遊化の森

法身の存在

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。いつも通りの坐忘。いつもどおり「出神」をやる。やはり頭上に「質感」があり、それに添わせて「大周天」をやる。ここで「法身」の存在について、再度修正しなければならないと思っている。半月ほど前、にやはりこの「日録」に「法身」の存在について、それは脳内にあり、10センチほどの大きさのものと書いた。しばらくそれでやってきたのだが、事実それ以後「脳内」に確かな圧力感や異物感があり、それを意識によって、さらに固めるという修行方法を取っていた。その後普通に何事もなく過ぎていたが、2週間ほど経って、その存在、圧力感が全くなくなってしまった。そのかわりに「空」というべきか、「純粋」というべきか、何もない空間が脳内に広がっている。何か失敗でもやったかと思ったが、別に「少なく出し、多く養う」の方針で、脳外に出す時間はあまり長くなく、すぐ収納していたので、そういう懸念はまったくなかった。そこでその後いろいろ試してみて判ったことは、やはり最初に考えていたように「法身」は既に全身に広がり、生身の肉体にぴったりと張り付いている形で存在しているという事だ。確かに「脳内」で養うことの重要性はあるが、すでに「脳内」もまた「全身」も全て「陽神化」しているということだ。それが証拠に非常に透明な、「空」な空間が脳内にもまた全身にも繋がっていて、肉体の皮下の部分で、全身に「どきどき」とした動悸のような脈動がある。「法身」の「本体」はやはりすでに全身に広がっている。「脳内」の圧力感、異物感も全身への広がり,全身が「陽神化」するとともに、圧力感は消えたということではなかろうか。いろいろな試行錯誤を繰り返しながら、本然の姿が次第に明確になってくる。いつもどおり7時15分に家を出て、飯田橋で少憩。その後午前中はオフィス。午後小伝馬町の取引所で仕事があったので、その途中兜町のS会館で経済関係の資料を閲覧しながら時間を過ごす。この時今朝以来、頭にあった「法身」の存在について、試して見たくなり、瞑想しそこで全身の「出神」を試みる。この場所が相応しいのか、非常にはっきりとした「光」が頭上に現れ、その中に全身から「法身」を出していく。下からフタのようなものが立上ってきて最後にふたをする。その上でしばらく法身を「養う」。その後しばらくして、ゆっくりゆっくり「法身」を体内全体に収め、フタが頭上にかぶさる。目光を体内の隅ずみまで動かして「法身」がそれぞれの場所に納まったか確認をして終わり。夜、例のとおり小宴。9時に果てて、しばらく休む。12時過ぎに「坐忘」、その後就寝するが、頭が澄み切って、結局眠らないままに4時になったので起きた。眠らないでも体は全然疲れていない。もう3年ほど前にも、全然眠らないでも平気なときが1時期あった。このとき同時に食事もしなくなった。また新しい段階が始まっているのかも知れない。
by yuugean | 2003-12-17 10:44 | 2003
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