遊化の森

ベランダの山野草

d0098440_103953.jpg昨夜から激しい雨が降り注いでいる。太平洋上を台風が通過中で、それに伴った雨が関東地方に降っている。久しぶりの大量の雨で、室内の盆栽の松を二基ベランダに出したり、山野草の鉢をよく雨の降りかかる場所に移動させたり、ベランダは緑一面になった。横殴りの雨は十二階のベランダにも降り入ってきて、久しぶりの雨に喜んでいる風情。
  今年の5-6月はシラン、姫シャガなどの株分けをやらなければと思ってきた。黒竹も新しい竹が6本生えてきたので、6月の梅雨の時期には株分けをやらないと思っている。まず5月にはシランと羊歯の株分けをやり、四万十川の苔を使って苔玉をいくつか作った。私が最も好きな山野草は「コダヌキラン」。いかにも野草らしいが、メジャーではない。三年前にいいコダヌキランをタキイの苔玉教室でみつけ、それいらい好きになった。そのコダヌキランは今年で三代目になるが、初代のようなのびのびとした葉勢ではなくなった。その後買い足してコダヌキランは五株に増えたが、初代のような自由で伸び伸びと、大きく雄渾な感じのものを入手できなくなった。それで三代目は、苔玉をやめて初代と同じ鉢植えに変えたが、あの葉勢が戻るかどうか。
 そのほかススキ系がハチジョウ、虎の尾、屋久島など5種類、羊歯系が4種類、山アジサイ3種類、山ぼたん、キスゲ、オダマキなどのメジャー山野草もある。シランは白、ピンク、紅と3種類、アヤメ系もいくつかあるが、二年目で花をつけるのは難しい。考えてみれば、私は花系の山野草よりも、葉ののびのびした山野草のほうが好きだ。室内にも葉で見せるトックリランなど観葉植物を育てている。樹木系は松の盆栽三基、梅1鉢、ケヤキ1鉢。もともとケヤキが好きで何鉢か育てたが、夏冬を越せなくて残っているのは1鉢になった。ベランダの最前列は例年のとおり、ゴーヤと朝顔、風船かづらがずらっと並んでいて、夏になればベランダに張ったネットに這って涼しさを呼ぶ棚になる。
  私にとって最大関心事の「脊索腫」の行方は、薬剤を使うようになって1週間たつが、脊索腫の伸びていた周辺地帯の「痛み」(脊索の抵抗)は1段落して、日曜日からは「本丸」の「仙骨」へと移っている。「本丸」攻めで、脊索も必死の抵抗を試みており、場合によれば今週一杯はこの状況が続くかもしれない。何しろ脊索側からすれば4年近くの時間をかけてヒトの軟組織の中に蔓延してきた勢力圏だから、そう簡単に手放すとも思えない。それにしても薬剤を使って、その反応を見れば、脊索がこちらの気付かぬうちに、骨盤周辺の軟組織にいかに広く蔓延していたかがわかる。
  これではどれほどの「名手」を以ってしても手術で取りきれることは難しいだろう。想像以上に軟組織に広がり入り込んでいる感じがする。取りきれたとしても、結果的にそれは人間本来の五体満足な形では無理な気がする。その意味で2年半前に直感で「手術」への道筋を忌避したことは正しかった。
  しかしこの2年半の間、脊索はしこしことヒトの肉体の中に陣地を広げてきた。それほどのダメージも感じられなかったので、坐骨神経痛的な手当てしかしてこなかったが、やはりそれも限度に近づいていた。「手術」以外の道は確かに炭素線による放射線療法はあるが、300万円近くかかるし、私の場合は範囲が広がっていすぎる様に見える。そこで「薬剤」を探し漢方系の中にヒトのトリガー細胞を活性化し腫瘍をやっつける製剤を見出したのだった。
  この処方が現在の脊索を完全にやっつけるかどうか、それは少なくとも半年ぐらいの時間をかけてみないと言うことは出来ないだろう。私にとってはこれはひとつの「試練」であると思っている。仙道修練を始めて20数年、これまで様々な「試練」があった。個人的生活や社会的生活において、ヒトの遭遇する大きな「試練」は様々に経験してきた。そのとき、私はいつもこれは「試し」であると思っていた。この人間が本当に仙道修練をやる気でいるのかどうかを「天」が試している。そう思わなければ乗り越えられない試練もいくつかあった。そんなときいつも戻るところは「仙道」であり、それを積み重ねてくることで、何事があっても決してぶれない、現在の心境・境涯を手にすることが出来たと思っている。
 これまでの数々の試練は、しかし多くは個人的生活や社会的生活に関するものだった。幸いにして自分の「肉体」に関するものはなかった。その肉体に関する、「最後の試練」が今回の事態ではないか。そして自分の叡智と判断でそれを超越できるかどうか、いまそれを「試されて」いる気がする。考えてみれば、一緒に仕事と遊びをやってきた、後輩のH君やM君もいまは癌があちこち転移して闘病生活を送っている。同級生の多くも大病を経験しているモノが多い。そういう周囲を見れば、これは私への天の最後?の「試練」という気がするのだ。
# by yuugean | 2008-05-20 10:01 | 2008

