遊化の森

カテゴリ:2006( 44 )

四つの柱

時はすでに初春。真っ青に晴れ渡る空の様子を見ていると、今はそんな感じがする。今年は12-1月に大寒波が訪れ、豪雪が各地を襲ったが、2月になるにつれ、はや「三寒四温」の状況が現れてきた。例年だとまだまだ「厳冬」の中だが、気温の低さはあるものの、「空」の明るさはもはや「初春」のもの。5時半に起床し、いつもの通り「儀式」そして「坐忘」ー「天花乱墜」。今朝は「雪」の乱舞というよりは「桜」が自分の天頂めがけて盛んに降り落ちてくる情景。そのなかに身をおいている事は気持ちがいい。そして脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓の順に「気」を「泥丸」に挙げていく。そのあと腎臓の「気」を督脈を通して天頂に上げ、ここで「五気」が揃う。その「五気」の上澄みのようなものを天頂から出すと「太空」に向かって上っていく。これが私の「五気朝元」。それが終わるころ、下丹田に意念をおくと、上昇して「中丹田」と合一し、さらに上昇して「上丹田」と合一する。これが私の「三華聚頂」であり、さらに「泥丸」で「五気」と「三華」が合一し、「一」となる。五(気)-四(「三華」と「気」)ー三(「二華」と「気」)ー二(「一華」と「気」)ー一(合一)の「訣」はこうして成る。その後「出神」、例のとおり、さまざまな儀式をおこなって「収神」。最近は「出神」、「収神」も旧に復して、かって手馴れていた方式でおこなっている。季節の変わり間なので、例年のとおり胸腺が突っ張ってくるが、これも漢方薬で克服。一つのパターンが出来上がっている。今年はしばらくやっていない四月の「検診」も受けてみようと考えている。身体や健康の状態がどういう数値を示すか。しばらく四月の「検診」をやらなかったのは、かってレントゲン検診で当時下丹田に作っていた「大薬」が壊れたことから敬遠するようになった。しかし考えてみれば、その後にホンモノの「大薬」が身体の中に生成された。エックス線と「大薬」-「胎」の関係はよく判らないが、今回は一度やってみようと考えている。最近時々思うことは、一年半ほど前に、将来の仕事や一身上のことで考えていたことが四つあった。それが今の所二つは成就し、一つは進行中で、あとひとつはこれから取り組む段階にある。大体のところうまくいっているほうではないかと思う。
by yuugean | 2006-02-04 17:16 | 2006

スタバで読書

  昨日の土曜日はいちばん好きな曜日。時間がたっぷりとあり、坐忘にも出神の修練にも、たっぷりと時間をかけられる。やはり、こういう「天地」のその日の「気」の状況によって大きく発現が左右される修練は、たっぷりと時間をかけて納得のいくまでやってみるという態度が必要。4時半に起床し、いつもの通り「儀式」そして「坐忘」の中から「天花乱墜」の験あり。実は最近はその前に「天頂開」の修練をやっている。以前はそれは「三華聚頂」の前にやっていたが、どうもこれでは「リズム」がここで止まってしまうことに気付いて、一番最初にやることにした。何をやるかは「口訣」に属する。口ではとても説明できない。
  この「出神」の修練ではそういうことが多い。細かいニュアンスがいっぱいあって、それを伝えることは不可能。また伝えなければならない義務もない。その後いつもどおり、「五気朝元」-「三華聚頂」ー「出神」となるが、ここでも細かいニュアンスの「儀式」や「修練」があり、これも自分流の「口訣」にせざるを得ない。「神遊観」-「収神」の場合もそうだ。
 土曜日は昼過ぎからは「スタバ」の二階で一時間少々読書。昼間その他の時間が見つけると二度ほど出神修練。日曜日は太極拳の日であさの修練が終わると、7時半ごろ家を出て千代田区へ。今日は千代田小学校で太極拳。始まる前に身体を温めるために「陳式」を数人の人と一緒に習う。その後はいつもどおり「八段錦」「伸展法」「楊家24式」「楊家老架式」の順で修練。終わって鰻やで昼食、その後夕刻に風呂に入り小宴。いつもどおり9時ごろささやかな宴は終わる。
by yuugean | 2006-01-29 20:57 | 2006

