天頂」に陽神の立つ見えて、再度「光の輪」の中に入る。このとき「陽神」は光の「壁」となって、どこまでも広がり、時には「宇宙」と同化してしまう感覚。これぞ達磨の「壁観」行なるやと思われる。瞑目しばし次に「収神」となる。「収神」もまた「無為自然」のうちに行う。ひとりでに「陽神」は体内に入ってくる。ここで大切なことはまず完全に「体内」に入るまで二度、三度「収神」をすること。完全に入った後、意識を脚に広げ、手にひろげる。最後に下丹田、中丹田、上丹田を整えて「収神」は終わる。
  今日は太極拳の修練日で、7時半家を出て、千代田区某所のヴェローチェで待ち合わせ。その後朝の秋葉原を抜け、昌平校へ。八段錦、伸展法、24式ののち、高力拳。休憩の後、老架式、陳式(前半)で時間となる。12時に終了し、神田の中華料理店で昼食・ビール。この日はその後帰宅、入浴ののち小宴。テレビでは「戦争で死んだ画学生達」をやっていた。信州・無言館の戦没画学生たちの無念な思いが立ち込めた絵の数々。それが展示されていた。そういえば終戦記念日も近づいている。
by yuugean | 2005-07-31 19:38 | 2005

収神の大切さ

すでに7月も冷涼のうちに過ぎんとす。さすがに昼間は蒸し暑いが総じて7月にしては低温のまま。今朝は5時起床、コーヒー沸かしと、いつもの儀式ののちに「坐忘」。このところ「坐忘」に別段の変化はないが、ただちにかなり純度の高い状況に陥ることができる。もうこれは体の「慣れ」になっていて、ひとつの「形」を作れば、それは足裏から天頂まで瞬時にして「坐忘」状態にはいるようになっている。場所もあまり関係なく、地下鉄の中でも、自室でも、喫茶店、あるいは図書館の中でも若干の差はあっても同じ状況となる。志向するのは「無為自然」の状態。それが出てくれば、「陽神」の方にも自然に上昇機運が出てきて、「出神」へと向かう。頭部ー胴体ー手が自然の速度で出て行き、最後に足がそれについていって「出神」は終わる。たしかに「陽神」すなわち意識体が体外に出ており、それはやがて天頂の上にある「光の輪」(幾層にもなった)の中に入っていき、端座する。それは「仙道内丹法」テキストの絵に描かれている状況と同じ。それが終わると一種「陽神」への儀式、その後に古仙道でいう「神遊観」にはいるが、その様は他聞に及ぶべくもなく、時空を超えた遊行の時間。しばしの後再び「天頂」に陽神の立つ見えて、再度「光の輪」の中に入る。このとき「陽神」は光の「壁」となって、どこまでも広がり、時には「宇宙」と同化してしまう感覚。これぞ達磨の「壁観」行なるやと思われる。瞑目しばし次に「収神」となる。「収神」もまた「無為自然」のうちに行う。ひとりでに「陽神」は体内に入ってくる。ここで大切なことはまず完全に「体内」に入るまで二度、三度「収神」をすること。完全に入った後、意識を脚に広げ、手にひろげる。最後に下丹田、中丹田、上丹田を整えて「収神」は終わる。今日は太極拳の修練日で、7時半家を出て、千代田区某所のヴェローチェで待ち合わせ。その後朝の秋葉原を抜け、昌平校へ。八段錦、伸展法、24式ののち、高力拳。休憩の後、老架式、陳式(前半)で時間となる。12時に終了し、神田の中華料理店で昼食・ビール。この日はその後帰宅、入浴ののち小宴。テレビでは「戦争で死んだ画学生達」をやっていた。信州・無言館の戦没画学生たちの無念な思いが立ち込めた絵の数々。それが展示されていた。そういえば終戦記念日も近づいている。
by yuugean | 2005-07-31 16:29 | 2005