わが友A君

仙骨の「脊索腫」を疑われる難性の腫瘍に対して、「薬剤」を対処してから1週間になる。この間確かに反応していると思われる証左がある。最初のころは、直腸の周囲が反応し痛くなった。「薬剤」の働きかけに対して腫が必死の抵抗をしている感じだった。
 それが1日ぐらいでおわると、臀部の軟組織がおなじような状況となり、それが終わると次は会陰部分が同様の状況を呈してきた。この「薬剤」は腫瘍に対して、トリガー細胞を活性化して攻撃し、成長を止め停止させる。そして収束へと向わせる。
 「脊索腫」のような、得体の知れないエイリアン細胞に対しては、やはり「手術」では駄目。決して取りきれないし、それよりも身体のほうのダメージが何よりも大きい。多分医者もそれはわかっている。しかし滅多に出会わない症例なので、是非手術してみたいという心理が働くのではないか。その結果を学会で発表できる。
 手術が患者にとって最適の選択かどうかよりも、学会発表の材料を得た思いで功名心にはやるところがないだろうか。二年半前に私が感じ、その手術を忌避したのはそういう思いからだった。そんな実験材料となったら患者はたまらない。この手術であちこち切られて、人工肛門や車椅子生活になっている人はかなり多いのではないか。K大医学部などは「仙骨全摘」の手法を誇っているが、果たしてそれらの患者の予後はどうだったのだろうか。
  この難物の「脊索腫」。薬剤によって消滅する可能性もあるように思う。消滅は無理としても、進行を止め、小さくして働かないようにすることができる気がする。「炭素線放射」も有効だと思われるが、大きくなると無理なようだし、何よりも300万円近い金がかかる先進高額医療だ。その前に腫瘍をやっつける薬剤がないかどうか、もう一度探してみるのが正当な道のような気がする。
  薬剤を利用して1週間、昨夜からついに「本丸」の「仙骨」を攻撃しているのがわかる。最初は周辺部から攻撃し、最後に本丸を攻めるというのは古来からの戦法。果たしそれが嘉となるかどうか。私はうまくいきそうな気がしている。最初からそれまで苦しんできた「夜間痛」が消えてしまったし、攻撃の終わった部位が再びぶり返すこともない。ただ油断は出来ないので、今後折り合いをつけて生きる積りで、ずっとウォッチしながら1年、2年、10年と注意深く生きなければならないだろう。
 最近若い友人のA君から電話があって神田で会った。10年ぐらいの付き合いになるが、小生には何でも話せるらしく、酒を飲んでいろいろなことを話した。彼は若い頃は、本当にプロのサーファーを目指していた、運動能力の高いアスリート系若者だった。常に周辺に女性がいるが、彼自身の中に何かストイックなところがあって、結局は上手くいっていない。前の女性も知っているし、5年ほど前の結婚式には参列した。
  飲んでいてつらいことを思い出したのか私の前で何回か泣いた。仕事の問題があるのかも知れないが、オカに上った河童のように世事に折り合いをつけて生きていくことがきっと苦手なのだろう。
 しかし会ったあと、いつも清々しい気分になる。そんな雰囲気を持っている。これまでもずっと続いてきたのは何か縁があるからと思っているが、この縁は「絆」みたいになって、切れそうもない。
 
