遊化の森

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仙骨周辺の病気

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  雨が振りそうで振らない。寒いのか暖かいのか、どっちつかずの天気の一日だった。今日は午後から千代田区の某大学で「書道」の講座があるので出席。宿題は大筆で全紙に「無為」と書いて二点出品。前回は半切に「煉神還虚」「面壁九年」と書いた。「大字」を書くことはやるほどに面白い。いつかはやりたいと思っていた書法だった。先週の日曜はこの講座「米山の一字書に迫る」のM教授が20年毎月続けてこられた「フォーラム」のパーティがあって出席。100名ぐらい集まって盛況だったが、なかにはプロの書家も多かったようだ。教授がその「フォーラム」で講演されたテーマの中には「富岡鉄斎」や「良寛」「会津八一」など私の好きな「書」の作者についての講演も多かった。三輪田米山については知らなかったが、明治初期に松山近辺の神主として一生を終わった人で、大きな字を書いた。酒が好きで酔って大きな字も書いた。その作品が戦前大阪の実業家山本発次郎氏が発見し今日書の世界で大変尊敬される「書」となった。これからは私も「書」を自分の趣味のひとつに加えたい。そのキッカケを作ってくれたのが、今回の講座。
  「内丹法」は毎日相変わらずの修練。4時起床。歯を磨き、コーヒーを沸かし、朝の行事を済ませてから、「坐忘」。「天花乱墜」-「天頂開」-「五気朝元」-「三華聚頂」-「慧光」-「出神」-「収神」と続いていくのは毎日の日課。「天頂開」については、ひとつの私流のやりかたで行い、「出神」する。確かに「出神」していることが、より明確になる。いつものとおり進んでやがて「陽神」と「陰神」の合体によって、「分身」性が出てくる。「収神」も私流でやれば、ぴったりとはいって残余の部分が体外に残るということもない。この前頭蓋骨のある天頂部分と、「腰」「お尻」のある「仙骨」部分は連動していると書いた。そして、その関係でか「仙骨」周辺が、なんとなく変で、この半年ぐらい、「坐骨神経痛」のような症状に悩まされ、時々肛門痛が訪れると書いた。それで、友人の勧めもあって、専門医を訪れた。
  その専門医は診察の後、ガンなどは所見ではないが、仙骨周辺にコブのようなものがあるので、「MRI」を撮るよう紹介された。「MRI」を撮って、医者に見せると、仙骨から中に血流のある、小さな突起物が出ているので、大学病院の診断をしろという。そして、自分の出身母校の教授に電話、教授は「すぐ来なさい」と次の日の朝に予約を入れた。これはつまり、研究室でもあまり見たことも聞いたこともない現象のようで、私が仙道修練をやっているので仙骨に影響が出ているのでは?と説明しようとしたら、「骨のコブはもしガンであれば急激に悪くなる。悪性か良性かはわからない」と脅かされた。以前歯の関係で、やはり教授の診察だったが、いろいろいじくられ結局次の学会での発表の材料となった経験があり、今回も珍しいケースとして、調べ切り取って標本にし研究したいのでは?そのために急いでいるのでは?と思った。
  「仙骨」にメスを入れることは、どういう事情でも私には大変無謀のことに思われる。別に私は、いま痛いわけでもないのだから、帰宅してから、とりあえず電話して次の日の「教授診断」は断った。MRIで見ると、その「玉」状のものは、白く輝き光っている。なかに血流のようなものも見える。これはひょっとしたら、仙人修行が達成するようになると、出来ると一部で言われている、きれいな「玉」ではないかという気がした。仙人修行をしてきた人が死んでダビに臥すと、灰の中から大変きれいな「玉」が二個、三個と見つかることがあるという。この際私としては、そちらの方に賭けたい。どうせ、こういう修練は「医学」にも科学にも逆行し、エントロピーの法則にも逆行しながら進めている修練。別に現代の「解剖」医学が解明できるものでもない。医者のいうように、もしこれを放置して、その結果「死」が私を訪れたとしても、いまの私には何の悔いもない。もはや私にとって、死は恐るべきものではなく、忌むべきものでもない。「死」は単に、「生」の地続きにある存在。
by yuugean | 2006-11-28 21:50 | 2006