テロ

 ロンドンでのテロがサミットと時を同じくしてあった。おそらく50人を超す死者がでることは必死の状態となっている。「サミット宣言」では「テロとの対決」が冒頭に盛り込まれた。しかし果たしてアメリカ9.11以来、欧米のトップ政治家達の共通語となっている「テロとの戦い」は平和を作り出す究極的な方法であるかどうか。
  9.11以来アメリカは「テロとの戦い」を実践し、アフガン、イラクに戦争を仕掛けいまだに「戦争」状態が続いている。イラクでフセインが倒された後も事態はイラクにとってもアメリカにとっても好転したとはいえず、イラク戦争ではアメリカ兵の死者100人台であったのに、その後の「テロとの戦い」で1000人以上のアメリカ兵がしんでいる。当初イラク戦争を始める当時、アメリカ首脳は果たして今日の状態を予想しただろうか。
  そうではあるまい。短時日に戦争はカタがつき、優良なイラク原油がアメリカの管理下になる。それが副大統領チェイ二ー一派の目算だったろう。その意味では、この作戦は完全に目算がはずれ、失敗だったはず。それを彼らは正直に認めようとせず、現在もまだイラクで「テロ掃討作戦」を続け、膨大な国費とアメリカ兵の生命を浪費している。「テロ」とはそもそもなんだろうか。イラクでアメリカに立ち向かっているテロリスト達もまた自分達には正当な理由がって「イラク」のために戦っているはず。
  一人が死ねば、別の10人が銃を持って立ち上がってくる。それが「テロ」でその意味で「テロ」を根絶やしにすることなど出来ない。イスラエルと隣国パレスチナとの長く終わらない戦いを見てもそれはわかる。イギリスとアイレ・テロとの長い戦いも「対話」によってしか「テロ」は終結しなかったではないか。
  9.11の時「アメリカは暗黒社会になる」と私は書いた。アメリカ社会がもっている「緊張感」はさらに高まり、相互不信が拡大、現在は決して「癒される」ことのない魅力のない社会となっているかに見える。朝4時起床、コーヒー沸かし「坐忘」。これはいつも通り。大切なのは早く「無為自然」状態をつくりだし、維持し続けることがますます大切なようになってきた。「出神」と「収神」も「無為自然」のうちに始まり「無為自然」のうちに終わることが理想的であると思う。「無為自然」の状態が出来てくるまで待つこと、何度も試すこと、それによって「無為自然」の状態が生まれてきて、その状態の中で「出神」と「収神」を行う。「遊歩」もまたしかり。そうすると「陽神」はひとりでに動き出し、ひとりでに出入りする。
by yuugean | 2005-07-09 19:41 | 2005

再び無為自然

ロンドンでのテロがサミットと時を同じくしてあった。おそらく50人を超す死者がでることは必死の状態となっている。「サミット宣言」では「テロとの対決」が冒頭に盛り込まれた。しかし果たしてアメリカ9.11以来、欧米のトップ政治家達の共通語となっている「テロとの戦い」は平和を作り出す究極的な方法であるかどうか。9.11以来アメリカは「テロとの戦い」を実践し、アフガン、イラクに戦争を仕掛けいまだに「戦争」状態が続いている。イラクでフセインが倒された後も事態はイラクにとってもアメリカにとっても好転したとはいえず、イラク戦争ではアメリカ兵の死者100人台であったのに、その後の「テロとの戦い」で1000人以上のアメリカ兵がしんでいる。当初イラク戦争を始める当時、アメリカ首脳は果たして今日の状態を予想しただろうか。そうではあるまい。短時日に戦争はカタがつき、優良なイラク原油がアメリカの管理下になる。それが副大統領チェイ二ー一派の目算だったろう。その意味では、この作戦は完全に目算がはずれ、失敗だったはず。それを彼らは正直に認めようとせず、現在もまだイラクで「テロ掃討作戦」を続け、膨大な国費とアメリカ兵の生命を浪費している。「テロ」とはそもそもなんだろうか。イラクでアメリカに立ち向かっているテロリスト達もまた自分達には正当な理由がって「イラク」のために戦っているはず。一人が死ねば、別の10人が銃を持って立ち上がってくる。それが「テロ」でその意味で「テロ」を根絶やしにすることなど出来ない。イスラエルと隣国パレスチナとの長く終わらない戦いを見てもそれはわかる。イギリスとアイレ・テロとの長い戦いも「対話」によってしか「テロ」は終結しなかったではないか。9.11の時「アメリカは暗黒社会になる」と私は書いた。アメリカ社会がもっている「緊張感」はさらに高まり、相互不信が拡大、現在は決して「癒される」ことのない魅力のない社会となっているかに見える。朝4時起床、コーヒー沸かし「坐忘」。これはいつも通り。大切なのは早く「無為自然」状態をつくりだし、維持し続けることがますます大切なようになってきた。「出神」と「収神」も「無為自然」のうちに始まり「無為自然」のうちに終わることが理想的であると思う。「無為自然」の状態が出来てくるまで待つこと、何度も試すこと、それによって「無為自然」の状態が生まれてきて、その状態の中で「出神」と「収神」を行う。「遊歩」もまたしかり。そうすると「陽神」はひとりでに動き出し、ひとりでに出入りする。
by yuugean | 2005-07-09 16:31 | 2005

