遊化の森

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吾輩も猫である

 「吾輩も猫である。名前はまだない。実は勝手に名前をつけられたが、まだ誰もその名を呼んだことはない。
5月5日の朝方、埼玉県ふじみ野市の小さな児童公園に40歳台の男が吾輩を捨てにきた。よほどの事情があったにちがいないと思うが正直よくわからない。その公園の前の家のSさんがその一部始終を2階から目撃してしまった。Sさんはカソリック信者でインドの貧しい人たちを助けた聖女マザーテレサを心から尊敬している。自身決して裕福なわけではないのに、学校に行けないインドの農村の少女に毎月5千円を送っている。奥さんとは10年前に離婚、娘は成人して近くに住み、養護施設に勤めている。娘は心やさしい父を見て育ったせいか、知恵おくれのかわいそうな人たちを世話するという実にやっかいな仕事にも生きがいを見出し、5年前に同じ考えの青年と知り合って職場結婚した。つまり、Sさんは60代初頭で、一人暮らしをし、父親がやっていた損害保険の仕事を引き継いで忙しく出歩いている。Sさんは、雨が降ってきそうな公園に猫を捨てる男の一部始終を見ていて捨て置けない気持ちになった。幼い生命がこのままでは確実に消える。それで寒さに震える子猫(つまり吾輩)をとにかく家に連れ帰って、牛乳を与えた。Sさんはかって娘の為に子犬を飼ったことはあったが、猫は初めての経験だった。翌日も牛乳を飲まず、排泄をしない吾輩を心配して市内の獣医のところに連れていった。そこで、浣腸をしてもらい、猫用ミルクや排せつの仕方を習った。獣医は生後1週間くらいと見立てたので、誕生日を5月1日にし、。名前を「メイ」と名付けた。5月だからという単純な理由(その後「鯉太」と命名された。それも5月5日に拾われたから)。その日からS家の段ボールの中で生活し始めたが、Sさんはたびたび仕事で東京に行く。その間5-8時間も家を空けることになるが、心やさしいSさんは「何とか育ててあげたい」と必死に努力した。しかし、現実はずっと家にいるわけではないし、仕事の行き帰りに時間がかかりすぎて、十分に世話をしてあげられない。そこで、もう市役所に持っていくしかないと思っていた。
 ところで、Sさんには20年来の年長の友人Iさんがいた。気があって週のうち3回は会って酒を飲んで2時間ぐらいを過ごしていた。お互いのストレス解消になっていた。Iさんは30台から小さな会社を都内でやっていて、50代にその会社が倒産し、60代になってもともと気の合わなかった奥さんとも別れた。その点がSさんと共通で、世の出来事に関する見方にも共通点があるので、よく飲み、たまには旅行もする仲だった。最近は一緒に太極拳の練習に励んで演武会などにも出た。Sさんは飲みながらIさんに吾輩のことを話した。すると、Iさんは、何かの縁があって君のところに来たんだから、最後まで見てあげるべきだ。たとえ、小さな命といえども命はいのち。まっとうさせるのが人間の勤め。その子猫がちゃんと一人前になって、ひとり歩きできるまで、自分が飼ってあげる、といった。それで5月11日の日に東京都千代田区に連れてこられた。週に1-2回はここにきて二人で自宅で飲んで会話をするので、吾輩はSさんにも会える。Iさんは、20年以上も中国道教の座禅のような修練を続けており、(自分の命も他人の命も大切に)がモットーの物静かな老人だ。そのせいか実年齢より20歳は若く見える。今は現役のころに続けていた、新エネルギーの仕事をボランティアで続けている。家にいることも多いし、仕事で出かけてもどこからでも1時間以内で帰れるので、子猫の面倒を見ることができるが、猫を飼った経験はまるでない。ミルクやりもトイレもまだ稚拙でみちゃおれないが、わが輩を何とか一生懸命育てようという気持ちは伝わる。こうして、吾輩の養育のため2人の高齢者が手を携えて協力していくことになった。吾輩も少し安心して、このごろは寝てばっかりいる、、、。」
by yuugean | 2009-05-13 07:40 | 2009

連休

5月のゴールデンウィークも終わった。1000円で高速道路を走れる特典をめざし、全国的に車での遠出が目立った1週間だった。私は1日の日に、S君とJRで房総の魚を食べに行った。以前テレビで漁業組合が「食堂」を直営していて、魚がおいしいといっていたので一度行ってみたいと思っていた。それは鋸南町の保田漁港にあるということがわかったので、近くの鋸山に登り、その帰りに漁業組合の直営食堂「ばんや」に行った。千葉県に住んでいたおともあるが、鋸山は初めて。東京湾を出入りする船の様子が展望台からよく見えた。石造りの大仏を見て、その近くから出る「ばんや」行きの巡回バスに乗った。バスに乗ったのは、2組で、1組は途中の「保田駅」で降りたため、「ばんや」まで行ったのはわれわれ1組。町の様子も、人影がすくなく、少し心配した。
 しかし「ばんや」についてみると、そこは人の群れでごった返していた。ほとんどは車で来て、「ばんや」で食事する連中だった。しばらく待って、席に通され「刺身盛り合わせ」と「さわら塩焼き」を注文したが、さすがに鮮度よくおいしかった。食後はしばらく散策して、漁港内にある「高濃度炭酸温泉」に入り休息。午後4時ごろのと急で東京に帰った。
 さて「タオ内丹法」のその後の進展だが、「還虚合道」の修練はまた別の局面を迎えている。以前やっていた「五気朝元」的な、体内神の体外離脱現象は取りやめることにした。この修練をやると、後でなにか残留思念が外に残されている感じがして、頭がぼーとするからだ。
 まず下丹田、中丹田を天頂に集め 泥丸に三丹田の「神」が揃う「三華聚頂」を行う。そのまま座せば、「慧光」が現れるが、その光を頭上に出し、徐々に「神」をその光に沿って出していく(「出神」)。「神」がすべて体外に出した「光」の中に収容されると、今度は徐々に「神」の幅を広げ、宇宙の極限まで広げていく。達磨のいう「壁観」というのは、多分こういった、「体外意識」の拡大現象を指しているに違いない。
 その後、「体外意識」を自分の身体の周辺に下ろしてきて、「体外意識」で、自分の身体を完全に包み込む。
しばらく「無為自然」におくと、身体は下半身から徐々に消えて、電磁的な波動のみとなる。この「観想」は、少々オカルト的だが常にこの段階にはついて回る。 「還虚合道」の修練はまだ始まったばかり。今後の予測は未知の世界であり、どんな展開を見せるのか図ることができない
by yuugean | 2009-05-07 11:01 | 2009



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