# by yuugean | 2008-05-13 10:05 | 2008

三崎神社夏祭り

d0098440_1122956.jpg 仕事に関しては3月、4月は大阪のクライアントのところで打ち合わせをすることが多かった。最初の計画とは結局変ってしまったが、それでも現在も続いており、これはこれでいいかなと思っている。
5月の連休には、近所の三崎神社のご祭礼があり、神輿が出て9町内を練り歩いて、一日にぎやかだった。この夏祭りは、浅草のような大掛かりなものではないが、その分外部の○暴関係が入り込んでくることもない。地元の神保町・三崎町の9町内で担いでおり、地元の祭りという色彩が強い。神田祭のように「天下」を意識した祭りでもなく、1日中町内のどこかから太鼓の音が聞こえてくる。
もうひとつ、4月に突然降って湧いたような話があって、地熱発電や風力発電など公共的なプロジェクトに加わることになりそうな話が続いている。現在その手続きがいろいろ進められており、6月、7月にはその全体像が見えてくると思われる。
 いいことばかりではない、昨年来続いていた「仙骨痛」。その実態が次第にはっきりとしてきた。最初町の医者が言ったように「仙骨腫瘍」の疑いがはっきりしてきた。仙骨に出来る腫瘍は二つあり、ひとつは「脊索腫」、もうひとつは「巨細胞腫」。いずれも極めて症例の少ないものなので対処方法もはっきりしていない。小生の場合はどうも「脊索腫」。これは仙骨下部から発生することの多い悪性腫瘍。「脊索腫」はナマコやホヤのような脊索動物が持っている細胞が糸状や網状になって体内のほかの部分に増殖していく腫瘍。いわば人間の身体の中で突然目覚めた古生代の「雑草」のようなものではないか。速度はゆっくりしているが、あまり明確な症状となって現れないため、判明した時にはかなり進んでいる場合が多い。
  もともと仙道修行のなかで「五気朝元」の修練をやる時、「仙骨」を刺激していたことが原因ではないかと小生は疑っている。それが「仙骨」の中に眠っていた、脊索動物時代の旧細胞を目覚めさせたのではないか。何かエイリアンのような話だが、最初からそんな気がしていて、しばらく「五気朝元」はやらないでいた。
小生の場合も長くほとんど無症状で坐骨神経痛と思っていたが、その間に臀部や直腸周辺に侵入していたのだ。2年半ぐらい前に肛門に異常を感じ町の医者にかかって「仙骨腫瘍」を言われた。大学病院の教授宛に紹介状を書いてくれたが、ある医者は「聞いただけでも、眼も耳も覆いたくなるような手術だ」と書いているが、小生も「仙骨全摘」などと脅かされたため、結局行かなかった。
あれから2年半、最近どうも仙骨の痛みが長引くので別の大学病院に行き、その方向が示された。非常に稀な症例だが、現在は「手術」が主流のようだ。しかしいろいろ調べてみると、手術が困難なケースが多く、手術してもその後1年間入院して挙句の果ては、松葉杖のようになったり、人工肛門をつけなければならなくなったりするという。この「脊索腫」そのものは進行もゆっくりだし、それほど悪さをするわけではない。しかし糸状や網状となって、臀部の柔らかい筋肉や骨に絡まり入り込んでいく。
 だからこれを全部取るとなると大変な手術が必要。まして「仙骨」周辺は神経の密集しているところで、それを綺麗にすることは難しいし障害も出かねない。残すことも多いので再発率も高い。だから「悪性腫瘍」に分類されているのだと思う。
 いまのところ、最もふさわしい治療法は「粒子線治療」のようだ。炭素線や陽子線といった放射線を患部に当てて死滅させる方法だが、先進型治療で200-300万円もかかる。。「雑草」はそのままだとはびこるのでまず「薬剤」で処理するのがいちばんいい方法と思う。
 それでいろいろ考えた末にとにかく「手術」はやらないことに決め、最後は粒子線治療を受けるとして、それまで薬剤で「腫瘍」の働きを抑え、縮小させていくことを狙っていく。幸いよさそうな薬剤がみつかり、試したらすぐに、これまで悩まされた「夜間痛」がなくなった。まだ始めて間がないため、その結果については判らないがこれまで紆余曲折していたことが愚かな事に見えてくる。早くからこの結論に到着していれば悩むことはなかったのだ。
 ただしモノは考えようで、紆余曲折を繰返した結果、某中国人老師にも会い、縁ができて仙道のもう一つの局面である「仙術」的考えについていくばくか教えられることにもなった。わが修練については従来どおりだが、徐々に神解自在?の境地も開いてきた感じもある。
# by yuugean | 2008-05-06 10:12 | 2008

養生学会

d0098440_12323420.jpg 3月22日、養生学会で発表することになった。この日は前から仕事で香川県に行くことになっていたが、学会での発表が本決まりになったので、香川行きの仕事は理由を言って断らざるを得なかった。この学会は大学の身体論などの研究者が中心になっており、今年の年次大会で6人の研究者とともに30分ほど発表することになった。
  テーマは「道教内丹法の修練の実際」。それに合わせてレジュメを作り、パワーポイントでの発表資料を作った。今年は都内の有名女子大学の教室で行われ、筑波大や横浜市立大の研究者に混じって発表を行った。昨年の年次大会では道教学の権威が「性命双修の内丹法」について話された。発表はまたたく間に終わり質問もいくつか出たが、それで終わった。