面壁九年

今日は久しぶりの秋らしい気候。昨日は風が強く、北海道では竜巻で9名が死亡。東京も一昨日から風の余波が一日中押し寄せていた。竜巻で人が死ぬなどは絶えて聞いたことがないが、確かに気候変動が世界的規模で起こっている証拠だろう。さて、この「春桃原日録」も、時に絶え、時に始まって、もう数年間続いている。10月はあまり書かなかった。それはさておき、「内丹法」だが、これは毎日相変わらずの修練。ただ少しずつ内容は変わっていっているかも知れない。基本的には毎日4時起床。歯を磨き、コーヒーを沸かし、朝の行事を済ませてから、「坐忘」に入る。「天花乱墜」-「天頂開」-「五気朝元」-「三華聚頂」-「慧光」-「出神」-「収神」と続いていくのは毎日の日課。最近少し変わったのは「天頂開」、「出神」、「収神」の部分。「天頂開」については天頂から空中の仏に延びる「パイプ」を想定しそこに「光」を絡ませることをやっていたが、最近は「光」の束が体中から宇宙に伸び上下する方法を試している。「出神」については、以前も書いたかも判らないが、まず「陽神」を出す。「陽神」は「天頂」がちゃんと開いていないと出ないように思うが、「陽神」は出た後、ある儀式を行い、そのあと「虚」に馴染ませるように、天空の果てまで拡大していく。このときは大変気持ちがいい。私にすれば「釈尊」「老子」はすでに「光」の粒子になっており、宇宙にあまねく遍在しているので、それと一体化を目指す。「釈尊」と「老子」では「光」の性質が少し違う感じがするが、その感じは一方の慈悲の心と一方の純粋理性の差。「陽神」を最大限に拡大し「坐忘」を続けた後、収縮し頭上に集めて、今度は体中より、「陰神」を出す。「陰神」は「天頂」が開いてなくとも障壁を苦もなく越えてすぐ出る。そして「陽神」を包み込むようにして覆うと、そこに「人体」らしきものが形成されてくる。この「陽神」と「陰神」の合体によって、「分身」性が出てくるように思われ、再度「坐忘」をし、「壁観」をして、再び収縮。頭上に立たせて、光をそこに集め「収神」に移る。「収神」もそのまま、人体性をもって入ってくるので、お尻の部分、背中の部分が本身の鼻に触るような感じで入ってきて、脚ー下丹田ーお腹ー胸ー胴体ー手という順序で本身の中に重なっていき、最後に頭部ー脳に上丹田がぴったりと入っておわる。この方法では一度ですっと入ってしまい、以前のように一部が体外に残る感じもない。ただ、毎日「出神」-「収神」を繰り返していると、問題も出てくる。それはまず「腰」の部分に出てくる。私の感じでは、頭蓋骨のある天頂部分と、「腰」「お尻」のある「仙骨」部分は連動している。「出神」の時、お尻の部分が痛むことがる。確かに「頭蓋骨のつなぎ目は動いている」という説があるようで、それがカイロプラクチックスの科学根拠のひとつだという。とすれば、「内丹法」で「出神」をやるときは、頭蓋骨の縫合部分が緩み、そこの隙間から「意識体」である「陽神」が体外に出ると言えなくもない。同時に「脳」は頭蓋骨内で髄液の中に浮いているが、頭蓋骨の縫合部分が緩むと、調整する動きが出てきて、それが体の各部位に伝達され、おそらく最も関係が深い「仙骨」に伝わり、何らかの状況で「腰痛」「肛門痛」のような症状が出てくるように思う。この半年ぐらい、私は「坐骨神経痛」のような症状に悩まされ、たびたび肛門痛が訪れるが、これも結局は「仙骨」に起因することが自分なりに判ってきた。「出神」をやるには、何とか「仙骨」を健康に保つ手当てをやっていくことが必要だとおもう。余談になるが、「面壁九年」は決して安易な行ではない、達磨の手足が萎えて、手足のないダルマ状態になったのも、湿気の多い洞窟の中で「面壁九年」をやり、出神をやって、仙骨痛ー坐骨神経痛などに見舞われた結果ではなかったかと思う今日このごろ(決して傲慢にも同一視しているのではないが、純粋に、、)。
by yuugean | 2006-11-08 21:48 | 2006

