遊化の森

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いいかな

 秋らしい気候になってきた。それにしても、今年は日本列島を直撃する「台風」が異常に少ないと思う。災害的には喜ぶべきことだが、やはり「異常気象」。そのせいでルートが変わり、その分、アメリカ(ハリケーン)、中国(台風)、北朝鮮(台風)などを急襲する猛低気圧が多くなっている気がする。これはひょっとして、「天」がCO2削減に非協力的な国や地域をめがけて大風を送っているのでは?と思えるくらいだ。
  それはともかく、今月の18日か、17日か、この日記に通常のとおり書き込もうとして、ある場所までいくと、書いていた画面が消えてしまった。朝の忙しい時だったので、もう一度事務所のパソコンから、「日記」にアクセスして書き込みはじめ、また同じ所まできたら、画面が飛んで書き込めない。そればかりか、その瞬間パソコンがフリーズし、いくら手段を尽くしても中に入れない。仕事で使っているパソコンなので、次の週までには直っていないと大変なことになる。
  と思って2日ほどあらゆる手を尽くしたがだめ。家のパソコンもやはり「日記」に書き込めず、こんどはどうしても「平仮名変換」できずローマ字しか打ち込めない。「変換」キーのせいではなく原因不明。そのとき何か閃いて、下記「銀うろこの龍」と「滝の社」の記事を、「掲示板」からコピーして、貼り付ける(打ち込めないから)と、何と書こうとしていた別の記事が書けるようになり、次の日事務所のパソコンも少しずつ中に入れるようになり、ソフトを2,3抜いたら完全に復帰した。まるで「銀うろこの龍」と「滝の社」の二本の記事を入れなければ新しく記入できないみたいな感じになった。
  これは多分何かの偶然だろう。あるいはケアレスミスかもしれないが、しかしそれにしても「変なこと」のよく起こる夏が終わった。ところで肝心の「修練」。さらに「出神」の回数を増やすことをやっており、あまり考えなくても「出る」。ただしゆっくりと。それとともに「還虚」、つまり「虚に還す」、あるいは「虚にお返しする」という感じがつよくなった。その状況のまま、30分ぐらいは、ただ「無為自然」のうちに過ごす。これこそ「還虚」。いいかな!仙道。
by yuugean | 2006-09-30 07:38 | 2006

夏終わる

秋らしい気候になってきた。それにしても、今年は日本列島を直撃する「台風」が異常に少ないと思う。災害的には喜ぶべきことだが、やはり「異常気象」。そのせいでルートが変わり、その分、アメリカ(ハリケーン)、中国(台風)、北朝鮮(台風)などを急襲する猛低気圧が多くなっている気がする。これはひょっとして、「天」がCO2削減に非協力的な国や地域をめがけて大風を送っているのでは?と思えるくらいだ。それはともかく、今月の18日か、17日か、この日記に通常のとおり書き込もうとして、ある場所までいくと、書いていた画面が消えてしまった。朝の忙しい時だったので、もう一度事務所のパソコンから、「日記」にアクセスして書き込みはじめ、また同じ所まできたら、画面が飛んで書き込めない。そればかりか、その瞬間パソコンがフリーズし、いくら手段を尽くしても中に入れない。仕事で使っているパソコンなので、次の週までには直っていないと大変なことになる。と思って2日ほどあらゆる手を尽くしたがだめ。家のパソコンもやはり「日記」に書き込めず、こんどはどうしても「平仮名変換」できずローマ字しか打ち込めない。「変換」キーのせいではなく原因不明。そのとき何か閃いて、下記「銀うろこの龍」と「滝の社」の記事を、「掲示板」からコピーして、貼り付ける(打ち込めないから)と、何と書こうとしていた別の記事が書けるようになり、次の日事務所のパソコンも少しずつ中に入れるようになり、ソフトを2,3抜いたら完全に復帰した。まるで「銀うろこの龍」と「滝の社」の二本の記事を入れなければ新しく記入できないみたいな感じになった。これは多分何かの偶然だろう。あるいはケアレスミスかもしれないが、しかしそれにしても「変なこと」のよく起こる夏が終わった。ところで肝心の「修練」。さらに「出神」の回数を増やすことをやっており、あまり考えなくても「出る」。ただしゆっくりと。それとともに「還虚」、つまり「虚に還す」、あるいは「虚にお返しする」という感じがつよくなった。その状況のまま、30分ぐらいは、ただ「無為自然」のうちに過ごす。これこそ「還虚」。いいかな!仙道。
by yuugean | 2006-09-24 17:55 | 2006