  養生学会「ようせいフォーラム2008」における発表

 「道教内丹法 修練の実際」 
 ―小周天、大周天から出神までー
                                    
 1)日本での内丹法
 内丹法についての研究は、日本でも古くから行われてきた。明治時代、大正時代にも資料は散見される。第二次戦後に五千言坊氏が始めた「仙道連」は現在も弟子たちに引き継がれ全国各地で地道な修練活動を行っている。五千言坊氏は北京・白雲観で仙道を学んだ元陸軍間諜で、戦後日本に本格的仙道の種を撒いた。その流れの中に仙道著作の多い小野田大蔵氏や「仙道用語・技法辞典」を編んだ畑中善一氏がある。
道教内丹法は中国六千年の歴史が生んだ養生法の精華であるといえる。「性命双修」と言われるように「身体」「意識」(神)をともに修練する。私は約25年この修練に取り組んできた。その体験から修練の実際を考えてみたい。
 2)内丹法修練とさまざまな「験」
 よく知られるように内丹法は「築基」「煉精化気」「煉気化神」「煉神還虚」「還虚合道」の5段階を順に踏んで「身体」と「意識」(神)の双方を修練し高めていく。そういう中で通常ではありえないような「験」(身体に現れる証験)をいくつか体験した。
 始めて5-6年「煉精化気」の半ばの段階で体内に「気」が充満することが感じられた。この時「仙骨」への熱的集中を行ったところ、2週間にわたり身体が下肢、胴体、上肢から順々に40度以上の熱が発生。しかも頭は覚醒して夜寝なくて平気で活動的、動き回っても疲れない。高熱が翌日は頭に入れば死ぬと予感した時、ある技法を思いつき行うと翌日ウソのように熱は下がった。意識への集中のみで高熱が出たり下がったりする、人体の不可思議さを思った。
 3)印象的な「大薬」の発生
 「煉精化気」の終盤に突然起こる「大薬」の発生。「仙道」階梯の中の最大のクライマックスのひとつだと思う。「大薬」発生がなければ、その後「丹」は形成されず、「内丹法」は成立しない。「大薬」はねばねばした半透明の物質だが、これが突然ある朝肛門から出始める。それをその都度吸い上げ「督脈」から天頂にあげ、「任脈」を通じて下丹田に入れる。その時鼻腔から「大薬」が漏れ出る時がある。こういう状況が約1週間、朝となく夜となく続き、仕事中も突然出てくる。それを掬い上げ「小周天」ルートに引っ張り上げて下丹田に収めていくきます。約1週間すると、こんどはぴたりと「大薬」の発生が止む。
 4)移胎
 「大薬」を下丹田に入れると、約1ヶ月間は下丹田が電磁調理器で肉を焼くようなジリジリ感が下丹田に広がる。1ヶ月程すると止まるので、それを今度は中丹田に上げる。
 そうするとまた約1ヶ月同じ感じが広がり止る。それをさらに上丹田に挙げると同様の現象が出てくる。
 この「移胎」が終わると「十月養胎」と呼ばれる時期に入り、十ヶ月の間、自分の胎内に抱え育てる事で「聖胎」が出来上ってくる。この段階で行う修練は実際には「入定功夫」(神を落ち着かせる修練)。綿密に静かに意識をかけ落ち着かせることで、「元神」は発育・成長していく。集中しすぎることなく、茫洋とした包括的な集中を行う。
 5)人間ソーラーカー
 このころ、「胎息」が始まり口鼻では呼吸をしなくなる。「僻穀」と言われる食べ物を食べない状況、「不眠」で眠らない状況が現れる。冬は手足は外気と同じくらい冷たく、そのくせ身体の芯は暖かい。冬眠中の熊的状態で、エネルギー消費量が小さくなるので食事量が極端に減る。大気から「気」を取り入れ、食物にエネルギーを頼らない「人間ソーラーカー」ともいうべき「エコ人間」が誕生。
 6)個我意識の滅却
 「煉神還虚」に入り、十ヶ月の間、坐忘が進み、定が深まると、手全体も、足全体も同様で一体感のある電磁現象が現れてくる。これは体内に「陽神」が固成されてきたため。
 その後三年間は、ひたすら「神」(意識)の修練で泥丸(脳)への茫洋とした集中のなかで、「後天の神」の滅却をはかる。「後天」の神(意識)とは、人間の通常意識。つまり潜在意識や喜怒哀楽の感情、あるいは知識的思考など胎児から生まれ落ちてのち、瞬間瞬間に自己意識の中に蓄積されてきた「バグ」的存在の意識であり、人間生活の多くの部分を動かしている。これの「滅却」方法は言いにくいが、ヒトの意識の中から「後天的意識」を取り去っていけば、後には「先天の神」(先天的意識)のみが残り、喜怒哀楽の感情に惑わされることもなく、オレがオレがという個我意識もなくなる。これが「陽神」で、徐々に「無為自然」の中に入っていく。
 7)出神
 三年間「後天の神」の滅却をはかると、ある日「天花乱墜落」現象が現れる。それは「出神」のシグナルで、「陽神」(先天の意識)が天頂から体外に出るようになる。「陽神」は多分一種の「電磁体」で質もなければ形もない。その後六年間毎日修練をし続けると、「陽神」は時空を超越して広がり、洞察力、先見力、潜在能力の発露も顕わになり、生老病死の思念からも遠く、危地を逃れる機知も身についてくる。
# by yuugean | 2008-03-22 07:38 | 2008

