遊化の森

一寸先は闇

○時事片々===============================================

「選挙」も終わりました。おそらく小泉さんご本人も予測できなった
結果ではないでしょうか?「オセロ」のように一手で黒が白に変わっ
てしまうような所が「小選挙区」にはあるのでしょう。それにしても
判らないのは選挙戦に入る前に、岡田代表が「今回政権取れなったら、
私は辞めます」という発言。あの時点では、自民党ピンチ、民主党有
利が誰の目にも明らかだったわけで、その自信のほども判らないでは
ありませんが、まだ戦いの火ぶたも切っていない時に、結果を見通し
たように、何であの「発言」をされたのか、少し不思議ですね。
勝敗を決めるのは選挙民、それを忘れた驕りでなかたかどうか。「政
治の世界の一寸先は闇」と昔老練の政治家は言いましたが、戦いも始
まっていないのに「辞める、辞めない」というのは、いくらなんでも
早急な話。この言葉が結局国民の心を覚ましてしまい、一番の敗因で
はなかったかと思うのですがそういう論調があまりないのはどうして
でしょう?

           # # # #

「予測」の狂うことは日常ついて回るものですが、私も前回の「メル
マガ」でひょっとしたら、9日までは「大手町爆破テロ」の危険あり
などと書いてみごと外れました。この種「外れ」は国民にとってうれ
しいことで、よかったのですが、あるいは迷惑のかかった関係者がお
られるかも知れず、お詫びします。

私自身毎日通勤ラッシュの中、丸の内線で大手町近辺に通っているも
のですから、その「危険性」を感じ、あるときなどわざわざJRに乗
り換えて東京駅に行ったり、手前で下車したりしました。なぜか「予
感」がしたために書いたのですが、事実8日の日に各省合同のある会
議があって、霞が関にいったのですが、なんと各改札口に「警視庁」
と書いた防弾チョッキをきた機動隊員がひとりずつはりついていまし
た。何かそういう「気配」があるか、情報があったかと思いますが、
詳しくはわかりません。これからも「予感」を恐れず公表していきた
いと思います。あるいは迷惑でしょうが、、。

○仙道随々================================================

前回の「メルマガ」で「仙道の基本は養生法」と書いたら、少なから
ず反論らしきものがありました。しかし「養生」という言葉、日本人
が普通使う「養生」とは少し違うような気がします。単に「健康法」
ではなく、むしろ「自分の中の自然のままに正直に生きる」ぐらいの
意味ではなかろうかと思いますが、ほんとうはもっと深い意味合いが
あるのでしょう。

それは「言うは易く、行なうは難しい」道。それだからこそ、何階梯
かを何年もかけて「心や意識」と「命や肉体」とをともに変革してい
く「性命双修」の道を人は進むのです。人が生れ落ち、幼児期を過ぎ
て、成人し社会人となり家族をなして、この現代社会を生きていく。
周辺にはその過程のあらゆる時期を通じて、あらゆる価値観、あらゆる
情報があり、いつのまにか「本来の姿」が見えなくなってしまっている。
学生であれば勉強や遊びの中で自分の将来を思い、社会に出て身を立て、
社会の中の競争と混乱の中で生き抜きながら、家族を養い子供を養い、。

        #  #   #  #

人間の生活は、いつの時代も男も女も情景は変わっても、ほぼ同じ様子
でこうして進んでいくものでしょう。そのなかで、鋭敏な感受性は楽し
んだり、傷ついたり、会社や家庭のベルトコンベアにともすれば抵抗
を覚えながらも日夜ただ汲々と生活を続けていく。世の中のことは「
思い」の三分の一もいかないのが多くの人の現実でしょう。しかし、
あるとき果たして今の姿が「自分」の人生なのだろうかと思い悩むこ
とがいつかはあるのもまたありふれた現象です。
「無」から「有」が生まれ、その「有」の姿もまた「無」の世界へ帰
る。あらゆるものがそうで、ひとの「思い」も同じであり、有為転変、
つねに変転していくのが有史以来繰り返されてきたこと。その運命か
ら逃れることが出来ないのが「人生」なのに、ひとは自分の人生や家
族だけは特別で、地位も名誉も財産もそのまま永遠に続くと思いこみ
たいのが自己の姿です。
そこに「喜怒哀楽」が生まれ、「生老病死」の苦しみもそこから生ま
れてくるのです。仏教やその他の宗教が目指すのもその苦しみからの
「脱却法」にほかなりません。そういう意味ではこれも「養生法」。
「仙道」も同じですが、仙道は生まれてから身についた「後天」的な
もの全てを捨て、「胎児」であった時代に存在した「先天」的な自己、
「先天」的な人間に帰れといいます。そのための「マニュアル」が「
仙道内丹法」であり、それまでの人生を「リセット」し「生きながら
生きる」ことを提唱するのが「仙道」養生法の真髄ではなかろうかと
思います。
by yuugean | 2005-09-17 15:41 | 2005
<< 中秋の名月 静謐 >>



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける

by yuugean
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