 土曜・日曜と今日、秋の三連休。土曜日には、「タオ内丹」ワークショップを神田でやった。2時間余、若い人たちが何とか、この修法を覚えてくれ、次代に繋いでくれればと思う。日曜は、のんべんだらりと過ごす。別に予定もなかったので、今度講習を受ける某大学の「書道」一字書用の筆・墨などを購入。書道については、長年にわたり関心があったが、心がそこに落ち着くには時間がかかった。水墨画も始めてみたい。以前少しm奉山という、海外に知られた先生に習ったことがあったが、その時の道具などは、その後新橋の飲み屋のママが店を閉じる時に差し上げてしまった。
 随分昔の話。書は最初習ったのが中学の時で、その時の先生はのちに某寺の長老になられて、「茶掛け」(茶室用掛け軸)では日本有数といわれた書の名手・S先生。当時は子供ながら、富岡鉄斎が好きで、先生とそんな話をした記憶がある。もう故人になられたが、仕事上でも某大手商社の社長への紹介状を書いて頂き、レギュラーの仕事が取れるなど随分お世話になった。心からご冥福をお祈りする気持ち。
 ほんとうはこういう世界が好きだが自作となると修練が余りにも不足している。さて「内丹法」の修練はやはり「出神」「収神」を一日3回ぐらいやる毎日が続いている。この分野で「達磨の法」というのがある。それには、この時期(初「出神」より3年を経た)には1日7回行うという記述がある。やりながら、それを思い出したが、考えてみると、達磨大師は「修練」のプロ、1日中修練三昧になれるが、いまだ「俗」の中にある我が身には7回はきつい。
  「天頂開」をやり、これによって「陽神」を出す方法をやっていると、以前のように簡単には取組めないのも事実。そんな言い訳をしながら、自分の師から「67歳まで動くな」と言われていた達磨大師が、やっと中国に来たのは70歳を過ぎてから。嵩山に入って打坐していたのは80歳近い頃と思うと、その伝道の情熱の大きさ、広さが伝わってくる。達磨大師がどんな修練をしていたかは、明らかではないが、壁観は多分、「出神」後に行う修法ではなかったか。そういう「法」は果たして「禅宗」に伝わったかというと疑問。もっとも現在日本につたわる「禅宗」は達磨より7代ぐらい以降の「中国化」された禅宗で、達磨本来のものは「少林内功」のような形のなかに残っていそうな気がするが、明確ではない。高齢になってから中国へ来た達磨の日常を思うとき、時空を超えて伝わってくるものがあるような気がする。
  「天頂開」をやり「出神」をやり、「壁観」で宇宙へ、タオへと意識を拡大している達磨、時空を経てそれは伝わり、続けろ、くじけるなという叱咤の声がどこからか聞こえてくる感じもする。日ごろ、「俗」にあって、仕事という雑事に追われる身には、三連休という、ゆったりとした時間は大変ありがたく、思うさま修練に時間を掛けることができるし、思惟の飛躍に時を忘れることが出来る。
by yuugean | 2006-09-18 21:35 | 2006