富士山

d0098440_11342644.jpg  正月三が日はまたたく間にすぎてしまった。昨年暮31日に奥湯河原の温泉宿に泊まり、1日も湯河原で過ごし、2日に東京に帰ってきた。1日にはバスで箱根寄りの大観山頂上から富士山を見た。富士は予想以上の大きさで目の前にあった。あいにく雲が途切れ途切れにかかって、全体を見ることができた時間は少なかったが、元旦に富士をこんなに間近に見たのは喜びだった。それにしても寒い。富士から吹いてきて芦ノ湖を渡ってくる風が大観山に吹き付けてくる。
  この日7時ごろ、NHKが富士山に登る初日の出を大観山から中継していたのを見て、登ってみたが、いい経験だった。奥湯河原から箱根に抜ける細い山道を箱根登山鉄道バスが登っていき、尾根筋を走って大観山に着いた。目の下には芦ノ湖が広がり、その向こうに大きな富士山があった。1時間ほどいて帰りのバスで湯河原の町に出た。昼食を取る為だったが、いつもながらちゃんとした店はここにはなく、結局駅の近くのスナック風お店で昼を食べた。
  その後またバスに乗って奥湯河原の宿に帰り、昼寝したり、テレビを見たり、温泉に入ったりして1日を過ごした。2日は10時ごろチェックアウトして、湯河原に出てJRで小田原。小田急ロマンスカーで新宿に帰った。3日は神田明神へ初詣、4日には三崎稲荷神社に初詣。この二つだけは初詣を欠かすわけにはいかない。1日には奥湯河原の滝にある弘法大師と縁の深い不動尊にお参りした。これは最初から計画していたことだった。
 こうして正月三が日は終わってしまったが、果たして今年は私の前に何が展開されてくるのだろうか?ただ1日1日を大切にして、「無為自然」のまま、相変わらず修練を欠かさず、浮かんでくる発想やきっかけを大切にして、実行に移して生きたいと思う。
# by yuugean | 2008-01-04 11:26 | 2008

無為自然

今年は長い間涼しい時期が続いていたが、梅雨が例年より遅くに終わると、途端に猛暑となった。それも連日の猛暑で列島の中で「熱中症」死が毎日相次いでいる。やはり異常気象なのだろうか。北極の氷も薄くなっているという報告もあった。昨年来「仙骨痛」に悩まされてきたが、薄皮を剥ぐように毎日痛みは少なくなっている。いまは仙骨の「最後の」部分に若干の痛みがある程度、この感触でいくとあと10日もすれば、この1年間何かと悩まされ続けてきた、身体の中央から下半身の痛みも全て霧散する可能性もある。最初は膝関節周辺だった。これは、多分「太極拳」などで無理な姿勢をとり続けてきたことへの「自動修正」が行われたのだと思う。三ヶ月ほど続き収まった。次は「大腿骨骨頭」部分の執拗な痛み。これは約半年続いた。多分この部分は私生来の欠点の部分で、痛みは「自動修正」の為だったと思う。膝も大腿骨も3-6ヶ月ほど痛んだ後は完全に自然回復して全然痛みはなくなった。ここ1年近い「仙骨」のさまざまな痛みも、その一環だと思っていたが、あまりにも長いので正直何か「重篤な病気」を疑ったこともある。しかし現在の様子では、あと10日もすれば「自動修正」が終わりそうな感じで、多分「仙骨」が最後になるだろう。仙道修練を続けてきて、最初は「内臓」が「自動修正」され、「無病」の状態となった。次いで「筋肉」。最後にきた「自動修正」が「骨」だった。いうなればこれは「めんげん現象」と同様で、完全に良くなるために、一時的に悪い状態が出てくる現象。おそらく「仙骨」を最後に自然回復作業は全て終わる。ただ、このことは「仙道」のどのテキストにも書いていない。それで迷ったときもあったが、多分それも終わるだろう。金剛不壊の身体に向かう第一歩という気がする。現在の修練は再び「坐忘」-「大還丹」-「五気朝元」-「三華聚頂」ー「慧光」ー「出神」ー「タオとの一体化」-「収神」という修練。ほぼこれまでと同様だが、3ヶ月ぐらい前から「出神」の後「陽神」を出して、しばらく「固定化」し、さらに広げて太空に馴染ませていく。空間を超越して、次いで「タオ」そのものが体内に流れ込んでくる。体内と体外との外壁も取り払われて繋がり、大気が行き来する感じとなってくる。やがてそのまま「無為自然」の状態を続けると、皮膚は心なしか「炎」を帯びて燃え始め、それが全体内に及んで「神火」が体内から天頂へと立ち上っていく。この先に多分「還虚」があり、「合道」がある。「虚空粉砕」というのにも近づいているかもしれない。「虚空粉砕」で粉砕するするのは「虚空」ではなく、「己身」だ。現在私は「面壁九年」の中で、それが終わるにはあと1年余を残しているが、すでに次の段階の「還虚合道」の一部が始まっている気がする。すべて「無為自然」の中、「坐忘」の中で。
# by yuugean | 2007-08-17 18:23 | 2007

