遊化の森

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マザーテレサ

  台風が過ぎて朝夕はもう秋の気配。朝4時すぎ起床すると、前の庭から秋の虫があちこちしきりに鳴いている。このところ気温もそれほど上がらなくなっているが、今朝は蒸し暑さがまだ残っている。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」、それから「坐忘」。
  しかし「出神」のやり方について、思うところあって今月から少々変えている。それは「無為自然」の「坐忘」から、そのまま「出神」するのではなく、「頂門開」をその中間に行うということ。「頂門」は「坐忘」のなかで、ある程度そこに意識をかけると、ちょうど蛇腹がひらくように開く。その開いた部分から「陽神」が出て行く。あとは車輪のような光の輪の中に「陽神」を導き温養。その後この輪から出して例の通り、少し離れて「儀式」。
  それが終わると周辺遊行。「神遊観」で瞬時に遠方遊行。毎朝瀬戸内海の小さな島まで行く。帰ってのち再び車輪のような光の輪にはいり温養。そののち「収神」を行うが、このときも「頂門開」の作業をはさんで、その後に天頂にある「陽神」を中へ収める。「頂門開」の作業を中に挟むことで「出神」「収神」の様子は大きく変わってきたように思う。以前は「坐忘」のうちに自然に動きが始まり、天頂を透過して下肢、上肢を含めた「全身」が出ていったが、「頂門開」によってその「窓」から出て行くのは、泥丸(頭部)にしまわれている「陽神」のみ。入ってくる時も同様に泥丸に収める。
  「頂門開」はこの段階では重要な部分。これによって「陽神」は固まると思われる。将来可視化する可能性も生まれるし、「透過」で出て行っている場合は「陰神」である可能性がある。これまでの修練で「大薬」発生でも、二度・二通りの方法をやったが、結局後に行った方法が正しく、現在に繋がっている。今回も同様で「試行錯誤」の繰り返しであるのは、ある程度この分野の「真師」が希薄な、日本の状況ではやむを得ない。ただ時空を超えて教わる「真師」がいれば同じことなのだが、それにいたるには様々な「試行錯誤」を行うことになる。
  今日は昼から現在上映中の「マザー・テレサ」を日比谷の映画館で見る。オリビヤ・ハッセー主演だが、「予約」しなければ見れないほどの人気。カソリックに傾倒中の友人と一緒だが11時に予約に行くと、すでに2時過ぎの上映の最後列しか取れなかった。最近は消防法で「立ち見」が禁止になったので、映画も全席予約。かならず座ってみられるが、その分、人気度によって相当前に行って予約しないと、目指す映画は見られないことになる。映画は実在のマザー・テレサの物語を追っているが、なぜか目から次々涙が出て、鼻水も出てくる。しきりにハンカチで拭くので多分隣の女性はヘンに思っていたに違いない。
  決してそんなに感動したわけでもないのに次から次へと涙が出てくる。後で友人に話すと、それは映画館の中にハウスダストがいっぱい舞っていて、それに反応しているのではないかという。それだけ感覚が鋭敏になって、少しのハウスダストでも敏感に反応するような体質になっているにちがいない。身体がすでに清浄度の高いものしか受け付けなくなっているのかも知れない。食べ物でも古くなっているのはすぐわかるし、魚でも鮮度の悪いのは一口食べれば判るような体質になっている。千代田区発行の食事券があったので、帰りに飯田橋の新鮮なネタを出すすし屋で食べて少し飲み家に帰った。
by yuugean | 2005-08-27 19:47 | 2005