口訣

昨日の土曜日はいちばん好きな曜日。時間がたっぷりとあり、坐忘にも出神の修練にも、たっぷりと時間をかけられる。やはり、こういう「天地」のその日の「気」の状況によって大きく発現が左右される修練は、たっぷりと時間をかけて納得のいくまでやってみるという態度が必要。4時半に起床し、いつもの通り「儀式」そして「坐忘」の中から「天花乱墜」の験あり。実は最近はその前に「天頂開」の修練をやっている。以前はそれは「三華聚頂」の前にやっていたが、どうもこれでは「リズム」がここで止まってしまうことに気付いて、一番最初にやることにした。何をやるかは「口訣」に属する。口ではとても説明できない。この「出神」の修練ではそういうことが多い。細かいニュアンスがいっぱいあって、それを伝えることは不可能。また伝えなければならない義務もない。その後いつもどおり、「五気朝元」-「三華聚頂」ー「出神」となるが、ここでも細かいニュアンスの「儀式」や「修練」があり、これも自分流の「口訣」にせざるを得ない。「神遊観」-「収神」の場合もそうだ。土曜日は昼過ぎからは「スタバ」の二階で一時間少々読書。昼間その他の時間が見つけると二度ほど出神修練。日曜日は太極拳の日であさの修練が終わると、7時半ごろ家を出て千代田区へ。今日は千代田小学校で太極拳。始まる前に身体を温めるために「陳式」を数人の人と一緒に習う。その後はいつもどおり「八段錦」「伸展法」「楊家24式」「楊家老架式」の順で修練。終わって鰻やで昼食、その後夕刻に風呂に入り小宴。いつもどおり9時ごろささやかな宴は終わる。
by yuugean | 2006-01-29 17:08 | 2006

内院繁華

既に2006年、既に1月。時は常に流れていく。今朝変な事を考えていた。「生きている」ということは、とりもなおさず「現在にいる」ということではないか。瞬間瞬間に時は過去となっていき、それは既に「生きている」とはいえないのではないか。時間も、空間と同様に無限に拡大している。最初はやはり「ビッグバン」から始まったのだろう。その時「熱から光」が出て、その瞬間から空間も、時間もどんどん広がっている。その意味では、現在の瞬間、地球上(あるいは宇宙上の)、あらゆる夥しい生物、人間、あるいは非生物も、同時に一瞬に同じ時間上の上にいる。それが「現在」の瞬間であり、それが「生きている」ということ。瞬間瞬間に過去となり、もし人が本当に死んで、「現在の瞬間」に世界、宇宙のあらゆる生物、非生物と同じ時間軸に共に立てなくなり、再びその時間軸に立てなくなったとき、それは人の「死」であり、「過去」となる。果てしなく拡大を続ける「空間」と「時間」、これは「エントロピーの法則」に明らかなように、決して「可逆」しないが、そういう両者の「軸」のはざまに、「生きていること」「現在の瞬間」があり、その点で「未来」はあくまで「予想」であり「推理」。これは何か探せば「数式」になっているような気がするが、、。だからこそ、人は、過去の事象や人間関係に一切囚われず、未来の不確定なことに何の感情のブレも恐れも持たず、「現在」の瞬間瞬間に生きなければならないということだろう。朝からこんな事考えているのも、何かヘンだが、これは朝の坐忘ー出神ー収神のあと、なんとなく出てきた思考。朝四時半起床。いつもの通り朝の儀式。そのあと、坐忘。その中から「天花乱墜」の現象が現れてくる。それは日によって千差万別で、大ぶりの桜の花ビラの乱舞であったり、夜空に舞う細かい無数の雪片であったりする。今朝はすこし大き目の桜の花ビラが、頭上高くから翩翻と落ちてきて、私の四囲に次々と舞い降りてくる。その現象をしばらく眺めて(心眼で)から、次は「五気朝元」に移る。脾臓ー肺臓ー心臓ー肝臓の「気」を焦脈に下ろし、次いで腎の気を督脈を通じて上げ、焦脈の「四気」と一緒に「泥丸」に上げる。しばし温養うると、天上から五本の黄金の針金が降りてきて、しばらくすると、それに沿って五気が自然に天空に上がっていく。それを見届けると次は「三華聚頂」。下丹田がひとりでに上がり中丹田と合体。さらにそれは「泥丸」に上がり、上丹田と合体し一つになる。そして「慧光」が頭部一帯にひろがり、やがて眉間から一本の「光」となって外に出て、空間を瞬時にとんで先方に至る。それはいま三箇所(秘)に至る。その後右脳から右腕を経た光は先方に至る。その後「頂門開」を経て「出神」。その時また種々の儀式があり、「収神」となる。この「出神」の条を「性命法訣」が「内院繁華」と形容しているのは、まさにその通り。仙道全体の修練が実はそうだが、この条あたりはことに、いかに言葉で書き記しても決して伝わらない微妙な点が多々あり、やはり「口訣」による伝授が必要だという感じがする。今日は久しぶりの雨もよいの一日。これまで東京はずっと快晴で、裏日本の豪雪で死者が既に85名に達したという報道には申し訳ないような天気が続いてきたが、ついに雨もよいとなった。今日は歩いて5分ほどの「スタバ」の二階で読書して2時間近く過ごした。あとは自宅で持ち帰った「仕事」の続きを少々。比較的穏やかな一日だった。
by yuugean | 2006-01-14 17:10 | 2006



遊びをせんとて生まれける  学びせんとて生まれける
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