深い安心へ

考えてみれば、もう三ヶ月記帳していない。前回は三月十四日。桜の開花予報が出て居る時期だった。あれから三ヶ月。何があった?別に何もないが、その前後から五月末日まで、少々「難事業」に取り組んでいた。それが、まず頭の中にあって、その他のことは後回しという状況が続いた。朝・昼とそれに取り組んでいたが、五月末に全て終わった。またいま「次の」難事業に取り掛かろうとしている。難事業?というものの、それは私の「原点」のようなもので、これが達成できれば何もいうことはない。だからこの年にも関わらず、自分の「原点」を試すつもりで真面目に取り組んでいる。考えようによっては、それは「仙道内丹法」を進めていって、到達した境地であり、事の成否は別にして「原点」として取り組むべき事態であったと思う。三月からこれまでの間には、今年吉野山と京都を訪ね、大阪の心斎橋のホテルに泊まった。四月には学会で種々の人々に会うことができた。この方面はまだ何も固まっていないが、ひとつの指針のようなものが見えてきたと思う。
 昨年来「仙骨痛」に悩まされていたが、今は「仙骨」に痛みはない。これはその後の状況研究で改善されて、ほとんど収まっている。「瘤」状の突起物を肛門上部仙骨の中に作り出していたが、「瘤」状の突起物の中身を仙骨側に「意念」で尾ろー督脈に導き出した。そうすると、あれほで困っていた「仙骨痛」は殆どなくなった。ただ、「仙骨」を離れた「物質」(多分?痛みのもと)は、その後尾骨周辺を行ったりきたりして、なかんか外に出ない。これを外に出す方法をいろいろ試しているが、まだ成功していない。現在は再び「坐忘」-「天花乱墜」ー「天頂開」-「五気朝元」-「三華聚頂」ー「慧光」ー「出神」ー「神遊観」-「収神」と従来の修練に変わっている。「天頂開」では守護仏を頂上に現出させ、頂門を開き内部と仏の上部を光で繋ぐ。それが済むと「五気朝元」。五臓を経巡って「五気」を頂門から外に出し、太空に向かって五臓神を展開すると、心なしか光が現出。ついで「三華聚頂」すれば、自然に白い光に包まれて、それが先に開いた「天頂開」のルートを通じて出て行く。以前と少し変わってきたのは、「陽神」を出して、太空に馴染ませていくと、空間を超越して森羅万象がひとつになり、次いでそれが体内に流れ込んでくる。光の玉のようであったり、光の柱であったり、その中に浸っているのは心地よい。そして、体内と体外とが外壁も取り払われて繋がり、大気が行き来する感じとなってくる。まだその初歩の感じだが、これが徐々に深まっていけばどうなるのだろうか。いまは本来の自分の姿を自分の中心にすえ、深い安心のなかで、それをどう進めていくかに最も関心がある。長い間続けてきた「内丹法」は、その「深い安心」を得るために必須のものであり手放せない。
# by yuugean | 2007-06-10 18:21 | 2007

