遊化の森

無為自然

4時30分起床。例の通り洗顔、コーヒー沸かし。これは、もう変わらない。坐忘もまた同じ。いつも通りの1回目の坐忘。体内の隅々まで「目光」「耳光」を周回させる。ことに腕や足。その先端まで丁寧に「光」を周回させることが必要だ。次いで「無為自然」になしてある種の「光」が自然に体内に生まれるのを待つ。時間をかけると、徐々にはっきりとしてくる。今日の「光」はぼーとして白っぽい「光」。時々鋭い「白光」がそれに混じって輝く風情。これが第1回目の坐忘。その後2-3分インターバルをおくのはいつもの通り。朝の坐忘においては、このインターバルが重要な意味を持っているように考えられる。そのインターバルを経て坐忘を再開させることで、坐忘はさらに深まる。再び坐忘。「定」から「大定」入り、「光の輪」をまず外に出し、それとほとんど同時に、一緒に「内身」がゆっくりゆっくり上がっていく。自主的に上がっていくので「意識」はかけず、「無為自然」のままに為す。天頂のあたりに、「内身」が徐々に上がっていくのを明確に感じることができる。ゆっくりと、しかし滑らかに自動的に上がっていく。それと同時に下丹田の周辺から、板のようなものが上に上がってくる。「内身」はそれに乗って半ば下からも押し上げられる形で外界につぎつぎ出て行っている。その板が天頂まであがって、「内身」は完全に外界に出ている。その板が脳にフタをして、「出神」が行われたことが判る。頭上に「幽明体」のような、まだはっきりとしないものが在り、そこに意識をかければちゃんとするとともにそこここに「圧力感」が現れてくる。これが「法身」。再びしばらく「無為自然」に為せば、それは次第にはっきりとし、肩の辺り、腰の辺りには丸みもある透明度の高い粘土細工のような感じになり、私と同じように頭上に座っている(腰掛けで)。時によって「白光」を感じる時もあり、形は不定。いつもの通りこの「法身」の「意識」を瞬時に「宇宙」大に広げ、しばらく坐忘。また瞬時に収縮して「法身」の中に意識を戻す。「宇宙」や空に「意識」を拡大したとき、すでに「法身」はなく、気体あるいは「光」の粒のようなものにんなり、「意識」はその「粒子」側にある。天空の「気体」のなっている感じ。そのとき「無為自然」になせば、ちょうど秋の夜の澄んだ夜空のような大変透明感のある、広い空間が現れ、満月に照らされているような明るさがそこにはある。大変透明度が高く、空が高く広くどこからか来る光(夜の光)に溢れている。そのとき呼吸はずっと止まったままになっている。次に意識を「収縮」すると、今度は頭上に「法身」らしき形が出現し「意識」はその中にある。「無為自然」のままにしばらく為せば、さきほどの澄んだ空間が現れ、呼吸は止まったままになっている。何も動かない、何も変わらない空間。気がつくと、この「拡大」と「収縮」を10回近くやっていた。その後例の通り周辺の光を「法身」に入れ、次に「法身」を徐徐に「黄宮」に戻して行く。このとき天頂にある「板」が下に下りて行き、それとともに立体的、紡錘体となった「法身」が体内に入っていく。板が下丹田周辺まで降りて、天頂の内に完全に「法身」が入ったのを確かめ、その後「目光」を体内各所に周回させて坐忘を終了する。
by yuugean | 2003-11-16 10:55 | 2003
<< 西行と荘子 入神 >>



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける

by yuugean
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