遊化の森

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H君の死

 年末になると、このところ毎年のように「喪中はがき」が舞い込む。ヒトの生きる、死ぬ、、それは人の運命。自分で決められるものではない。そうはわかっていても、かって共に飲み、夜を通じて語り合った友人たちが、この世界から去っていってしまうのは寂しい。今年、日立系企業の常務をやって、その後事件に巻き込まれて不動産をやっていたM君が5月にがんで死んだ。このことは既に6月頃に書いた。鎌倉の彼の自宅にお線香を上げに行って、旧知の奥さんとM君についていろりろ語った。彼は不動産の世界をいろいろ開いてくれたが、同時に柳田国男とか平田篤胤とかの世界も開いてくれた。その彼もがんで亡くなった。
 12月に入ってもうひとり「喪中ハガキ」が舞い込んだのはH君だ。奥さんからで、今年5月にガンで亡くなったという知らせだった。
 彼とは若い頃、同じPR会社にいて、時々暇を見つけては青山などで飲んだ。深夜に及ぶこともあった。ある時、彼と飲んだあと東海道線の終電車に乗って、眠ってしまい、当時住んでいた辻堂でおりずに平塚まで行ったことがあった。平塚で気づいて歩きで平塚から辻堂まで深夜線路の上を歩いて帰った。途中、相模川の長い鉄橋を渡るときは、電車が来ないか気を配りながら、長く高い鉄橋をこわごわ渡りきって自宅まで2時間かけて深夜の道を帰ったのを覚えている。
 彼は日本デザインセンターで営業をやっていたこともあり、都会的センスを持った若者だったが、同時に空手やスキーを長年やっているアスリートでもあった。PR会社にいるとき、大手上場会社にコネで途中入社する話が持ち上がり、その入社論文を二人で誰もいなくなった会社に残って仕上げたのを思い出す。彼はそれをずっと恩に感じていた。無事その大手会社に入り、広報に勤め、葵会館で行われた結婚式にも出席した。彼はその後産業資材部ー松山支店ー医薬品事業部と転勤し、ガンを発病した。このころは年賀状だけのやりとりになっていた。
 私はずっと気になっていたので、昨年9月に電話し、10月2日神田駅で会った。その時あったH君は若い頃と少しも替わらない元気さだった。奥さんと成人した娘さん2人、そして大きな犬を抱いている彼の幸せそうな写真を見せてくれた。幸せそうな中流家庭の姿がそこにあった。神田の飲み屋でいろいろ話をして旧交を温め、また会いましょうといって別れた。それが去年の10月2日。そして今年5月に彼はなくなっていた。翌日彼からメールが来た。
 >早々にHPのメールありがとうございました。
 >こちらこそ楽しく興味深い時間に感謝しています。
 >20代前半の世の中をまったく判っていない若造へ、仕事や世の仕組みの
 >一端をお教えいただいた事、出来の悪かった仕事の代筆をして頂いた事
 >などなど懐かしくまた昨日の事の様に思い出されました。
 >35~6年振りにお互い元気でお会いできた事を天に感謝する
 >と共に人の縁を実感した次第です。
 >チャンスをつくりまたお会いしましょう。   H 拝
 これが彼との最後の交信となった。H君、冥福を祈る。
           
by yuugean | 2008-12-02 06:21 | 2008



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