遊化の森

「伍守陽と柳華陽」


◆「仙道を明解な言葉で」
◆「門戸にこだわらず」

伍守陽は明の時代、1574年に生まれ13歳で世の無常を感じ昇仙を望むよう
になったといわれます。20歳にして名誉と利欲の心離れ、科挙の成績の優劣を争
う気がなくなった。自分はぼろをまといつつ貧しい人達に衣服を与え、飢えた人達
に食物を与えて救ったといわれます。北宗の曹還陽から「内丹法」を直接伝授さ
れ、「天仙正論」「仙佛合宗」「金丹要訣」などの本を書き道教の中で密かに伝承
されてきた「内丹法」の修練方法をわかり易い言葉で説き、1644年77歳でこ
の世を去りました。

この伍守陽の理論を発展させ、「伍柳派」といわれる「内丹法」を完成させていっ
たのは清時代の柳華陽(1736-?)です。柳華陽は伍守陽がなくなって80年
ぐらいして生まれていますので、いくら仙道でも、とても直接の弟子とはいえませ
ん。伍守陽の残した「天仙正論」「仙佛合宗」「金丹要訣」などの書物によって伍
守陽の内丹法を知り、その教えを受け継いだのです。柳華陽は最初仏教の僧であっ
たので心情的には伍守陽の「仙佛合宗」的な考え方に近く、伍守陽の内丹法理論に
は同意するところが多かったのでしょう。

柳華陽は伍守陽内丹理論をさらに易しく解説し「金仙証論」を著しました。この書
物は柳華陽の処女作で、清の嘉慶四年(一七九九)に書かれました。この書物は専ら
小周天の修行を論じており、全体で二十章に分かれています。煉己・薬物・鼎器・
火候・効験(効果)・任脈督脈・防危慮険(危険防止策)など、小周天に関するテーマ
をすべてとりあげて徹底的に論じています。

伍守陽と同様に柳華陽も火候(火加減)を小周天修行のかなめと考えています。
「風火経」の章では記述が詳細にわたるのをいとわずに「火候」を説明していま
す。「火」は「煉丹の中心的存在であり、精・気を修煉する道具である」と述べ、
「このように内丹修燥は完全に水・火に依拠している」といいます。当時今では明
白な事実である「任脈督脈」という小周天の経路さえ秘密の事項とされていまし
た。そこで柳華陽は自分の練功経験と内丹書の記述を照らし合わることによつて、
「任脈督脈図」を描き、研究者たちに公開しました。これが有名な「任脈督脈図」
です。その図を明らかにした意図について柳華陽はいいます。「この図が公開され
れぱ、魔術師やエセ学者たちが人を欺いて身体を害する余地などたくたってしまう
だろう」と。

柳華陽のもう一つの著作「慧命経」は大周天・.小周天の両方を論じていますが、大
周天を論じた部分は特に詳細をきわめています。前の十四章が本文で、漏尽図・法
輸六候図・任督脈絡図・道胎図・出定図・化身図・面壁図・還虚図・集説慧命経・
正道修陳直論・正道功夫直論・正道禅機直論・雑類説・決疑などが含まれていま
す。後半には張紫陽の『八脈経』、陸潜虚・張三ボウの調息論、李湧虚の『後天串
論』と『九層燥心』が付載されています。柳華陽は自序の中で、「今私はわかり易
くしかも率直塗言葉で仏法の秘密をことごとく公開した。道に志す人がこの慧命経
を読めぱ、私から口伝を授かったも同然で、あとは誠実に修行を積み重ねてゆげば
よく、他の神仙の援助をうける必要などないのである」と述べています。つまり、
知っている限りの内丹修煉の秘伝は、あますところなく明解に説明しておいたの
で、他人の援助は必要なく、「慧命経」の記述に従って修煉し内丹を完成せよと説
いているのです。

伍守陽と柳華陽はこうして宋元内丹法の伝統を基礎にして、非常に平易な表現で、
内丹法の実際をあますところなく公開しました。旧来の内丹書が隠語や暗楡を多用
し、わざわざ詩に託してことさらに神秘的な殻をかぶっていたのと対照的です。さ
らに、伍柳派は門戸にこだわることなく、仏・儒・道・医各学派の理論をとり入れ
て内丹理論を構築実証しました。そのため彼らの学説は杜会性を帯び、学派を問わ
ず広く受げ入れられ、大きな影響力と名声を兼ね傭えた内丹書となったのです。
by yuugean | 2003-03-14 06:48 | 内丹法を修練する
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