ワークショップ

土曜・日曜と今日、秋の三連休。土曜日には、「タオ内丹」ワークショップを神田でやった。2時間余、若い人たちが何とか、この修法を覚えてくれ、次代に繋いでくれればと思う。日曜は、のんべんだらりと過ごす。別に予定もなかったので、今度講習を受ける某大学の「書道」一字書用の筆・墨などを購入。書道については、長年にわたり関心があったが、心がそこに落ち着くには時間がかかった。水墨画も始めてみたい。以前少しm奉山という、海外に知られた先生に習ったことがあったが、その時の道具などは、その後新橋の飲み屋のママが店を閉じる時に差し上げてしまった。随分昔の話。書は最初習ったのが中学の時で、その時の先生はのちに某寺の長老になられて、「茶掛け」(茶室用掛け軸)では日本有数といわれた書の名手・S先生。当時は子供ながら、富岡鉄斎が好きで、先生とそんな話をした記憶がある。もう故人になられたが、仕事上でも某大手商社の社長への紹介状を書いて頂き、レギュラーの仕事が取れるなど随分お世話になった。心からご冥福をお祈りする気持ち。ほんとうはこういう世界が好きだが自作となると修練が余りにも不足している。さて「内丹法」の修練はやはり「出神」「収神」を一日3回ぐらいやる毎日が続いている。この分野で「達磨の法」というのがある。それには、この時期(初「出神」より3年を経た)には1日7回行うという記述がある。やりながら、それを思い出したが、考えてみると、達磨大師は「修練」のプロ、1日中修練三昧になれるが、いまだ「俗」の中にある我が身には7回はきつい。「天頂開」をやり、これによって「陽神」を出す方法をやっていると、以前のように簡単には取組めないのも事実。そんな言い訳をしながら、自分の師から「67歳まで動くな」と言われていた達磨大師が、やっと中国に来たのは70歳を過ぎてから。嵩山に入って打坐していたのは80歳近い頃と思うと、その伝道の情熱の大きさ、広さが伝わってくる。達磨大師がどんな修練をしていたかは、明らかではないが、壁観は多分、「出神」後に行う修法ではなかったか。そういう「法」は果たして「禅宗」に伝わったかというと疑問。もっとも現在日本につたわる「禅宗」は達磨より7代ぐらい以降の「中国化」された禅宗で、達磨本来のものは「少林内功」のような形のなかに残っていそうな気がするが、明確ではない。高齢になってから中国へ来た達磨の日常を思うとき、時空を超えて伝わってくるものがあるような気がする。
「天頂開」をやり「出神」をやり、「壁観」で宇宙へ、タオへと意識を拡大している達磨、時空を経てそれは伝わり、続けろ、くじけるなという叱咤の声がどこからか聞こえてくる感じもする。日ごろ、「俗」にあって、仕事という雑事に追われる身には、三連休という、ゆったりとした時間は大変ありがたく、思うさま修練に時間を掛けることができるし、思惟の飛躍に時を忘れることが出来る。
by yuugean | 2006-09-18 17:57 | 2006

黄身と白身

  9月に入って、既に半ば。ここ2,3日秋雨前線が日本列島の上に停滞し、しっとりとした小雨が連日降っている。窓から見える街の風景も、ビルの多くは雨の中にもやっていて、うすく全体が雨に煙っている。この時雨の数日を通じて日本の気候は秋へ秋へと移っていき、やがて紅葉の季節となる。コーヒーもアイスコーヒーからホットへと変っていく変わり目のような季節。4時「起床」。
  シャワーを浴び、コーヒーを沸かして、いつもの朝の儀式。ただ座して、何の束縛もなく、自由に気持ちを遊ばせ、無為自然。「坐忘」を深めていく。そして「天花乱墜」ー「頂門開」ー「五気朝元」ー「三華聚頂」ー「出神」ー「神遊観」-「壁観」-「収神」と修練は続く。「頂門開」は頭上の「仏」から「筒」が体内深く降りてきて、その中を「光の玉」が上下する。5回ぐらい修練すれば「頂門」の開くイメージが出てくる。「五気朝元」は脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓ー腎臓の五臓を経巡って、「気」を督脈から天頂にあげ、開いた「頂門」から太空に立ち上って行く。太空の「五行神」のもとに帰す。このときも大切なのは決して「意」を使わず、「五気」の玉が独りでに登るのを待つこと。「三華聚頂」は、「下丹田」から真気が上丹田に立ち上るが、額にぶつけるのがコツ。中丹田はそのまま上がって上丹田の中に入り、下丹田と三者一体となり、「三華聚頂」。
  この三つが混交すると、「慧光」が出てきて脳全体に立ち上る。これはいわゆる「後光」と解釈したらうまくいった。それが終わると、一種の「圧力体」が脳内に現れるが、これが「陽神」。それにしばし意識をかける。「法身」の姿が見え始め下から、「蓮華座」がせり上がる。この法身を乗せて、独りでにゆっくり上り始める。「頂門」は開き、「法身」はゆっくりと体外にでることは自分の意識の中ではっきりとわかる。ある種の圧力体が通り過ぎていく感覚が感じ取れる。「陰神」を同時に出す。「陰神」は、、肉体全体を覆う「意識体」。「陽神」と一緒に出す。「陽神」は「頂門開」でしか出ないが、「陰神」は難なく透過して体外にでる。
  思うに「陽神」は卵の「黄身」であり、「陰神」は白身、双方別々に存在しながら一体となっている。「陰神」だけ別に出すこともできるが、こればかりあまりやると、何か調子が変になるので、一体となって出すことにした。おそらく「幽体離脱」は「白身」に部分だけを出しているのではないか。内丹法のように「黄身」を作っていないから「白身」しかも就寝時にしか出ないのではにだろうか。「出神」も「収神」も大切なのは、決して「意」を用いないこと、無為自然にまかせ「陽神」が独りでに出るにまかせ、入るに任せる。
by yuugean | 2006-09-13 21:38 | 2006