坐忘の果てに

  今日は久しぶりの秋らしい気候。昨日は風が強く、北海道では竜巻で9名が死亡。東京も一昨日から風の余波が一日中押し寄せていた。竜巻で人が死ぬなどは絶えて聞いたことがないが、確かに気候変動が世界的規模で起こっている証拠だろう。さて、この「春桃原日録」も、時に絶え、時に始まって、もう数年間続いている。10月はあまり書かなかった。
  それはさておき、「内丹法」だが、これは毎日相変わらずの修練。ただ少しずつ内容は変わっていっているかも知れない。基本的には毎日4時起床。歯を磨き、コーヒーを沸かし、朝の行事を済ませてから、「坐忘」に入る。「天花乱墜」-「天頂開」-「五気朝元」-「三華聚頂」-「慧光」-「出神」-「収神」と続いていくのは毎日の日課。最近少し変わったのは「天頂開」、「出神」、「収神」の部分。「天頂開」については天頂から空中の仏に延びる「パイプ」を想定しそこに「光」を絡ませることをやっていたが、最近は「光」の束が体中から宇宙に伸び上下する方法を試している。「出神」については、以前も書いたかも判らないが、まず「陽神」を出す。「陽神」は「天頂」がちゃんと開いていないと出ないように思うが、「陽神」は出た後、ある儀式を行い、そのあと「虚」に馴染ませるように、天空の果てまで拡大していく。
  このときは大変気持ちがいい。私にすれば「釈尊」「老子」はすでに「光」の粒子になっており、宇宙にあまねく遍在しているので、それと一体化を目指す。「釈尊」と「老子」では「光」の性質が少し違う感じがするが、その感じは一方の慈悲の心と一方の純粋理性の差。「陽神」を最大限に拡大し「坐忘」を続けた後、収縮し頭上に集めて、今度は体中より、「陰神」を出す。「陰神」は「天頂」が開いてなくとも障壁を苦もなく越えてすぐ出る。そして「陽神」を包み込むようにして覆うと、そこに「人体」らしきものが形成されてくる。
  この「陽神」と「陰神」の合体によって、「分身」性が出てくるように思われ、再度「坐忘」をし、「壁観」をして、再び収縮。頭上に立たせて、光をそこに集め「収神」に移る。「収神」もそのまま、人体性をもって入ってくるので、お尻の部分、背中の部分が本身の鼻に触るような感じで入ってきて、脚ー下丹田ーお腹ー胸ー胴体ー手という順序で本身の中に重なっていき、最後に頭部ー脳に上丹田がぴったりと入っておわる。この方法では一度ですっと入ってしまい、以前のように一部が体外に残る感じもない。ただ、毎日「出神」-「収神」を繰り返していると、問題も出てくる。それはまず「腰」の部分に出てくる。
  私の感じでは、頭蓋骨のある天頂部分と、「腰」「お尻」のある「仙骨」部分は連動している。「出神」の時、お尻の部分が痛むことがる。確かに「頭蓋骨のつなぎ目は動いている」という説があるようで、それがカイロプラクチックスの科学根拠のひとつだという。とすれば、「内丹法」で「出神」をやるときは、頭蓋骨の縫合部分が緩み、そこの隙間から「意識体」である「陽神」が体外に出ると言えなくもない。同時に「脳」は頭蓋骨内で髄液の中に浮いているが、頭蓋骨の縫合部分が緩むと、調整する動きが出てきて、それが体の各部位に伝達され、おそらく最も関係が深い「仙骨」に伝わり、何らかの状況で「腰痛」「肛門痛」のような症状が出てくるように思う。この半年ぐらい、私は「坐骨神経痛」のような症状に悩まされ、たびたび肛門痛が訪れるが、これも結局は「仙骨」に起因することが自分なりに判ってきた。「出神」をやるには、何とか「仙骨」を健康に保つ手当てをやっていくことが必要だとおもう。
  余談になるが、「面壁九年」は決して安易な行ではない、達磨の手足が萎えて、手足のないダルマ状態になったのも、湿気の多い洞窟の中で「面壁九年」をやり、出神をやって、仙骨痛ー坐骨神経痛などに見舞われた結果ではなかったかと思う今日このごろ(決して傲慢にも同一視しているのではないが、純粋に、、)。
by yuugean | 2006-11-08 07:34 | 2006

連合稽古

第四回合同稽古会「連歩拳」 後半

 平成18年秋の楊心会「合同稽古会」は11月5日(日)1時半から3時半まで、千代田区西神田の西神田コスモス館体育館で開催されました。今回のテーマは「連歩拳」後半。参加者は全員深まり行く秋の一日を日ごろの太極拳修練の延長線として約60名の参加者は心ゆくまで秋の合同稽古を堪能しました。 「連歩拳」は北派少林拳の代表的な拳法。攻撃と防御、進出と後退の相反する要素が同時に演じられるように組み立てられています。攻撃と同時に防御し、スピーディに展開し、太極拳の気の運用と中国武術の基礎が同時に体験できるように思われる拳法。佐藤淳子先生のきびきびした指導で、時間はまたたくまに過ぎて、後半には体育館中心から左、右に分かれて、それぞれのグループで演武しました。適切な指導のもと、約2時間の修練時間はすぐ過ぎ、各自それなりに快い汗を流すことになりました。この日は曇りがちの肌さむい日でしたが、参加者はそれぞれ自分のペースで最後まで気持ちよく演じられたことは確か。
by yuugean | 2006-11-05 08:06 | 2006



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