クールビズ

  やはり梅雨前線は健在だった。中国上空から日本列島に流れてくる前線にそって、雲は流れ雨を降らせている。時々中休みがあるので、以前のように一日中しとしとと降り続ける雨ではない。しかし中国では土石流などの水害で1200万人が被災したと言うしイタリア、フランスでは猛暑で人が死んでいる。まだらの天気が世界を覆っている。これは二酸化炭素ー温暖化の影響を考えなければならないのかもしれない。いま国をあげて取り組んでいる「温暖化防止」対策。なんとしてもこれを約束どおり達成させなければ次の五年間で日本は30%増しのペナルティを払わなければならない。
  これが「京都議定書」だ。最近はどうしてもそれ関連の会議に出ることが多くなって来たが、そういう会議では室温は28度に決められている。しかし28度は実際に暑い。じっと座っているだけで汗がにじんでくるし、頭はぼやけてくる。仕事の能率のためには、政府が決めた「28度」は少し酷な気がすると言ったりするが、何の効き目もない。しかし日本が「6%削減」という公約を達成するにはやむをえないのだろう。これから本格的な夏になり、28度での会議が続けば、こちらもはなから「クール・ビズ」で行かないと身が持たない気がする。
  朝4時起床、コーヒー沸かし「坐忘」。これはいつも通り。大切なのはまず「無為自然」の状態をつくりだすこと、次いでそれを維持し続けること。「無為自然」である限り、間違いはなく何も懼れることはない。「出神」もまたしかり。ここ1週間ほどの間に、「意識」がさらに濃くなり、時に固まってきた感じがあること。それがほぼ等身大の「陽神」にも感じられ、ずっとヒト繋がりに繋がっている。ある意味、これからどうなるのか?という不安が一瞬頭をよぎるときもあるが、それは何か新しい事態に対する不安。好奇心の方が勝っており、先の不安は「第二念」となって続くことはない。「出神」-「収神」もそういう状況の中でやり、時々仕事のアイデアが何の脈絡もなく浮かんできたりすることがある。
 昨年末から始めた新しい仕事はいま第一弾の地固めは終わり、次の段階を手がけるべき時にきていると思っている。それとともに、本来自分が長い間ずっと持ち続けて来た、ある計画にとりかかるべき時が来た様に感じている。自分にとってはそれは究極の計画であり、一朝一夕になるものではないが、一歩一歩地歩を固めていくよりほかにはない。「汝自身を知れ」とソクラテスは言ったが、仕事といい、計画といい、このところ全くの自分自身となるための道を確かにいま歩いている気がする。それをあと押ししているのは、わが「仙道内丹法」だということは間違いない。d0098440_15115349.jpg
by yuugean | 2005-07-01 19:43 | 2005

仙道効用

やはり梅雨前線は健在だった。中国上空から日本列島に流れてくる前線にそって、雲は流れ雨を降らせている。時々中休みがあるので、以前のように一日中しとしとと降り続ける雨ではない。しかし中国では土石流などの水害で1200万人が被災したと言うしイタリア、フランスでは猛暑で人が死んでいる。まだらの天気が世界を覆っている。これは二酸化炭素ー温暖化の影響を考えなければならないのかもしれない。いま国をあげて取り組んでいる「温暖化防止」対策。なんとしてもこれを約束どおり達成させなければ次の五年間で日本は30%増しのペナルティを払わなければならない。これが「京都議定書」だ。最近はどうしてもそれ関連の会議に出ることが多くなって来たが、そういう会議では室温は28度に決められている。しかし28度は実際に暑い。じっと座っているだけで汗がにじんでくるし、頭はぼやけてくる。仕事の能率のためには、政府が決めた「28度」は少し酷な気がすると言ったりするが、何の効き目もない。しかし日本が「6%削減」という公約を達成するにはやむをえないのだろう。これから本格的な夏になり、28度での会議が続けば、こちらもはなから「クール・ビズ」で行かないと身が持たない気がする。朝4時起床、コーヒー沸かし「坐忘」。これはいつも通り。大切なのはまず「無為自然」の状態をつくりだすこと、次いでそれを維持し続けること。「無為自然」である限り、間違いはなく何も懼れることはない。「出神」もまたしかり。ここ1週間ほどの間に、「意識」がさらに濃くなり、時に固まってきた感じがあること。それがほぼ等身大の「陽神」にも感じられ、ずっとヒト繋がりに繋がっている。ある意味、これからどうなるのか?という不安が一瞬頭をよぎるときもあるが、それは何か新しい事態に対する不安。好奇心の方が勝っており、先の不安は「第二念」となって続くことはない。「出神」-「収神」もそういう状況の中でやり、時々仕事のアイデアが何の脈絡もなく浮かんできたりすることがある。昨年末から始めた新しい仕事はいま第一弾の地固めは終わり、次の段階を手がけるべき時にきていると思っている。それとともに、本来自分が長い間ずっと持ち続けて来た、ある計画にとりかかるべき時が来た様に感じている。自分にとってはそれは究極の計画であり、一朝一夕になるものではないが、一歩一歩地歩を固めていくよりほかにはない。「汝自身を知れ」とソクラテスは言ったが、仕事といい、計画といい、このところ全くの自分自身となるための道を確かにいま歩いている気がする。それをあと押ししているのは、わが「仙道内丹法」だということは間違いない。
by yuugean | 2005-07-01 16:32 | 2005



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