桜の開花予報が出てから再び寒くなった。空は「春」の気配だが、外気は意外と冷たく明日からはさらに「冬日」が続くという予報。今年の桜開花は早まりそうだから、最初3月末に吉野山と京都の桜を見るべく、予約を入れたが、その後いろいろ調べてみると、吉野の満開は4月上旬、京都は3月下旬だという。そこで、予約を取り直して4月第1週にした。これは吉野を第一目標にしているためで、あわよくば京都の名残の桜も見られるかも?という感じ。それが今日、また気象協会が計算ミスで関東の開花は第1回発表よりも遅れるもようという。関西はあまり変わらないようなので、予定通りに行くことにした。桜が咲けば「スギ花粉症」は消滅する。しかし私はもともと「ヒノキ花粉症」で桜が終わってから5月連休までつらかったが、今年はスギも噛んでいるようで2月ぐらいから花粉症気味だ。昨年来「仙骨痛」に悩まされてきたが、これはその後の状況研究で改善されて、ほとんど収まっている。今から考えれば、あれは「五気朝元」行を正しくやらなかったからだということがはっきりした。「五気朝元」は、脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓ー腎臓を「意識」で経巡って、この「気」を督脈を通して天頂から虚空に出す行。このルートで督脈に流すときに、「仙骨」下部を横切って督脈に出していた。そのため「五気」の残留部分が仙骨下部に残り、それが「行き場」を求めて、直腸方向に向かってせり出してきて、「瘤」状の突起物を肛門上部に作り出していた。そのことに気づいて、まず「瘤」状の突起物の中身を仙骨側に「意念」で尾ろー督脈に導き出した。そうすると、あれほで困っていた「仙骨痛」は殆どなくなった。その次に「五気」を導くとき、腎臓から肛門に出し、尾ろから督脈にはいる経路に変えた。それでほとんど「仙骨」そのものの痛みは消えた。しかし、こんどは「肛門」の中に「気」が残留するのか、あるいは夜のうちに気が溜まるのか、「肛門」の中で「気」が停留することによる「痛み」を感じるようになった。勿論、よく注意して完全に「督脈」-「天頂」ルートを通り「五気」を出し切ることに専念している。しかし多少は残るのか、あるいは夜間のうちに溜まるのか。朝起きると少し「痛む」。逆に言えば「五気朝元」はかなりデリケートな運用が求められるということと、体内の「気」が強くなってパワーとエネルギーを持っているということ。それが体の現象となって出てくるということ。そのためしばらく「五気朝元」の修練は休みにして、あるいは週1回ぐらいにして、「坐忘」-「天花乱墜」ー「天頂開」-「三華聚頂」ー「慧光」ー「出神」ー「神遊観」-「収神」と修練に切り替える積もりだ。「神遊観」では前の公園で「分身」化を試み、いまは4体となって、それぞれ別のルートを回遊する。そして「収神」の前に4体ー2体ー1体となって収神。しかしこれはオカルトといえなくもないので、あくまで自分の領域に留める。「出神」-「収神」は私にとっての明らかな現実なので、それを積み重ねていくのみで将来のことはわからないし、あまり関心はない。呼吸と同じ、睡眠と同じで、生命が終わるまで続けるのみ、判断は後世にまかせるしかない。それより現在の関心事は、自分にとってもっとも根源なるものへのアプローチと実行。それは中高生や大学生の時代からずっと私の最も源泉的な場所でふつふつと滾ってきたもの。「いつかは」という思いがつねにあった。しかし仕事をし結婚をし、子供を育てるなかで忘れることが必要だった分野。いまそれへの傾斜が急激な波のように押しかけている。今年いっぱいはその分野への「賭け」が私のテーマとなる。それを自分の中心にすえれば、食うための仕事もそれなりに整備され、与えられてくる感じもある。
# by yuugean | 2007-03-14 18:18 | 2007

仙骨痛の正体

たしかにまだ2月だが、これまでのところはすでに「春」の気配。東京はついに「雪」が降らないまま冬を越すことになるかもしれない。すでにこれまでの降雪遅延?記録を更新しているが、もしこのまま降雪がないとしたら、気象観測始まって以来の不降雪現象となる。2月はいろいろイベントがあった。11日には「秋田」への1泊温泉旅行を行った。秋田新幹線でまず「田沢湖駅」で下車、バスで田沢湖高原に行き、そこから乗り継いで、さらに山奥の「乳頭温泉・鶴の湯」に向かった。ここは鄙びた山奥の秘湯だが、「秘湯」が多くのメディアに載り、多くの人が押しかけることとなった。この日も、黒湯、白湯、露天風呂とも人が多かったが、地元の客に聞けば、現在「冬の国体」が田沢湖高原で行われており、そこへきた選手たちが来ているという。そういえばやたら若く体の立派な若者が多かった。露天風呂に入っていると雪がしきりに降ってきてムードは満点のパウダースノウ日和。しばらく温泉を楽しんで休憩し、予約しておいた送迎バスに乗って、再び20分ほど雪の降る山道を走り「バス停」まで向かった。バスを乗り継ぎ「田沢湖駅」で新幹線に乗って「角館」へ。この日の宿は角館フォルクーロ。夜そぼ降る雪の中を町に向かって歩いたが、それらしい店も見当たらないので、引き返しホテルのレストランで地元料理と、酒を楽しんだ。翌日は、角館市内の「武家屋敷」をいくつか見学し、地元ボランティアの地元の話を聞いた。午後散策の後に「かくのだて温泉」に入り、体を休めて、6時過ぎ角館から帰路に着いた。2月18日には初の「東京マラソン」が行われ、雨の中三万人が新宿ー神保町ー銀座ー浅草ー晴海通りー臨海地帯ービッグサイトのマラソンコースを走った。自宅から3分ぐらいのところを走るので9時30分から雨の中を待機、1時間半ぐらいランナーたちが通過していくのを応援した。確かに走っている市民ランナー達は楽しそうで屈託がない。なかには全国各地から東京の観光地巡りを走る気持ちできた市民ランナー達も多かったようだ。友人のSも「来年は出る」といっているが、若いうちならともかく42キロ完走を目指すのはかなりきついと思う。
 さて昨年から続いている仙骨の痛みは、一時収まっていたが、温泉に入ったりすると、またぶり返してきた。しかし昨日、この「仙骨痛」の実態が自分なりに判った。昨夜「仙骨痛」を起こしている、「骨腫」に意識を集中していると、その「腫瘍」が動き出し、さらに意識で引っ張ると徐々に脊髄の方に出てきた。さらに意識を集中し、「督脈」を通して最初天頂より体外に出したが、やがて閃いて、それをさらに「任脈」に下げ小周天ルートを周流させ、下丹田に納める。さらに「奇経八脈」に流した。そうすると、「骨腫」と見られるものが、小周天、大周天ルートを回り始め、「仙骨」から腫瘍が消えた。昨年末行った医者は、大腸の下部に瘤があり、それは仙骨に腫瘍が出来ているからだといい、MRIを撮り、自分の母校の教授に電話してくれた。教授は明日すぐ来なさいといったが、仙骨を教授の研究見本としていじられるのがいやだったので、翌日電話してその日の診察を断った。仙骨の腫瘍は悪性だと「すぐ死ぬ」と医者は脅かしたが、これまでも他で研究標本とされた嫌な経験があり、仙骨は最も重要な部位と思っているので研究対象にされるのは嫌で、結局教授のところには行かなかった。もともと「仙骨痛」は「五気朝元」の修練をやりだしてから始まった。最初から、体内主要臓器の「五気」を督脈を通じて天頂に出すとき、仙骨に触れるのがよくないのでは?という気がしていた。いまの私の結論は「仙骨骨腫」の正体は、「五気朝元」の時に仙骨周辺に溜まった「気」が行き場を失って「仙骨」の隙間から「腸」の側に瘤となって張り出してきて、膨張していったために「痛み」となって現れたのではないかということ。確かに現在は「出神」中心の修練となっており、初期の小周天・大周天は殆ど行わない。しかし、基礎修練として常に小周天・大周天は行った方がいい。そして何かの具合で体内に停留している「気」を周流させることが必要だ。それに気づいて修練の方もまず、小周天・大周天をやり「坐忘」-「天花乱墜」ー「天頂開」ー「五気朝元」-「三華聚頂」ー「慧光」ー「出神」ー「神遊観」-「収神」を行って、さらに終わりに小周天・大周天を行う方式に切り替えた。仙骨痛の正体が、自分なりに判明し、それに対処する方法もわかって、「目からウロコ」の感じ。あるいは「朝に道を知れば夕に死すとも可なり」の心境。
# by yuugean | 2007-02-23 18:14 | 2007