頂門開

台風が過ぎて朝夕はもう秋の気配。朝4時すぎ起床すると、前の庭から秋の虫があちこちしきりに鳴いている。このところ気温もそれほど上がらなくなっているが、今朝は蒸し暑さがまだ残っている。コーヒー沸かし、いつもの「儀式」、それから「坐忘」。しかし「出神」のやり方について、思うところあって今月から少々変えている。それは「無為自然」の「坐忘」から、そのまま「出神」するのではなく、「頂門開」をその中間に行うということ。「頂門」は「坐忘」のなかで、ある程度そこに意識をかけると、ちょうど蛇腹がひらくように開く。その開いた部分から「陽神」が出て行く。あとは車輪のような光の輪の中に「陽神」を導き温養。その後この輪から出して例の通り、少し離れて「儀式」。それが終わると周辺遊行。「神遊観」で瞬時に遠方遊行。毎朝瀬戸内海の小さな島まで行く。帰ってのち再び車輪のような光の輪にはいり温養。そののち「収神」を行うが、このときも「頂門開」の作業をはさんで、その後に天頂にある「陽神」を中へ収める。「頂門開」の作業を中に挟むことで「出神」「収神」の様子は大きく変わってきたように思う。以前は「坐忘」のうちに自然に動きが始まり、天頂を透過して下肢、上肢を含めた「全身」が出ていったが、「頂門開」によってその「窓」から出て行くのは、泥丸(頭部)にしまわれている「陽神」のみ。入ってくる時も同様に泥丸に収める。「頂門開」はこの段階では重要な部分。これによって「陽神」は固まると思われる。将来可視化する可能性も生まれるし、「透過」で出て行っている場合は「陰神」である可能性がある。これまでの修練で「大薬」発生でも、二度・二通りの方法をやったが、結局後に行った方法が正しく、現在に繋がっている。今回も同様で「試行錯誤」の繰り返しであるのは、ある程度この分野の「真師」が希薄な、日本の状況ではやむを得ない。ただ時空を超えて教わる「真師」がいれば同じことなのだが、それにいたるには様々な「試行錯誤」を行うことになる。今日は昼から現在上映中の「マザー・テレサ」を日比谷の映画館で見る。オリビヤ・ハッセー主演だが、「予約」しなければ見れないほどの人気。カソリックに傾倒中の友人と一緒だが11時に予約に行くと、すでに2時過ぎの上映の最後列しか取れなかった。最近は消防法で「立ち見」が禁止になったので、映画も全席予約。かならず座ってみられるが、その分、人気度によって相当前に行って予約しないと、目指す映画は見られないことになる。映画は実在のマザー・テレサの物語を追っているが、なぜか目から次々涙が出て、鼻水も出てくる。しきりにハンカチで拭くので多分隣の女性はヘンに思っていたに違いない。決してそんなに感動したわけでもないのに次から次へと涙が出てくる。後で友人に話すと、それは映画館の中にハウスダストがいっぱい舞っていて、それに反応しているのではないかという。それだけ感覚が鋭敏になって、少しのハウスダストでも敏感に反応するような体質になっているにちがいない。身体がすでに清浄度の高いものしか受け付けなくなっているのかも知れない。食べ物でも古くなっているのはすぐわかるし、魚でも鮮度の悪いのは一口食べれば判るような体質になっている。千代田区発行の食事券があったので、帰りに飯田橋の新鮮なネタを出すすし屋で食べて少し飲み家に帰った。
by yuugean | 2005-08-27 16:34 | 2005

ヒロシマ

  このところ、ずっと快晴。朝五時ごろからすでにカンカン照りを予想させるような天気。考えてみればすでに八月。やっと夏らしい天気が戻ってきたという感じ。
  朝4時起床、コーヒー沸かし、これはアイスコーヒーづくりのため。その後いつもの儀式を終えて定座に移り「坐忘」。坐忘に八種あり、毎日決まって続けていくと、徐々に坐忘は深化していく。その差を言葉で表現することは難しい。次の段階と現在の段階とはいわば階段状に進んでいくのではなく、スロープのように緩やかに上っていく。結果として、初期の坐忘と中期の坐忘、あるいは最終段階の坐忘とは明らかに違う。それを細々と記述できる力はないが、徐々に「無為自然」の状態がより早く出現するようになり、そのなかから「陽神」が目覚め緩やかに「出神」していく。そのことはすでに坐忘の深化を示しているように思われる。坐忘の目的は二つあり。ひとつは内なる「陽神」への温養。 
  もうひとつは「出神」を「自然な」状態で行うためということ。大切なのは早く「無為自然」状態をつくりだし、維持し続けること。坐忘が深化するとその状態が徐々に早く出現するようになる。「収神」もまた同じ。「無為自然」の状態が生まれてくれば、天頂にある「陽神」は、自ずから自然に体内に入り、下丹田から中丹田に定置する。「収神」の場合、注意しなけばならないのは、「陽神」が最後まで入りきるまで二、三度はトライすることが必要。
  ところで今日は広島原爆投下から60年の日。そこでヒロシマの短歌を少し。
     「ヒロシマ」五首
一瞬の 光に逝きし 百万の 命を返せ アメリカの民
何百年 叫べば いいか アメリカに 胸裂けるとも 命帰らず
影のみを 残して 逝きし 人びとの 魂今も ここを離れず
愛もあり 恋もありしを 一瞬に逝きし命を いかにつぐなう
生きてあれば 今の幸せ 見しものを 十五のままに 散りし命は 
by yuugean | 2005-08-07 19:45 | 2005



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