遊化の森

天地にあまねく「光」の実体


◆ 誤解されている「光」?
◆ 「光」の本質は何だったのか?
◆ 「光」と仙道の関係は?

さて前号では「行がえ」の原則を無視して、皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
掲載してしまった後だったので、どうも訂正がきかなく失礼しました。

前号ではいろいろ御託を並べましたが、要するにいつの時代もそうですが、ことに最近
のように定めない時代に何を心のよりどころとして生きるのか?その選択肢のひとつと
して「仙道」はどうでしょうか?という提案でした。もちろんこういう事は仙道をすで
に修練されている方には、何のアピールにもならない。「仙道」を修練しょうという目的
も様々でしょう。

なかでも「ネット仙道」では私の感じでは「超能力を身につけたい」というのが一番多
いのではないかと思います。何をもって「超能力」とするかということがありますが、
これは何よりも素質と修練度が関係する世界、誰でも簡単に獲得できるというものでは
ないように思います。この問題には異論もあるでしょうし、また大なり小なり「思い込
み」というがつきまとう世界ですから、修練者は一方では何よりも客観性を獲得する努
力をするべきでしょう。

それはさておき、その分野の事をさておいても、それでもなおかつ「仙道」修練の重要
性は決して少なくないと思います。私が「仙道」の修練と「光」との関係について最初
に明確にしておきたいと思うのは、それがこの地球や人間、あるいはこの宇宙にとって、
きわめて基本的な要素であり、「仙道」がその基本的なシステムを活かす、最も優れた修
練法だと思うからです。

なぜ「仙道」の修練について述べるのに、「光」の問題から入っていくのか、今日はそれに
ついて考えを述べてみたいと思います。皆さんは「光」といえば何を想像されるでしょう
か?一般にはまずいわゆる「可視光線」です。あの「虹の七色」。あえて「一般」と書きま
したが、これはいわゆる「学会」でも同じ事です。「光の作用」について述べる論文や学術
書もありますが、それらはもし何の注釈もついていなければ、まず「可視光」のことを
指しています。

このように「光」について、最も多い誤解は科学者さえもが分野が違えば「光」というの
は「可視光線」のことだと思い込んでいるからです。例えば論文で「光の皮膚への影響
」といえば一般には「可視光線の皮膚への影響」ということを差しています。しかし広大
な光の全体の中で「可視光線」はもっともエリアの狭い領域でしかありません。「光」はご
承知のように、波長の短い方から「X線」「紫外線」「可視光線」「赤外線」「遠赤外線」と
いうように分類されていますが、その中で「可視光線」は最も小さなエリアでしかありま
せん。その「可視光線」が「光」の代表のように見られてきたところに、誤りの原因があ
ります

これには止むをえないと思われる事情もあるでしょう。人類が長い時間をかけて、この
「可視光線」に適応して「目」の機能を拡充させ、可視光線の各波長を分析し確認する
システムを確立させたわけですが、これは人類に科学的思考がはじまる前であり、人類
にとっての「光」はまず、「可視光線」だったわけです。「目に見える光」でもありまし
た。しかし、本来「可視光線」といえども目に見えるわけではありません。例えば「
植物」の葉は緑ですが、これは植物の葉が「赤い色の波長の光」を成長エネルギーとし
て吸収し、反対色の「緑の波長の光」を反射して、その波長の光を受けた人間の「目
」が緑と判断しているからです。このように「可視光」といえども目に見えないのです。

この可視光線に対する誤解が「光」というもの全体を誤解させる原因となっていると思
われます。「光」というのは目に見えず、温度によって波長が変わり、この宇宙に広大無
辺に偏在している存在なのです。自然界の中では、「光」は宇宙のはるかかなたの想像を
絶する高温の星々が発する「X線」や「紫外線」、太陽の二万度という熱から発せられる
「可視光線」、地球の常温状態から発する「赤外光」、そして氷点下の世界の「光」。温度
はマイナス273度まで存在します。、逆にいえばそれ以下は「光」のない世界ですが、
マイナス273度以上の世界は「光」に満ちた世界なのです。
これらの「光」は目に見えません。しかし「熱」(温度)のある世界、つまりー273度
以上の世界は実は「光」で充満した世界です。

この点について正確な理解がないところに「光」について述べようとするとき、すでに大
きな誤解が生まれる要素があります。
もうひとつ今日一般に使われている言葉の中で、研究者でも通例として使っている、誤解
を生みやすい言葉に「電磁波」があります。今日通例として使われている「電磁波」は電
波やレーザー波のような人工的電磁波のことを指すことが普通です。「電磁波が危ない!
」という記事や警告が一時盛んに叫ばれましたが、すべて人工的に造られた電磁波のこと
をさしています。大学で電磁波工学という学問がありますが、これも人工的に造られる電
磁波・電波やレーザー波について研究する学問です。
しかしこのように使われる「光」と「電磁波」という言葉は本来の存在から言えば、きわ
めて狭い範囲の使われ方でしかないのです。本来の「光」や「電磁波」はもっと普遍的な
、人類や生物にとって最も大切な存在であるということをよく理解して頂きたいのです。

いまから100年前1900年前後に、科学の世界では非常に重要な理論が相次いで発
見され20世紀の科学の時代を開きました。マックスウエルは「光は電磁波である」と
いう理論を発見しました。「光」は電気と磁気部分が交差して進む「波」だという発見で
した。このころ「光」の分野でもプランクというドイツの科学者がある理論を発表しま
した。彼の「熱から光が出ている」という発見が端緒になって、今日の量子科学の展開
が始まったといっても良いと思いますが、これは逆にいえば「熱」(温度)のあるところ
「光」があると言う事です。これは「光は粒子」であるという発見に繋がりました。
「熱から光が出ている」ことを発見したドイツの科学者プランクはドイツ国営製鉄所の技
術者でしたが、溶鉱炉の中で白い光、赤い光、紫の光など様々な色の光が出ているのは「熱
(温度)の高さ」によって変わるという原理を発見したのです。これがきっかけになって
「光」の科学が進展し、今日の量子科学の道を開いたのです。プランクは晩年狂死しまし
たが、彼こそアインシュタインにも比較されるべき重要な科学者であったといえるでしょ
う。つまり20世紀初頭には「光は粒子であり、波である」「光は電気部分と磁気部分とを
もった波」という事実が明らかになったのです。あれから100年たった現在、その事実
は我々の日常の存在にとって極めて重要なことであり、すでに自明の理論でもあるにも
拘わらず、少なくとも一般には事実として認識されているとは思えません。

 これは「仙道」を研究する上に重要なことだと考えています。この誤解を生みやすい使
われ方をしている言葉「光」と「電磁波」は本来我々の生存に必須の要素であるというこ
とをよく知って頂きたいのです。なぜなら「仙道」こそは、この「光」(電磁波)を効率的
に取り入れることによって人間の精神(意識)と肉体の改造を目指す修練法にほかならな
いからです。この「光」(電磁波)と人間との相互作用を活用したものが、「気」功の本質
であり、仙道修練の目的ではないかと考えているのです。
by yuugean | 2001-08-02 09:15 | 内丹法を修練する
<< 光の海に生きる 熱いトタン屋根に生きて >>



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