遊化の森

桃之介

5時起床。洗顔、コーヒー沸かし。「坐忘」から始まって、「出神」-「収神」。これは相変わらず毎日修練。一日2-3回の「出神」修練をやっているが、朝の5時ー6時に一度、それから仕事中に1度、さらに帰宅して1度というようなパターンになっている。徐々に慣れてきて、「出神」モードに入るにも、それほど時間がかからなくなった。1度目はかるく「坐忘」のウオーミングアップ。さらにインターバルを1分ほど取って、2回目の「坐忘」。早い場合はそこで足裏がジンジンしてくる。さらにインターバルー坐忘。そうして体内からまず「光」のイメージを頭上に広げ(というよりは広がり)、すぉのうっすらとした「光」の中に、体内から「意識(神)」が上っていく。時によっては非常にはっきりと「気体プラス液体」みたいな事象が上っていくのが「心の目」に見える。別にこの「作業」は難しいものではなく、むしろ「イージー」。「神(意識)」が上っていくと意識すれば「上り」始める。時に「光の筒」のように見える時があるが、「上って」いく「意識(神)」が上りきってしまうと、最後に「板」のようなものが上ってきて頭の天辺を塞ぐ。それで「出神」は終わる。その後、「定像」作業。作業というほどのものではないが、頭上に出た「意識(神)」に「意識」を集中して「人の形」に集める。それは徐々に「人の形」らしきものになって行き、私はそれをいま「桃之介」と呼んでいる。性格は優しいが、戦うべき時は戦う。気がやさしくて力持ち。タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない。そんなムードを漂わせた若者のかたちに見える。朝には目の前のテーブルの上で桃之介が太極拳(のさわり)を演じたりする。終わったら、「意識」をいったん「虚」に返す。これは「定像」作業で「形」ができた、「桃之介」つまり「意識」の像のがばらばらになって、みるみる「虚」に帰して周囲の大気の中の「光」の粒子と同じになる。しばらくその状態をたもつ事は、大変気持ちいい。その後、再び「意識」の像に集中して、「虚」に帰っていた「意識」の粒子(光)を集め、「像」つまり「桃之介」とする。天頂に持ってきて、体内に入れて「出神」は終わる。いま感じていることは、「意識」は、思えば即ち形が現れ、また思えば即ち形が無くなり「虚に帰す」ということ。それが「意識(神)」の実態。これが「色即是空」。「色」は形のあるもの、「空」は形のないもの。この二つの状態を瞬時にし繋ぐのが「意識」では無いかと言う事。森羅万象、宇宙現象、すべてこの二つの状態をいったり来り。時間の長さの差はあるとしても、形あるものは滅び、無から有が生まれてくる。「意識」はそれを瞬時に行うので、状態によっては「時空」を超える可能性もあるのでは?
by yuugean | 2004-07-02 09:15 | 2004
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