修練の有り様

  もはや立春。このところは例年に比べ暖かい。熊が冬眠を忘れ、日本海で南の魚が獲れるといった季節外れのニュースが相次いでいる。やはり尋常ではない。昨年から続いている仙骨の痛みは、2月に入って収まってきた。やはり、これは仙骨の病気あるいは異常ではなく、「メン眩現象」のような類のものだったと思う。修練の方は「坐忘」-「天花乱墜」ー「天頂開」ー「五気朝元」-「三華聚頂」ー「慧光」ー「出神」ー「神遊観」-「収神」。
  最初修練してきた「伍柳派」の手法では、この部分はすごくあっさりしている。いわば「自然出神」。それを最初1年間ほどやったが、何か違和感が出てきた。「陽神」を固めるという意味の「作業」がここにはない。その当時も「出神」は出来たが、いまから思えば「陰神」に近いもの、あるいは「陰神」の混じったものを「出神」していたように思う。それで、その後伝統的な修法にある、「天花乱墜」、「五気朝元」、「三華聚頂」の修法に切り替えた。この修練を通じて判ってきたことは、「天花乱墜」、「五気朝元」、「三華聚頂」の三つの修法はお互い密接に関連したものであること。
  「天花乱墜」は、「意識」の眼で「気」や「気の流れ」を見える段階に「意識」を持っていくことで、この段階に達してなければ、その後の「五気朝元」、「三華聚頂」、「出神」でも「陽神」の姿を意識の眼で見ることはできない。「五気朝元」は体内の重要機関である、脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓ー腎臓が排出する(後天の)「気」を体内から出して中空に送り出す作業だが、これには内臓を清浄化し、同時に宙天の「五行神」に還す作業をやりながら、「天頂」を開通して次の「出神」の準備をする意味があると思う。「三華聚頂」は当然、「出神」の前に下丹田、中丹田、上丹田の「真気」「真陽」を合体して「陽神」を整え、「出神」に向かうための修法であり、これらひとつひとつが互いに関連しながら、次の段階につながっていく。なぜ「伍柳派」がこの部分を簡略化したかについては判らないが、多分「五行思想」が関係しているような気がする。「伍柳派」は、徹底してそれまでの「五行思想」的な部分を修練から排除して体系を作り上げたが、「天花乱墜」、「五気朝元」、「三華聚頂」は五行の考えなくしては難しい修法だからではなかったか。
# by yuugean | 2007-02-04 19:01 | 2007



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