煉神還虚

9月に入って、既に半ば。ここ2,3日秋雨前線が日本列島の上に停滞し、しっとりとした小雨が連日降っている。窓から見える街の風景も、ビルの多くは雨の中にもやっていて、うすく全体が雨に煙っている。この時雨の数日を通じて日本の気候は秋へ秋へと移っていき、やがて紅葉の季節となる。コーヒーもアイスコーヒーからホットへと変っていく変わり目のような季節。4時「起床」。シャワーを浴び、コーヒーを沸かして、いつもの朝の儀式。ただ座して、何の束縛もなく、自由に気持ちを遊ばせ、無為自然。「坐忘」を深めていく。そして「天花乱墜」ー「頂門開」ー「五気朝元」ー「三華聚頂」ー「出神」ー「神遊観」-「壁観」-「収神」と修練は続く。「頂門開」は頭上の「仏」から「筒」が体内深く降りてきて、その中を「光の玉」が上下する。5回ぐらい修練すれば「頂門」の開くイメージが出てくる。「五気朝元」は脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓ー腎臓の五臓を経巡って、「気」を督脈から天頂にあげ、開いた「頂門」から太空に立ち上って行く。太空の「五行神」のもとに帰す。このときも大切なのは決して「意」を使わず、「五気」の玉が独りでに登るのを待つこと。「三華聚頂」は、「下丹田」から真気が上丹田に立ち上るが、額にぶつけるのがコツ。中丹田はそのまま上がって上丹田の中に入り、下丹田と三者一体となり、「三華聚頂」。この三つが混交すると、「慧光」が出てきて脳全体に立ち上る。これはいわゆる「後光」と解釈したらうまくいった。それが終わると、一種の「圧力体」が脳内に現れるが、これが「陽神」。それにしばし意識をかける。「法身」の姿が見え始め下から、「蓮華座」がせり上がる。この法身を乗せて、独りでにゆっくり上り始める。「頂門」は開き、「法身」はゆっくりと体外にでることは自分の意識の中ではっきりとわかる。ある種の圧力体が通り過ぎていく感覚が感じ取れる。「陰神」を同時に出す。「陰神」は、、肉体全体を覆う「意識体」。「陽神」と一緒に出す。「陽神」は「頂門開」でしか出ないが、「陰神」は難なく透過して体外にでる。思うに「陽神」は卵の「黄身」であり、「陰神」は白身、双方別々に存在しながら一体となっている。「陰神」だけ別に出すこともできるが、こればかりあまりやると、何か調子が変になるので、一体となって出すことにした。おそらく「幽体離脱」は「白身」に部分だけを出しているのではないか。内丹法のように「黄身」を作っていないから「白身」しかも就寝時にしか出ないのではにだろうか。「出神」も「収神」も大切なのは、決して「意」を用いないこと、無為自然にまかせ「陽神」が独りでに出るにまかせ、入るに任せる。
by yuugean | 2006-09-13 17:58 | 2006



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